ジョン・ライドン

ジョン・ライドン
PiL - ライブ公演 (2013年10月)
基本情報
出生名 ジョン・ジョセフ・ライドン
John Joseph Lydon
別名 ジョニー・ロットン
生誕 (1956-01-31) 1956年1月31日(68歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド
ロンドンイズリントン区 ハロウェイないしフィンズベリー・パーク界隈
ジャンル パンク・ロック
ポスト・パンク
オルタナティヴ・ロック
職業 ミュージシャン
ボーカリスト
シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
ギターサクソフォン、ベース
シュトロー・ヴァイオリン
ヴァイオリンシンセサイザー
キーボード、パーカッション
活動期間 1975年 - 現在
共同作業者 セックス・ピストルズ
パブリック・イメージ・リミテッド
タイム・ゾーン
公式サイト www.johnlydon.com

ジョン・ライドンJohn Lydon1956年1月31日 - )は、イギリスミュージシャンジョニー・ロットンJohnny Rotten、「腐れのジョニー」の意)のニックネームでパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのリード・ボーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)を結成した。

ジョニー・ロットンという名前は彼がセックス・ピストルズに加入したとき、ギタリストのスティーヴ・ジョーンズが彼の歯の汚い状態を見て「腐ってる! お前の歯、腐ってるぞ!(You're rotten! Look at you, your teeth are rotten!)」と発言したことがきっかけで彼のニックネームとなった[1]

2002年BBCが行った歴史上「100名の最も偉大な英国人」投票にて第87位に選ばれている。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位[2]

経歴

若き日のパンク仲間 (右から二人目がライドン)

出生

ジョン・ライドンは1956年1月31日、ロンドンの現イズリントン区のハロウェイ(Holloway area of north London)[3][4]、ないしフィンズベリー・パーク(Finsbury Park)界隈で生まれた[5]。父はトラックの運転手、母は飲食店の女給である典型的なアイルランド系労働者階級の家庭で育ち[5]、三人の弟と共に界隈のアイリッシュ系やジャマイカ系の貧しい移民地区で成長した。当時のイギリスにおけるアイルランド移民は、ジャマイカ系などの黒人と同様に激しい差別を受けていた。ライドンは自伝『No Irish, No Blacks, No Dogs』で子供のころ、通学の途中で差別による投石を頻繁にうけたと語っている。

7歳の時に髄膜炎を患い、3か月近く昏睡状態に陥った後遺症から記憶の大部分を喪失する[6]。意識が戻った時には両親の顔は無論、自分の名前すら思い出せない状態だったため、医師の勧めで脳の機能を回復させるための刺激療法を受けることになり[7][8]、髄膜炎治療の入院に1年、周囲との隔たりを埋めていくのに3年もの時間を費やした[6]。それが原因で小学生のころはいじめられっ子であった。何もかも一からやり直しの状態であったが、母親の熱心な教育のおかげで人並み以上のレベルまで取り戻すことができた。彼はこの病気の過去を「“ロットン”への道を歩み始める第一歩」と語っている。なお、この病の影響で20歳代に10cm以上身長が伸びた。

セックス・ピストルズ

セックス・ピストルズ時代 (1977年)

小学生時代とは打って変わり、中学生からのライドンは退学処分を受けるほどの不良となり、10代後半はマルコム・マクラーレン(デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが共同経営者)のブティック「Sex」に頻繁に出入りするようになる[5]。この店を溜まり場としていたライドンをリーダー格とする不良グループ“ジョンズ”は、メンバー全員の名がJohnであることから名づけられた。

1975年にマクラーレンがアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズとの小ツアーから帰り、スティーヴ・ジョーンズやポール・クックと共に新たなバンドの結成を模索していたとき、ライドンが現れた。ライドンは「I Hate」とサインペンでなぐり書きされたピンク・フロイドのTシャツを着ており、店内でのオーディションでアリス・クーパーの「エイティーン」を歌った[5]。そしてバンドへ加入、バンド名はセックス・ピストルズに決まる。ピストルズは「アナーキー・イン・ザ・UK」や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」などの歴史的な曲を発表し、パンクの有名バンドとなった。曲は主に、メンバーのグレン・マトロックが書いていた。

