アゼルバイジャン民主共和国

曖昧さ回避 この項目では、1920年に亡国したアゼルバイジャン民主共和国について説明しています。
アゼルバイジャン民主共和国
آذربایجان خلق جمهوریتی (アゼルバイジャン語)
ザカフカース民主連邦共和国 1918年 - 1920年 アゼルバイジャン社会主義ソビエト共和国
アゼルバイジャンの国旗 アゼルバイジャンの国章
国旗国章
国の標語: !بیر کره یوکسلن بایراق، بیر داها ائنمز(Bir kərə yüksələn bayraq bir daha enməz!)(アゼルバイジャン語)
一度掲げられた旗は決して降りない
国歌: آذربایجان مارشی(アゼルバイジャン語)
アゼルバイジャン行進曲
アゼルバイジャンの位置
アゼルバイジャン民主共和国の地図
公用語 アゼルバイジャン語
首都 バクー
国民議会(英語版、アゼルバイジャン語版)議長
1918年 - 1920年 メフメト・エミーン・ラスールザーデ
面積
8万6,600km2km²
人口
(2022年:国連人口基金)1,030万人人
変遷
独立 1918年5月27日
共和国廃止1920年
現在アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン

アゼルバイジャン民主共和国(アゼルバイジャンみんしゅきょうわこく、アゼルバイジャン語: Azərbaycan Xalq Cümhuriyyəti / آذربایجان خلق جمهوریتی)は、1918年から1920年にかけてアゼルバイジャンに存在した国家である。アゼルバイジャン人民共和国とも称する。

ロシア革命にともない、民族主義政党を中心として独立を果たしたが、イギリス軍に占領されたためにやってきたロシア社会主義連邦ソビエト共和国赤軍バクーを陥落されてアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国に発展的解消する。

歴史

詳細は「アゼルバイジャン民主共和国の歴史(アゼルバイジャン語版)」を参照

1918年5月、民族主義政党のミュサヴァト党が中心となりギャンジャで独立宣言を行い、9月にはバクーを征服した。イスラーム教徒が主体となって樹立したイスラム世界初の共和国だが、政教分離、信教の自由を定めた世俗憲法を持ち、多党制による議会政治が図られた。1919年パリ講和会議にも代表を派遣した。しかし、ナゴルノ・カラバフなどをめぐってアルメニア第一共和国と戦争に突入し、議会も多党制で安定せず、さらにバクーが石油の産出地であり軍事戦略的に重要な都市であったことから、政治的独立を維持することは極めて困難であった。1920年、赤軍によってバクーが征服されてソビエト政権が成立し、アゼルバイジャン民主共和国は2年ともたずに滅亡した。その後、ロシア共産党はアゼルバイジャンとグルジアアルメニアを統一し、1922年末にザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を成立させた。

文化

詳細は「アゼルバイジャン民主共和国の文化(アゼルバイジャン語版)」を参照
ロシア革命後に誕生した国家組織(1917年 - 1922年)
ヨーロッパロシア
ボリシェヴィキ
非ボリシェヴィキ系
北部
沿バルト海
白ロシア
ポーランド
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
ウクライナ
ベッサラビア
クリミア
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
ドン
クバーニ
北カフカース
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
ポヴォールジエ
ヴォルガ川流域)
ウラル
シベリア
極東
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
ザカフカージエ
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
中央アジア
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
  • アラシュ自治国
  • ザカスピ臨時政府(ロシア語版)
  • 自治コーカンド(ロシア語版)
  • 臨時フェルガナ政府(ロシア語版)
ロシア帝国領外
ボリシェヴィキ系
非ボリシェヴィキ系
国号がない場合は統治機関の名称を示す。
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