城達也

曖昧さ回避 城辰也」とは別人です。
じょう たつや
城 達也
1962年
1962年
プロフィール
本名 城 達也[1]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本大分県別府市[2]
生年月日 (1931-12-13) 1931年12月13日
没年月日 (1995-02-25) 1995年2月25日(63歳没)
血液型 A型[3]
職業 声優俳優ナレーター
事務所 東京俳優生活協同組合(最終)[1]
公称サイズ(時期不明)[1]
身長 / 体重 162 cm / 55 kg
活動
活動期間 1950年代 - 1994年
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城 達也(じょう たつや、1931年昭和6年〉12月13日[4][5] - 1995年平成7年〉2月25日[6])は、日本声優俳優ナレーターである。東京俳優生活協同組合に所属していた[1]

来歴

大分県別府市出身[2]大分県立別府鶴見丘高等学校[7]、1955年、早稲田大学第一文学部仏文専修卒業[8]

劇団化粧座[9]、劇団東京[10]、プレーヤーズ・センター[8]、タレント・エージェント[10][8]、フリーランス期間[11]を経て、東京俳優生活協同組合に所属し[1][8]、在籍中は専務理事を務めた。

大学在学中に俳優としてデビューし『七人の刑事』などに出演していたが、1961年にその美声を生かして俳協に移籍し声優業に転向[7]。以後、FMラジオ番組『JET STREAM』の初代パーソナリティ、テレビ番組『ビッグイベントゴルフ』などといった番組やコマーシャルのナレーション、またグレゴリー・ペックロバート・ワグナーなどの洋画の吹き替えなどで絶大な人気を集めた[注 1]。特に『JET STREAM』のパーソナリティは、1967年7月の放送開始から1994年12月まで27年半(7387回)に渡って務めたことから、城の代名詞的番組と捉えられた[6]

1975年には「ナレーターとしては黒沢良矢島正明と並び三羽烏に入る」と評されており[12]1979年にはACC賞(ナレーション部門)を受賞[6]

1993年12月に喉の不調を訴え[注 2]検査を受けた結果、食道癌に侵されていることが判明。その時点で、すぐに入院して手術を受けるよう医師から勧められるが、『JET STREAM』の放送が入院により途切れてしまうことを心配してすぐには入院せず、約2か月間まとめ録りを行ってから[注 3]1994年2月末に入院し、同年3月1日に癌の摘出手術を受ける[注 4]。5月に退院後も治療を受け、番組収録前に点滴を打つなどできる限り声質を保つようにしながら仕事を続けたが、実際には癌を患う前に比べ声が擦れるなどにより本調子とは言えず、8月に肝臓への癌転移が判明してからは入退院を繰り返すようになった。最終的には「自分が納得できる声が出せなくなった」と感じるようになり、放送開始から27年半ずっと担当した『JET STREAM』の降板を決意し、1994年12月31日(30日深夜)の放送を最後に降板した[注 5][注 6]。その直後に再入院するが、1995年に入り黄疸が出て急激に痩せるなど病状が悪化する。同年2月25日午後8時10分、食道癌のため、東京都新宿区の慶応義塾大学病院で死去[6]。63歳没。

没後、2008年に第2回声優アワード特別功労賞を受賞[13]

人物・エピソード

声種バリトン[10]。城の声について、『JET STREAM』の企画に携わった伊東恒は「渋みがあって、心を揺さぶってくれるような声」と評している。タモリは城が死去した際、自身が司会を務める『笑っていいとも!』内のコーナー「テレフォンショッキング」の冒頭で、「城達也さんが亡くなられました。私は城達也さんに薬の使用上の注意を読み上げてもらったことがあるんですが、聞き入ってしまって言葉にならない感動があった。あれは感動しましたね」と語っている。弟子に小野田英一らがいる。

趣味は仕事とハンディ9でのゴルフ[6]。特技は乗馬[1]