ピストルズの後期、ライドンは、ヘロイン中毒である親友のシド・ヴィシャスの薬物治療の手助けをするが、結局シド・ヴィシャスはヘロインをやめられずまともに演奏できる状態ではなくなった。メンバー間の不仲も頂点に達し、バンドは最悪の状態になり、1978年1月14日、アメリカツアーのサンフランシスコ最終公演を最後にライドンは脱退を表明。ラストライブの最後に「騙された気分はどうだい」と言い放っている[9][10]。脱退表明時には「ロックは死んだ」と宣言した[11]

ピストルズ脱退後

PiL再結成ライブ (2011年)

ライドンは1978年4月に、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イメージ・リミテッド(PIL)を結成し、ファースト・アルバム『パブリック・イメージ』(Public Image - First Issue) を発表する[12]。メンバーと音楽性を変遷させながら活動を継続するが、1992年に活動休止となる[12]

1993年、初の自伝『Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs』を発表[13]。日本では1994年に『STILL A PUNK―ジョン・ライドン自伝』のタイトルで発売された[14]

1996年にセックス・ピストルズを再結成。ワールドツアーを開催し、約1か月にも及ぶ来日ツアー公演を行う[15]1997年には初のソロ・アルバム『サイコパス』(Psychos-Path) を発表する[12]

2007年、音楽ゲーム『ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック』に「アナーキー・イン・ザ・U.K.」が採用されたことで、本作のPRを始めるようになりセックス・ピストルズとして久しぶりに活動することになる。2003年以来ライブは行われていなかったが、ピストルズのスタジオ・アルバム『勝手にしやがれ!!』の発売30周年を記念し、11月にイギリス国内で再結成ツアーを行った[16]

2009年にPiLを再結成し、12月にイギリス国内で数回コンサートを行う。2011年にサマーソニックに出演、2012年に20年ぶりとなるアルバム『ディス・イズ・PiL』を発表した[12]

2014年、2作目の自伝となる『Anger Is an Energy: My Life Uncensored』を発表[13]。2016年に『ジョン・ライドン 新自伝 怒りはエナジー』として日本で発売された[17][18]

突然の変貌

おどけ顔のライドン (2008年)

2000年代に入ってから積極的にテレビへの出演を重ねるようになり[19]2004年にイギリスITVのリアリティ番組I'm A Celebrity Get Me Out Of Here』に出演。ジャングルでのサバイバルを他の出演者と競い合う番組で[19]、ライドンは尻をカメラにつきだしたり、ダチョウにつつかれたりと醜態をさらすが、この番組によって、皮肉にも一流コメディアンとして世間に再認識されることとなった。その後、イギリス・ディスカバリー・チャンネルにて『john lydon's megabugs』なる昆虫をテーマにしたシリーズ物にメインパーソナリティーとして出演。その他、白いチンパンジーやホオジロザメの特集番組にもそれぞれ出演する。これらのテレビ出演について、後にライドンはヴァージン・レコードに強いられた法的な縛りのせいだったことを明かしている[19]

2008年6月4日、リアリティ番組の収録中ライドンに暴力を振るわれたとして、番組の女性プロデューサーが、米ロサンゼルスの裁判所に訴えた[20][21]

人物

反抗的で不良じみたスタイルをまとってはいるものの、聡明な一面を持っており、英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組に出演した際、「英国を偉大なものにしたのは何か?」というテーマに対し、「俺だろ」とわざとシニカルに振舞った。

猫背は幼い頃に打った脊髄注射の影響で、睨み付けるような目つきはそうしないと焦点が合わないためであり、髄膜炎の後遺症である。

音楽について「音楽は俺の全てなんだ」と述べる一方で「昔から一貫して(音楽)ビジネスってヤツを否定的にしか見られない」と述べている[22]

攻撃的なスタイルである一方、病の後遺症の回復に尽くしてくれたこともあり、大変な母親思いという一面も持っている。

音楽の趣向

ピストルズ時代の衣装

ピストルズ以降の音楽活動では、PILでポストパンクの先陣を切って以降、オルタナティヴ・ロック、ポップ、ダンスなど、パンクにとらわれない幅広い音楽性を展開して来た[5][12]。母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。

