ダン・クエール

ダン・クエール
Dan Quayle
1989年4月20日
生年月日 (1947-02-04) 1947年2月4日(77歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 インディアナ州インディアナポリス
出身校 デポー大学
インディアナ大学大学院
所属政党 共和党
配偶者 マリリン・クエール
子女 タッカー・クエール
ベン・クエール
コリーヌ・クエール
サイン

在任期間 1989年1月20日 - 1993年1月20日
大統領 ジョージ・H・W・ブッシュ

選挙区 インディアナ州の旗 インディアナ州
当選回数 2回
在任期間 1981年1月3日 - 1989年1月3日

選挙区 インディアナ州の旗 インディアナ州4区
当選回数 2回
在任期間 1977年1月3日 - 1981年1月3日
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ジェームズ・ダンフォース・クエール(英語:James Danforth Quayle1947年2月4日 - )は、アメリカ合衆国政治家。同国第44代副大統領(在任:1989年1月20日 - 1993年1月20日)。通称はダン・クエールDan Quayle)。インディアナ州選出連邦下院議員連邦上院議員を歴任した。

来歴

生い立ち

1947年2月4日にインディアナ州インディアナポリスで誕生した。本人は「多くの場合誤ってジェームス・ダンフォース・クエール3世と呼ばれることがあるが、自分の本名は単にジェームス・ダンフォース・クエールである」と主張している。

母方の祖父であるユージェン・C・ピュリアムはセントラル・ニュースペーパー社を設立した裕福で強い影響力を行使しうる出版界の大立者であり、『アリゾナ・リパブリック』『インディアナポリス・スター』のような複数の主要新聞を支配するオーナーであった。父のジェームス・C・クエールは1955年に家族と共にアリゾナに移り、一族の出版帝国の一端を担うようになった。

連邦下院議員

デポー大学インディアナ大学大学院を卒業した後は新聞社を経営する父親の仕事を手伝う傍ら、1968年の共和党大会では大統領候補に内定していたリチャード・ニクソンの運転手を務めた。

政治キャリアをスタートさせたのは1976年連邦下院議員選挙で、インディアナ州4区において難しいとされながら民主党の現職議員を54パーセントの得票で破って当選した。翌年の1977年から連邦下院議員となり、1979年の選挙で再選を果たした。

連邦上院議員

1980年には上院への鞍替えを目指し、これも難しいとされながらもインディアナ州選出の連邦上院議員において民主党の現職であるバーチ・バイ上院議員(エヴァン・バイ上院議員の父親)を破って当選した。

副大統領

1986年に再選を果たした後、任期途中で1988年アメリカ合衆国大統領選挙においてジョージ・H・W・ブッシュから、共和党の副大統領候補に指名される。先代のジョージ・H・W・ブッシュは党内では穏健派に属し、保守派からの支持と中西部諸州での得票が見込まれることからクエールに白羽の矢が立った。

だがクエールの輝かしい政治キャリアはこの時がピークで、マスコミや野党の民主党から冷笑・嘲笑を浴びせられることになる。同年の副大統領候補討論会で「ケネディも若かった。若さは問題では無い。私はケネディと同じ期間の政治経歴がある」というクエールに対して、対抗候補のベンツェンに「私はケネディを知っている。ジャックとは共に仕事をし、彼は友人であった。あなたはケネディでは無い」と言い返され、その後の"That was really uncalled for, Senator,"(「上院議員、それは余計な御世話ですよ!」)という対応を批判されたり、クエール自身の女性問題や副大統領在任中に小学校を訪問した際に「Potato」(じゃがいも)のスペルを「Potatoe」と誤ったりした[1]ため、資質を疑われるようになる。また「ラテン・アメリカ諸国ではラテン語が話されている」などの発言を連発し、これらを理由として1991年イグノーベル賞が贈られた。

クエールは宇宙開発及び産業政策を指揮し、国家宇宙会議(英語版)議長に就いた[2]。また外交も担い、海外訪問を多くこなした。

1992年アメリカ合衆国大統領選挙での副大統領候補討論会では、大方の下馬評に反して善戦したと言われたが落選した。その後1996年2000年の大統領選挙への参入を目指すが、いずれも早い時期に撤退を余儀無くされる。2001年1月20日ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任すると、駐日大使にその名前が挙がった。

政界引退後

2011年

政界引退後は投資信託会社サーベラス・キャピタル・マネジメントの顧問を務めている。また日本のあおぞら銀行の取締役に就いていた[3]。2010年に子息のベン・クエールが連邦下院議員に当選し、1期務めている。