愛煙家であり、「これ(タバコ)がないと落ち着かない」と自認するほどだった。ある対談では「城さんほどの良いお声をお持ちの方だと、タバコは吸われないんでしょうね」と言われた際、すかさずタバコを取り出して深々と煙を吸い込んで笑顔を見せたため、対談相手を戸惑わせたという。

1966年に『土曜洋画劇場』で『子鹿物語』が放送されてからは、グレゴリー・ペックの吹き替えを専属(フィックス)として[14][15]ほとんどの作品で担当した。自身が吹き替えたペック出演作の中では『ローマの休日』『子鹿物語』『白鯨』の三本が印象深いと語り、特に『白鯨』は、収録後三日間声が思うように出なくなるほど執念を込めて演じたという。また、ペックについて「演じて出てくる優しさ、人柄の良さ」が好きだと語っている[16]

若手時代には自分の声をテープに録音して何度も聞き返して研究していたとされる[17]

仕事が決まればすぐに台本を求め、何度も読み返しながら収録に臨み、作品に取り組んでいた[17]

松田咲實によれば、城に団子屋のCMナレーションのオファーが入ったことがあり、新人マネージャーだった松田がそれを承諾したが、その内容はコミカルなもので、城のイメージに合わないものであった[17]。俳協内では「城さんにこんな仕事をお願いすることは失礼だ」との声もあったが、城は汗だくになりながら収録を終え、「やっぱり、僕はこのようなコメントは下手だね。勉強が足りないね」と自身のナレーション技術に対して反省の意を述べたとされる[17]

JET STREAM

城の『JET STREAM』への熱意は、本人にとって「生きがい」と呼べるほど並々ならぬものであった。収録の際は「夜間飛行のお供をするパイロット」という舞台設定に入り込むため、必ず背広を着用[注 7]、スタジオの照明を暗くして収録するなど、番組に対して真摯なプロ意識を持っていたという。また、食道癌発症後、他の番組は手術時までにほとんど降板したが、『JET STREAM』だけはしばらく続けていた。

『JET STREAM』の放送が始まってからは、機長としてのイメージを壊さないように顔出しでのテレビ出演はほとんど断っていた。出演が確認されている番組には、1990年5月11日放送の『徹子の部屋』、1972年放送のNHKドラマ『タイム・トラベラー[注 8]』などがある。

『JET STREAM』は海外旅行を題材にした番組だったが、城自身は担当期間中海外旅行には一度も行っていなかった。そのためか、番組降板の際「これから旅に出ようかな」と周囲に語っていたが、直後に体調が悪化し再入院となったため実現しなかった。

『JET STREAM』降板後も仕事への熱意は持ち続けており、死去する直前には「3月にはアニメの仕事があるので行かなくちゃ」と妻に語っていた。このオファーは城の入院を知った俳協が事前にキャンセルしており、そのことは城本人にも伝わってはいたが、城は最期まで「(病気は)治るから大丈夫だ」と言っていたという[6]