1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリンピンク・フロイドロッド・スチュワート、などは「コーポレート・ロック」「オールド・ウェイブ」「ダイナソー・ロック」とレッテルをはられ、嘲笑された。このころにライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前にふざけてひざまつき、神の如く拝める仕草をし[注釈 1]、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みだといい(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。特に「カシミールの様な歌詞は俺には書けない」とプラントに告白している。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」とのこと。2012年1月のアメリカにおけるトークショー[23]では同バンドのレコード数枚は素晴らしく、メンバー数名も個人的に知っていて良いやつらだと語っている。

ピンクフロイドについては後年「俺は初期のピンクフロイドが大好きなんだ。勿論、70年代のいくつかの作品も好きだけどな」と語っている。特にシド ・バレットに対する評価は常に好意的なものである。

ジョン・レノンのことは非常に高く評価しており、彼の「労働者階級の英雄」に影響を受けてピストルズの詩作を始めたと明言している。また、ポール・マッカートニーについても「彼の事は好きだ。長年に渡っていい曲を書いてるんだ。ロックの歴史であの位置にいるのは当然さ」と評している[24]。またライドンは、フォーク・シンガーのロイ・ハーパーのファンでもある[25]。クリスチャン・バンドのU2については、「存在すべきじゃないバンド。あいつらの曲には人生経験なんかない」と評している[24]。また「コールドプレイレディオヘッドにはイライラする。魂がこもってない。無意味にしかみえない。ナイスだがただの戯言だ」と発言している[26]。タワー・レコードのバウンス誌が過去に報道したところでは、ライドンはエンゲルベルト・フンパーディンクのファンでもある。

女性ヴォーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用し、ソニック・ユースシュガーキューブスやL7などがブレイクを果たしている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスやマドンナなどを流していた。レディ・ガガを知性に裏付けられた独創性があると讃え(彼女のヒット曲、“Paparazzi” などを例に)[27]ケイト・ブッシュの声域が非常に高いにもかかわらず「本当に心に響いた」とも褒めている[28]

レディ・ガガについて「彼女は最高だよ。「パパラッチ」は2009年の傑作の1つだと思っている。彼女は面白くて頭がいい」と評している[24]。マドンナについては「しけててがむしゃらで真面目くさってる。彼女は好きじゃない。面白くないからな」と評している[24]

表立ってあまり公言はしていないものの、ザ・キンクスのファンであり特にレイ・デイヴィスに対して敬意を表している。「ガキの頃にユー・リアリー・ガット・ミーを聴いて全てが決まった」と語っている。また「PILのあるレコーディング中にアレンジで行き詰まった時、誰かに“キンクスみたいにやったらどうだ?”と言われたんだが“いつの時代のキンクスだよ⁉︎レイ・デイヴィスの作風の幅の広さを分かってないくせに!”って反論したよ」とかなりのマニアぶりを伺わせる発言もある。

グレン・マトロックと共にスウェーデン出身の音楽グループABBAのファンであり、「大好き」と公言している。

パブリック・イメージ・リミテッド結成当初からドイツの音楽グループ、クラフトワークに注目していたようで、ファンである事も明かしている。

歌詞・主張

マネージャーを務めた晩年のマルコム・マクラーレン (2009年)

セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を提案しろと言われたライドンが後日持って来た詞は「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関しての提案(艇案)であった。

ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など過激な歌詞をぶちまけている。

これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代の1977年6月に国粋主義者に襲われ[5]、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため2007年現在もイギリスからアメリカに居住を移したままである。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされた。

ライドンは「俺たちの(若い時期の)人生の大部分をサッチャー政権時代が占めており、それに目一杯抵抗する事がピストルズの役目であり挑戦だった。自分たちでもそれなりに精一杯やったと思うよ」と述べている[29]

楽曲「ライズ」について「この曲は20年くらい前に書いたもので、ネルソン・マンデラと当時の南アフリカ警察の拷問の手法について扱ったものなんだ。だから俺には本当に痛みの伴う作品なんだ」と述べている[30]

2013年に再結成PILとして北京と上海で行う公演のため中国に入国する前に、当局から「これまでの歌詞を全て提示するよう」要求されている[31]。ライドンは「政府にこれまで書いた歌詞を全て見せろと言われた。驚いたことに許可が下りた。相当趣味が良いか、そもそも俺が何やってるのか分かってないかのどっちかだ」と述べている[31][32]

