ウォルター・モンデール

ウォルター・モンデール
Walter Mondale
副大統領時代(1977年5月13日)
生年月日 (1928-01-05) 1928年1月5日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミネソタ州セイロン
没年月日 (2021-04-19) 2021年4月19日(93歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミネソタ州ミネアポリス
出身校 マカレスター大学
ミネソタ大学
ミネソタ大学ロースクール
前職 弁護士
所属政党 民主党
称号 桐花大綬章(2008年受章)
配偶者 ジョーン・モンデール(1955‐2014)
子女 テッド・モンデール
エレノア・モンデール
ウィリアム・H・モンデール
サイン

在任期間 1977年1月20日 - 1981年1月20日
大統領 ジミー・カーター

選挙区 ミネソタ州の旗 ミネソタ州
在任期間 1964年12月30日 - 1976年12月30日

在任期間 1993年9月21日 - 1996年12月15日
大統領 ビル・クリントン

ミネソタ州の旗 ミネソタ州
第23代検事総長
在任期間 1960年5月4日 - 1964年12月30日
州知事 オーヴィル・ロスロップ・フリーマン
エルマー・リー・アンダーセン
カール・ロルヴァーグ
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ウォルター・フレデリック・モンデール(英語:Walter Frederick Mondale1928年1月5日 - 2021年4月19日)は、アメリカ合衆国政治家。同国第42代副大統領(在任:1977年1月20日 - 1981年1月20日)。ミネソタ州検事総長、同州選出連邦上院議員、駐日アメリカ合衆国大使を歴任した。1984年アメリカ合衆国大統領選挙での民主党の大統領候補であった。

来歴

生い立ち・軍歴

1928年1月5日ミネソタ州セイロンに誕生する。父親のセオドア・ジーグヴァード・モンデールは、ノルウェー系[1]メソジスト派の牧師を務めており、母親のクラリベル・ホープ(旧姓カウァン)は音楽教師であった[2]。幼少時をミネソタ南部の小さな町で過ごし、その中にはヘロンレイクやエルモアが含まれた。後の1980年アメリカ合衆国大統領選挙でそれらの町を故郷だと述べた。異母兄のレスター・モンデールはユニテリアン派の牧師であった。

セントポールのマカレスター大学に入学した後、パブリック・アイビーの1つであるミネソタ大学に編入し、1950年にミネソタ大学を卒業した。ロー・スクールに通うための経済的余裕が無かったため、陸軍に入隊した。朝鮮戦争時の2年間をフォート・ノックスで過ごし、伍長まで昇進した。除隊後に復員兵援護法による奨学金を利用してミネソタ大学ロースクールに入学して1956年に卒業した。

政治家

駐日大使時代

マカレスター大学在学中にミネアポリスヒューバート・H・ハンフリー市長の選挙運動を手伝ったのがきっかけで政界入り。弁護士、ミネソタ州司法長官を経て1964年、リンドン・ジョンソン政権の副大統領に就任したヒューバート・H・ハンフリーの後継者としてアメリカ合衆国上院議員に当選。上院の民主党内では急進派と保守派の中間的な立場であった。

1976年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党の大統領候補であるジミー・カーターから副大統領候補に選ばれて当選した。1977年1月20日から1981年1月20日まで副大統領を務めた。副大統領として就任直後からヨーロッパを訪問する[3]など国内外を廻る。しかし1980年アメリカ合衆国大統領選挙では共和党のレーガンブッシュに敗北して下野した。

1984年アメリカ合衆国大統領選挙では、共和党の現職であるレーガン大統領に対する民主党の大統領候補に正式指名される。副大統領候補には女性として史上初の2大政党指名候補となるジェラルディン・フェラーロ下院議員を立てた[4]。選挙戦ではリベラル寄りの主張を展開し、レーガノミクス・軍拡路線を批判したが、選挙人投票で525票対13票で敗れる。

クリントンによって民主党が政権奪取に成功すると、当初は駐イギリス大使駐フランス大使への起用が検討されたが、これを固辞した。結局、1993年駐日大使に任命され、日米構造協議以降の貿易不均衡の是正や非関税障壁の排除に力を振るうものの、「(中国との)尖閣諸島の帰属に関する実力行使を伴う国際紛争の場合、日米安保は発動しない」と発言して石原慎太郎などから批判された。1996年の帰国後に退任した。

2002年の中間選挙ではミネソタ州選出のポール・ウェルストーン(英語版)上院議員が再選を目指して選挙戦で共和党候補としのぎを削っていたが、投票日11日前になって州内を遊説中の同議員がチャーターしていた小型機が墜落し、同議員を初め、ウェルストーン選挙対策幹部全員が死亡した。その代役として周囲から推され出馬するが、共和党候補に50パーセント対47パーセントで敗れる。2008年8月20日に2008年アメリカ合衆国大統領選挙の民主党候補であるバラク・オバマの対日政策顧問グループに名誉会長として参加した。

2021年4月19日ミネアポリスの私邸で、老衰により93歳で死去した[5]

エピソード

同郷の親友であったロバート・セルマー・バーグランドは、モンデールが副大統領職を務めたカーター政権で農務長官となった[6]

落語家の初代林家三平には「大統領の肩を副大統領が揉んでいるということで、これをカーター・モンデール…」と小咄にされたことがある(1977年に放送されたNHKの「金曜招待席」より)。