出演作品

吹き替え

太字は、主役・メインキャラクター。

担当俳優

グレゴリー・ペック
  • 子鹿物語(1966年、エズラ・バクスター)※NET
  • 艦長ホレーショ(1968年、ホレーショ・ホーンブロワー)※NET版
  • 渚にて(1968年、ドワイト・タワーズ中佐)※NET版
  • 白鯨(1968年、エイハブ船長)※NET版
  • 恐怖の岬(1968年、サム・ボーデン)※NET版
  • 世界を彼の腕に(1968年、ジョナサン・クラーク)※NET版
  • 無頼の群(1968年、ジム・ダグラス)※TBS
  • キリマンジャロの雪(1969年、ハリー・ストリート)※NET版
  • アラベスク(1969年、デヴィッド・ポロック教授)※TBS版
  • 廃墟の群盗(1970年、ジェームズ・ドーソン)※NET版
  • 紫の平原(1970年、ビル・フォレスター)※TBS版
  • 白い恐怖(1970年、ジョン・パラダイン)※NET版
  • 日曜日には鼠を殺せ(1971年、マヌエル・アルティゲス)※NET版
  • 頭上の敵機(1971年、サヴェージ将軍)※NET版
  • 春風と百万紙幣(1971年、ヘンリー・アダムス)※TBS版
  • 紳士協定(1971年、フィリップ・グリーン)※NET版
  • 蜃気楼(1971年、デーヴィッド・スティルウェル )※NET版
  • ニューマンという男(1972年、ジョナサン・ニューマン軍医)※TBS版
  • 白昼の決闘(1972年、ルート・マキャンレス)※NET版
  • ローマの休日(1972年、ジョー・ブラッドレー)※フジテレビ
  • 勝利なき戦い(1972年、ジョー・クレモンス中尉)※NET版
  • ナバロンの要塞(1972年、キース・マロリー大尉)※NET版
  • 子鹿物語(1972年、エズラ・バクスター)※NET新版
  • アラバマ物語(1972年、アティカス・フィンチ)※NET版
  • アラベスク(1973年、デヴィッド・ポロック教授)※フジテレビ版
  • 大いなる西部(1973年、ジェームズ・マッケイ)※NET版
  • 渚にて(1973年、ドワイト・タワーズ中佐)※日本テレビ
  • 勇者のみ(1974年、リチャード・ランス大尉)※東京12ch版
  • 宇宙からの脱出(1975年、チャールズ・キース)※NET版
  • 大いなる西部(1976年、ジェームズ・マッケイ)※NET版
  • 宇宙からの脱出(1977年、チャールズ・キース)※テレビ朝日
  • レッド・ムーン(1978年、サム・ヴァーナー)※フジテレビ版
  • キリマンジャロの雪(1978年、ハリー・ストリート)※テレビ朝日版
  • オーメン(1979年、ロバート・ソーン)※TBS版
  • 新・ガンヒルの決闘(1979年、クレイ・ローマックス)※東京12ch
  • マッケンナの黄金(1979年、マッケンナ―)※テレビ朝日
  • ローマの休日(1979年、ジョー・ブラッドレー)※テレビ朝日版
  • 宇宙からの脱出(1980年、チャールズ・キース)※東京12ch版
  • マッカーサー(1980年、ダグラス・マッカーサー)※TBS版
  • オーメン(1981年、ロバート・ソーン)※LD
  • ブラジルから来た少年(1984年、ヨーゼフ・メンゲレ)※フジテレビ版
  • シーウルフ(1984年、ルイス・パフ大佐)※テレビ東京
  • 白鯨(1984年、エイハブ船長)※TBS版
  • ナバロンの要塞(1988年、キース・マロリー大尉)※テレビ東京版
  • 私が愛したグリンゴ(1990年、アンブローズ・ビアス)※ソフト
  • ローマの休日(1994年、ジョー・ブラッドレー)※ソフト版
ジェームズ・ブラウン(英語版)
スティーブ・マックイーン
ロバート・ワグナー
  • スパイのライセンス(1969年-1971年、アレックス・マンデー)※TBS版
  • 夜の誘惑(1972年、マイク・バニング)※NET版
  • コルディッツ大脱走(英語版)(1974年、フィル・キャリントン)※日本テレビ版
  • 華麗な探偵ピート&マック(1976年-1978年、ピート・ライアン)※テレビ朝日版
  • タワーリング・インフェルノ(1979年、ダン・ビグロー)※フジテレビ版
  • ミッドウェイ(1979年、アーネスト・ブレーク)※TBS版
  • 探偵ハート&ハート(1981年-1982年、ジョナサン・ハート)※TBS版
  • エアポート'80(1982年、ケヴィン・ハリスン博士)※テレビ朝日版
  • タワーリング・インフェルノ(1984年、ダン・ビグロー)※日本テレビ版
  • 神々の風車(英語版)(1990年、マイク・スレイド)※テレビ東京版