交友関係

同僚だった故シド・ヴィシャス(B) 1978年

アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった。

ザ・フーのピート・タウンゼントは映画「クアドロフェニア」の主演の最初の候補に、ジョニー・ロットンを想定していたと語っている[33]。また、ライドンは、ピート・タウンゼントにはアマチュア時代から目を掛けてもらっており「ピートは俺にとって父親の様な存在だ!」と述べている。ピート・タウンゼントも「ジョンは凄いダイアモンド。インテリで頭がキレる」と絶賛している。

ローリング・ストーンズについては 「まあ、頑張ってほしいよ。ストーンズは俺の敵じゃない。ミック・ジャガーは俺たちにとってはすごくいい事をいくつかやってくれてて、初期のセックス・ピストルズでシドが面倒ばっかり起こしてた頃、ミックが裏で動いてくれてて、俺たちに弁護士やらいろんな事を紹介してくれてて、当時の俺たちにはできるはずのなかった事を提供してくれてたんだ」と述べている[34]

ピンク・フロイドシド・バレットデヴィッド・ギルモアロジャー・ウォーターズとも親交があり、マリブの邸宅は近所なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしている。ニューズ・ウィークのインタビューでライドンは、ドナルド・トランプグリーン・デイなどについて語っている。

婚姻関係

妻は音楽プロモーターだったノラ・フォースター(本名ノラ・メイヤー)。1979年からパートナーとなっている。

妻ノラは法的には結婚をしていないことを明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、前夫(ドイツ歌手フランク・フォースター)との間にできた娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである[35]

1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした[36]

2010年、義娘アリ・アップが乳がんで亡くなる。彼女には3人の子供(義孫になる)がおり、ノラと共に後見人となった[37]

2020年、コロナによる世界的パンデミックの最中、ジョン・ライドンは『ミラー』紙で近況について語っている。その中のインタビューでは、妻のノラがアルツハイマー病を患い、専門家を頼りつつフルタイムでの介護を行なっていると答えていた[38]。そして2023年4月、妻が亡くなった訃報を伝えた[39]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた。

