タンクレード・ネーヴェス

この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はデ・アルメイダ、第二姓(父方の姓)はネーヴェスです。
タンクレード・ネーヴェス
Tancredo Neves
タンクレード・ネーヴェス(1983年撮影)
生年月日 1910年3月4日
出生地 ブラジルの旗 ブラジル ミナスジェライス州サン・ジョアン・デル・レイ
没年月日 (1985-04-21) 1985年4月21日(75歳没)
死没地 ブラジルの旗 ブラジル サンパウロ州サンパウロ
出身校 ミナス・ジェライス連邦大学
所属政党 ブラジル民主運動党
配偶者 リゾネタ・ネーヴェス
子女 イネズ・マリア・ネーヴェス
マリア・ド・カルモ・ネーヴェス
タンクレード・アウグスト・ネーヴェス
親族 フランシスコ・ドルネレス(甥)
アエシオ・ネーヴェス(孫)
宗教 キリスト教カトリック
サイン

ブラジルの旗 ブラジル合衆国
初代 閣僚評議会議長
在任期間 1961年9月8日 - 1962年7月12日
大統領 ジョアン・グラール

在任期間 1983年3月15日 - 1984年8月14日
副知事 エリオ・ガルシア

選挙区 ミナスジェライス州
在任期間 1979年2月1日 - 1983年3月15日

ブラジルの旗 ブラジル合衆国
第50代 法務大臣
在任期間 1953年6月26日 - 1954年8月24日
大統領 ジェトゥリオ・ヴァルガス

ブラジルの旗 ブラジル合衆国
代議院議員
選挙区 ミナスジェライス州
在任期間 1951年3月12日 - 1953年6月25日
1954年8月30日 - 1955年2月1日
1963年2月3日 - 1979年2月1日
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タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェスポルトガル語: Tancredo de Almeida Neves, 1910年3月4日 - 1985年4月21日)は、ブラジル政治家ブラジル連邦共和国大統領当選者であった。

ブラジル・ミナスジェライス州出身。ミナス・ジェライス連邦大学で学んだ。ミナス・ジェライス州知事をつとめた。

74歳のとき、国会議員を中心とする選挙人による間接選挙で、野党だったブラジル民主運動党(PMDB)から、大統領の候補として立った。軍事政権下の与党社会民主党(PSD)から分裂した自由戦線党(PFL)の支持を得て、1985年1月15日の選挙では480対180の大差で大統領に選ばれた[1][2]。21年ぶりの文民大統領となるため国民から期待されたが、3月14日の大統領就任式前夜、ミサ中に倒れ急遽ブラジリアの病院に担ぎ込まれた。社会現象になるほど国民が心配し見守る中7回の手術を受けたが、38日後にサンパウロで死去した。75歳であった。

大統領としての執務は連立相手の自由戦線党から出た副大統領ジョゼ・サルネイが代行し、結局ネーヴェス自身が大統領に就任することはなかった。ブラジル社会民主党党首のアエシオ・ネーヴェス(英語版)は孫にあたる。

出典

  1. ^ Riordan Roett and Scott D. Tollefson "The Transition to Democracy in Brazil", Current History, January 1986, p21.
  2. ^ 堀坂浩太郎『ブラジル 跳躍の奇跡』(岩波新書)、岩波書店、2012年、40頁。
公職
先代
ジョアン・フィゲイレド
ブラジルの旗 ブラジル連邦共和国大統領
(就任せず)1985
次代
ジョゼ・サルネイ
旧共和政
(1889–1930)
ヴァルガス時代
(1930–1945)
ポプリズモ時代
(1946–1964)
軍事政権
(1964–1985)
民政移管後
(1985–)
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