駐日大使時代に長女のエレノアと俳優の堤大二郎の交際が報道され、本人もその事実を認めたことから話題となった。

受章

2008年桐花大綬章を受章した[7]

脚注

  1. ^ [1][リンク切れ]
  2. ^ [2][リンク切れ] Walter Mondale vice president of United States [3][リンク切れ]
  3. ^ ベルリンの壁を米副大統領が視察『朝日新聞』1977年(昭和52年)1月27日朝刊、13版、7面
  4. ^ 池端祐一朗「84年大統領選挙におけるマリオ・クオモの演説: 政治家の信仰と職責」『共生学ジャーナル』第6巻、大阪大学大学院人間科学研究科 『共生学ジャーナル』 編集委員会、2022年、106-129頁、doi:10.18910/86428、ISSN 24326755、2022年3月28日閲覧 
  5. ^ "Walter Mondale, Ex-Vice President and Champion of Liberal Politics, Dies at 93". New York Times (英語). The New York Times. 19 April 2021. 2021年4月20日閲覧
  6. ^ カーター政権を支える人々『朝日新聞』1977年(昭和52年)1月20日朝刊、13版、7面
  7. ^ “外国人受章者の顔触れ”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月19日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ウォルター・モンデールに関連するカテゴリがあります。
  • Congressional biography
  • Senate Leaders Lecture Series Address
  • Minnesota Public Radio: Coleman, Mondale debate on eve of election (November 4, 2002) - featuring audio of the 2002 debate
  • Hubert H. Humphrey Institute of Public Affairs: The Mondale Lectures on Public Service
  • Great Norwegians
  • Two Views from Pennsylvania Avenue
  • List of New York Times articles on Mondale
  • Senator Mondale transfers money from NASA to social programs using political maneuvers
  • AmericanHeritage.com / Lost in Space What Went Wrong with NASA?
  • Walter F. Mondale: An Inventory of His Papers, including his Vice Presidential Papers, at the Minnesota Historical Society
公職
先代
ネルソン・ロックフェラー
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
第42代:1977年1月20日 - 1981年1月20日
次代
ジョージ・H・W・ブッシュ
司法職
先代
マイルズ・ロード
ミネソタ州の旗 ミネソタ州司法長官
第23代:1960年5月4日 - 1964年12月30日
次代
ロバート・W・マットソン・シニア
アメリカ合衆国上院
先代
ヒューバート・ハンフリー
アメリカ合衆国の旗 ミネソタ州選出上院議員(第2部)
1964年12月30日 - 1976年12月30日
同職:ユージーン・マッカーシー, ヒューバート・ハンフリー
次代
ウェンデル・アンダーソン
党職
先代
ジミー・カーター
1980年
民主党大統領候補
1984年
次代
マイケル・デュカキス
1988年
先代
サージェント・シュライバー
1972年
民主党副大統領候補
1976年, 1980年
次代
ジェラルディン・フェラーロ
1984年
儀礼席次
先代
リンダ・リングル
ハワイ州知事
'アメリカ合衆国の儀礼席次
元副大統領'
次代
ダン・クエール
元副大統領
  • 表示
  • 編集
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
※ 名前の後ろの年号は就任年を表す
  1. アダムズ 1789年
  2. ジェファーソン 1797年
  3. バー 1801年
  4. クリントン 1805年
  5. ゲリー 1813年
  6. トンプキンズ 1817年
  7. カルフーン 1825年
  8. ヴァン・ビューレン 1833年
  9. R・ジョンソン 1837年
  10. タイラー 1841年
  11. ダラス 1845年
  12. フィルモア 1849年
  13. キング 1853年
  14. ブレッキンリッジ 1857年
  15. ハムリン 1861年
  16. A・ジョンソン 1865年
  17. コルファクス 1869年
  18. ウィルソン 1873年
  19. ウィーラー 1877年
  20. アーサー 1881年
  21. ヘンドリックス 1885年
  22. モートン 1889年
  23. スティーブンソン 1893年
  24. ホーバート 1897年
  25. ルーズベルト 1901年
  26. フェアバンクス 1905年
  27. シャーマン 1909年
  28. マーシャル 1913年
  29. クーリッジ 1921年
  30. ドーズ 1925年
  31. カーティス 1929年
  32. ガーナー 1933年
  33. ウォレス 1941年
  34. トルーマン 1945年
  35. バークリー 1949年
  36. ニクソン 1953年
  37. L・ジョンソン 1961年
  38. ハンフリー 1965年
  39. アグニュー 1969年
  40. フォード 1973年連邦議会による承認
  41. ロックフェラー 1974年連邦議会による承認
  42. モンデール 1977年
  43. G・H・W・ブッシュ 1981年
  44. クエール 1989年
  45. ゴア 1993年
  46. チェイニー 2001年
  47. バイデン 2009年
  48. ペンス 2017年
  49. ハリス 2021年
関連項目 : アメリカ合衆国副大統領 - アメリカ合衆国の歴史 - ホワイトハウス - アメリカ合衆国大統領 - アメリカ合衆国次期副大統領
アメリカ合衆国の旗 駐日アメリカ合衆国大使(1993年9月21日 - 1996年12月15日) 日本の旗
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