出典

  1. ^ Lydon, John (2014). Anger Is An Energy: My Life Uncensored. Simon & Schuster. ISBN 978-1471137198 
  2. ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
  3. ^ “John Lydon talks football with Ian Wright” (Video interview). YouTube. London: Absolute Radio (2011年2月24日). 2022年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月12日閲覧。
  4. ^ “Sex Pistols John Lydon admits being Arsenal mad”. Tribal Football. (2015年9月17日). http://www.tribalfootball.com/articles/sex-pistols-john-lydon-admits-being-arsenal-mad-1274901 
  5. ^ a b c d e f “John Lydon - Biography”. Allmusic. 2016年3月21日閲覧。
  6. ^ a b “ジョン・ライドンが語る、少年時代やシド・ヴィシャスの思い出、自身の食材遍歴”. RO69 (2015年10月22日). 2016年3月21日閲覧。
  7. ^ “ピストルズのジョン・ライドン、子供時代に患った髄膜炎とその“最悪感”を語る”. ガジェット通信 (2012年4月20日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月18日閲覧。
  8. ^ “ジョン・ライドン、子供時代に昏睡状態に陥り「怒りはエネルギーだ」と学んだと語る”. RO69 (2015年5月11日). 2016年3月21日閲覧。
  9. ^ “SEX PISTOLS Biography”. デストロイ・エキサイト:Destroy.excite. 2013年8月29日閲覧。
  10. ^ セックス・ピストルズ『伝説のラスト・ライヴ』
  11. ^ “「○○は死んだ」は誰の発言? ジャンルへの死亡宣告まとめ”. OOPS! (2011年12月16日). 2013年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月18日閲覧。
  12. ^ a b c d e “Biography - パブリック・イメージ・リミテッド”. Universal Music Japan. 2016年3月23日閲覧。
  13. ^ a b “John Lydon: ‘I’m not the world’s most perfect person’”. The Irish Times (2014年10月20日). 2016年3月23日閲覧。
  14. ^ “STILL A PUNK―ジョン・ライドン自伝”. RO69. 2016年3月23日閲覧。
  15. ^ “セックス・ピストルズ、96年日本ツアー中のスナップ・ショット×10枚が見れます♪”. RO69 (2014年4月17日). 2016年3月23日閲覧。
  16. ^ “セックス・ピストルズ再結成ライブ、評価は上々”. AFP (2007年11月10日). 2016年3月23日閲覧。
  17. ^ “セックス・ピストルズ/パブリック・イメージ・リミテッドのジョン・ライドン 2冊目の自伝が邦訳化決定”. amass (2016年3月2日). 2016年3月23日閲覧。
  18. ^ “ジョン・ライドン新自伝 怒りはエナジー”. シンコーミュージック・エンタテイメント. 2016年6月7日閲覧。
  19. ^ a b c “ジョン・ライドン、リアリティ番組やテレビCMへの出演を振り返る”. RO69 (2013年12月5日). 2016年3月21日閲覧。
  20. ^ “ピストルズのジョン・ライドン、女性殴って訴えられる”. AFPBB NEWS (2008年6月5日). 2013年9月3日閲覧。
  21. ^ “セックス・ピストルズのジョン・ライドン、女性を殴打し訴えられる”. ガジェット通信 (2008年6月7日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月5日閲覧。
  22. ^ “PILが20年ぶり新作をリリース! ジョン・ライドン「オーディション番組は音楽をバカにしてる」”. ガジェット通信 (2012年5月30日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月3日閲覧。
  23. ^ george s's INTERVIEW_ John Lydon January 2012 -4.mp4 - YouTube 2012年8月2日閲覧。
  24. ^ a b c d “ジョン・ライドン、レディー・ガガからの誉め言葉に上機嫌”. BARKS (2010年7月20日). 2013年9月3日閲覧。
  25. ^ http://thispublicaddress.com/tPA1/.../roy-harper-the-spirit-lives.html
  26. ^ “ジョン・ライドン「UKには俺が必要!」”. BARKS (2009年12月17日). 2013年9月3日閲覧。
  27. ^ John Lydon On Lady Gaga and Madonna - YouTube 2012年8月2日閲覧。
  28. ^ スケーター雑誌、Supreme Book Vol.6にて。
  29. ^ “ジョン・ライドン「サッチャーの死を祝う連中はさすがに下衆だ」”. ガジェット通信 (2013年4月12日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月3日閲覧。
  30. ^ “ジョン・ライドン、ネルソン・マンデラが死ぬようなことがあったらちゃんと天国に行ってほしいと語る”. RO69 (2013年7月2日). 2013年9月3日閲覧。
  31. ^ a b “中国がクラフトワークの入国を拒否! ジョン・ライドンは過去の楽曲の歌詞を全て提示”. ガジェット通信 (2013年4月1日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月3日閲覧。
  32. ^ “クラフトワーク、中国が入国ビザを拒否”. BARKS (2013年3月29日). 2013年9月3日閲覧。
  33. ^ http://ultimateclassicrock.com/pete-townshend-reveals-johnny-rotten...