パーソナリティ

クエールは男性2人(他にマイク)・女性2人(クリスとマーサ)の4人兄弟の長男としてこの世に生を受けている。1972年11月にクエールはインディアナポリス出身のマリリン・タッカーと結婚し、3人の子供(タッカー、ベンジャミン、コリン)に恵まれた。趣味はゴルフ・テニス・バスケットボール・乗馬・フライフィッシング・読書など多彩に渡り、特に子供達が団体競技に参加するのを見るのを何よりの楽しみとしている。クエール(Quayle)はその姓から分かるようにマン島出身者の子孫である。

容姿

ハンサムで映画『候補者ビル・マッケイ』に主演したロバート・レッドフォードに似ていると言われた。選挙運動にはこのイメージを最大限に利用したが、後にレッドフォードから自分のイメージを利用しないように苦情を受けている。なおレッドフォードは民主党支持者であり、民主党の集会で「ハロー! ダン・クエールです!」とジョークを言ったことが報道されている[4]

関連項目

  • Civilization:4及び5、そして6において、ゲーム終了後にプレイヤーが歴史上の人物になぞらえて評価されるが、「ダン・クエール」が最低の評価で与えられる称号となっている。

資料

Dan Quayle, Standing Firm: A Vice-Presidential Memoir, Harper Collins, May 1994. hardcover, ISBN 0-06-017758-6; mass market paperback, May, 1995; ISBN 0-06-109390-4; Limited edition, 1994, ISBN 0-06-017601-6

脚注

  1. ^ 1992 Dan Quayle and the 'potatoe' kid
  2. ^ “「宇宙」でもダメ男のクエール”. ニューズウィーク日本版(1991年6月20日号). TBSブリタニカ. (1991-6-20). p. 38. 
  3. ^ 役員一覧|あおぞら銀行 名前の表記のみ。他にヘックマン社の取締役としての紹介 Archived 2011年3月16日, at the Wayback Machine.にてあおぞら銀行取締役の件が言及されている。双方とも2012年11月12日閲覧。
  4. ^ “Robert Redford Spoofs Quayle At Dukakis Rally”. AP通信 (1988年9月29日). 2015年11月29日閲覧。
ウィキクォートにダン・クエールに関する引用句集があります。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ダン・クエールに関連するカテゴリがあります。
  • ダン・クエール副大統領博物館
  • ジェームズ・ダンフォース・クエール Wikiquote(英語版ウィキクウオート)
公職
先代
ジョージ・H・W・ブッシュ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
第44代:1989年1月20日 - 1993年1月20日
次代
アル・ゴア
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国副大統領
※ 名前の後ろの年号は就任年を表す
  1. アダムズ 1789年
  2. ジェファーソン 1797年
  3. バー 1801年
  4. クリントン 1805年
  5. ゲリー 1813年
  6. トンプキンズ 1817年
  7. カルフーン 1825年
  8. ヴァン・ビューレン 1833年
  9. R・ジョンソン 1837年
  10. タイラー 1841年
  11. ダラス 1845年
  12. フィルモア 1849年
  13. キング 1853年
  14. ブレッキンリッジ 1857年
  15. ハムリン 1861年
  16. A・ジョンソン 1865年
  17. コルファクス 1869年
  18. ウィルソン 1873年
  19. ウィーラー 1877年
  20. アーサー 1881年
  21. ヘンドリックス 1885年
  22. モートン 1889年
  23. スティーブンソン 1893年
  24. ホーバート 1897年
  25. ルーズベルト 1901年
  26. フェアバンクス 1905年
  27. シャーマン 1909年
  28. マーシャル 1913年
  29. クーリッジ 1921年
  30. ドーズ 1925年
  31. カーティス 1929年
  32. ガーナー 1933年
  33. ウォレス 1941年
  34. トルーマン 1945年
  35. バークリー 1949年
  36. ニクソン 1953年
  37. L・ジョンソン 1961年
  38. ハンフリー 1965年
  39. アグニュー 1969年
  40. フォード 1973年連邦議会による承認
  41. ロックフェラー 1974年連邦議会による承認
  42. モンデール 1977年
  43. G・H・W・ブッシュ 1981年
  44. クエール 1989年
  45. ゴア 1993年
  46. チェイニー 2001年
  47. バイデン 2009年
  48. ペンス 2017年
  49. ハリス 2021年
関連項目 : アメリカ合衆国副大統領 - アメリカ合衆国の歴史 - ホワイトハウス - アメリカ合衆国大統領 - アメリカ合衆国次期副大統領
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