  34. ^ “ジョン・ライドン、グラストンベリーのストーンズは「様子がおかしかった」と語る”. RO69 (2013年7月20日). 2013年9月3日閲覧。
  35. ^ 2004年4月18日付「The Sunday Times」
  36. ^ “John Lydon 16年前の飛行機爆破事件にまつわる恐怖体験を語る”. Vibe-net (2004年2月23日). 2012年5月25日閲覧。
  37. ^ “ジョン・ライドンの妻ノラ・フォースターが死去、ザ・スリッツのアリ・アップの母親”. amass (2023年4月7日). 2023年4月9日閲覧。
  38. ^ “ジョン・ライドン、アルツハイマーを患っている妻の介護について語る”. NME Japan (2020年6月12日). 2023年3月4日閲覧。
  39. ^ “ジョン・ライドン、妻のノラ・フォースターがアルツハイマー病で亡くなる”. NME JAPAN (2023年4月7日). 2023年4月9日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ジョン・ライドンに関連するカテゴリがあります。
  • 公式ウェブサイト
  • ジョン・ライドン (johnlydonofficial) - Facebook
  • ジョン・ライドン (@lydonofficial) - X(旧Twitter)
  • ジョン・ライドン - YouTubeチャンネル
  • PiL Official Website
  • SEX PISTOLS Official Website
  • 洋楽 ジョン・ライドン、独占インタビューを掲載! | 特集 - RO69(アールオーロック)
ジョン・ライドン - スティーヴ・ジョーンズ - ポール・クック - グレン・マトロック
シド・ヴィシャス
シングル
アルバム
オリジナル
サウンドトラック
ライヴ
映像作品
  • ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル (映画)
関連項目
カテゴリ カテゴリ 
  1. ウィンストン・チャーチル
  2. イザムバード・キングダム・ブルネル
  3. ダイアナ
  4. チャールズ・ダーウィン
  5. ウィリアム・シェイクスピア
  6. アイザック・ニュートン
  7. エリザベス1世
  8. ジョン・レノン
  9. ホレーショ・ネルソン
  10. オリバー・クロムウェル
  11. アーネスト・シャクルトン
  12. ジェームズ・クック
  13. ロバート・ベーデン=パウエル
  14. アルフレッド大王
  15. アーサー・ウェルズリー
  16. マーガレット・サッチャー
  17. マイケル・クロフォード
  18. ヴィクトリア
  19. ポール・マッカートニー
  20. アレクサンダー・フレミング
  21. アラン・チューリング
  22. マイケル・ファラデー
  23. オワイン・グリンドゥール
  24. エリザベス2世
  25. スティーヴン・ホーキング
  26. ウィリアム・ティンダル
  27. エメリン・パンクハースト
  28. ウィリアム・ウィルバーフォース
  29. デヴィッド・ボウイ
  30. ガイ・フォークス
  31. レナード・チェシャー
  32. エリック・モーカム(英語版)
  33. デビッド・ベッカム
  34. トマス・ペイン
  35. ブーディカ
  36. スティーヴ・レッドグレーヴ
  37. トマス・モア
  38. ウィリアム・ブレイク
  39. ジョン・ハリソン
  40. ヘンリー8世
  41. チャールズ・ディケンズ
  42. フランク・ホイットル
  43. ジョン・ピール
  44. ジョン・ロジー・ベアード
  45. アナイリン・ベヴァン
  46. ボーイ・ジョージ
  47. ダグラス・バーダー
  48. ウィリアム・ウォレス
  49. フランシス・ドレーク
  50. ジョン・ウェスレー
  51. アーサー王
  52. フローレンス・ナイチンゲール
  53. トーマス・エドワード・ロレンス
  54. ロバート・スコット
  55. イーノック・パウエル(英語版)
  56. クリフ・リチャード
  57. アレクサンダー・グラハム・ベル
  58. フレディ・マーキュリー
  59. ジュリー・アンドリュース
  60. エドワード・エルガー
  61. エリザベス王太后
  62. ジョージ・ハリスン
  63. デイビッド・アッテンボロー
  64. ジェームズ・コノリー
  65. ジョージ・スチーブンソン
  66. チャールズ・チャップリン
  67. トニー・ブレア
  68. ウィリアム・キャクストン
  69. ボビー・ムーア
  70. ジェイン・オースティン
  71. ウィリアム・ブース
  72. ヘンリー5世
  73. アレイスター・クロウリー
  74. ロバート1世
  75. ボブ・ゲルドフ
  76. 無名戦士
  77. ロビー・ウィリアムズ
  78. エドワード・ジェンナー
  79. デビッド・ロイド・ジョージ
  80. チャールズ・バベッジ
  81. ジェフリー・チョーサー
  82. リチャード3世
  83. J・K・ローリング
  84. ジェームズ・ワット
  85. リチャード・ブランソン
  86. ボノ
  87. ジョン・ライドン
  88. バーナード・モントゴメリー
  89. ドナルド・キャンベル(英語版)
  90. ヘンリー2世
  91. ジェームズ・クラーク・マクスウェル
  92. J・R・R・トールキン
  93. ウォルター・ローリー
  94. エドワード1世
  95. バーンズ・ウォリス
  96. リチャード・バートン
  97. トニー・ベン
  98. デイヴィッド・リヴィングストン
  99. ティム・バーナーズ=リー
  100. マリー・ストープス
カテゴリ カテゴリ
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • ドイツ
  • フィンランド
  • ベルギー
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • 日本
  • チェコ
  • 韓国
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポーランド
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • MusicBrainz
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
その他
  • IdRef