映画

1962年

1964年

  • 嵐に叛く女デビッドウェンデル・コーリイ(英語版)〉)※日本テレビ版

1968年

1969年

  • 頭上の脅威(ガイヤック大尉〈アンドレ・スマッグ〉)※TBS版

1970年

1971年

  • 上と下リチャードマイケル・クレイグ(英語版)〉)※TBS版

1972年

1985年

1986年

1988年

1991年

1993年

1994年

ドラマ

1957年

  • ソニー号空飛ぶ冒険(英語版)ムーアクレイグ・ヒル(英語版)〉)※KRT

1958年

1960年

  • ミステリーゾーン(1959年 − 1967年)※日本テレビ版、TBS版
    • 第137話『ある改造』(リック、ジャック、レックス 〈リチャード・ロング〉)[18]
    • 第153話『最後の支配者』(ウォーレンス・V・ウィップルリチャード・ディーコン(英語版)〉)[19]

1964年

  • バージニアンバージニアンジェームズ・ドルーリー(英語版)〉)※NET版
  • 逃亡者 ※TBS版
    • 第93話 『裁きの日 第2部』 (スローン警部補〈リチャード・アンダーソン〉)

1966年

  • ザ・バロン(デビッド・マーロウポール・フェリス(英語版)〉)※フジテレビ版

1974年

1975年

  • 命がけの青春/ルーキーズ(英語版) (マイク・ダンコ巡査サム・メルヴィル(英語版)〉)※フジテレビ版

海外人形劇

1968年

放映日不詳

  • ミズーリ大平原(チャールトン・ヘストン
  • スカーレット&ブラック(テレビ東京) - ヒュー・オフラハーティ司教
  • 遠い太鼓(東京12チャンネル) - リチャード・タフト海軍中尉(リチャード・ウェッブ)
  • パパは名ドライバー(バートン)

ラジオ

テレビアニメ

劇場版アニメ

  • 銀河鉄道999 - ナレーション
  • さよなら銀河鉄道999 - ナレーション[21]
  • はだしのゲン - ナレーション
  • 火の鳥 鳳凰編 - ナレーション

テレビドラマ

映画

CD

  • JET STREAM
同名ラジオ番組をCD化したもの。今まで何度か再プレスされるなどして複数の版が存在する。
2002年には、10枚組みのCD「JALとFM東京から出されたもの」が出されている。

カセットテープ

ナレーション

ドラマ・番組

第270話「妻は夫の秘密をさぐるな」(1970年)
第296話「走れ蒸気機関車!恐怖の逃亡者」(1970年)
第310話「女子学園スキャンダル殺人」(1971年)
第317話「恋人を殺して姉弟心中」(1971年)
地上の星座(1974年)
離婚・ゆれる幸福(1978年)

CM

テレビ

※すべてナレーション。

ほか多数
ラジオ
  • カネボウ - 「ダンディマークIII」(1973年)
  • トリオ商事 - 時報CM(1970年代 - 1980年。1979年に放送した「トリオ・ハイスピードアンプ」では山下達郎スキャットを務めている[注 24]
  • サントリー - 「サントリーレッド」(1968年・1970年)、「サントリー純生」(1972年)、「サントリーオールド」(1981年)
  • 大林組 - 企業広告(1972年)
  • 松下電器産業 - 「テクニクスSC-1600」(1970年)

テレビ番組

※すべて顔出しでの出演

記録映画

すべてナレーション(※一部作品のみスタッフクレジットあり)。

その他

※すべてナレーション

著書

  • “ジェットストリーム”にひとり (1981年) PHP研究所

関連書籍

  • JET STREAM旅への誘い詩集 -遠い地平線が消えて(2010年) - 城が朗読した詩から100篇を厳選して収載。

後任

城の死後、役を引き継いだ人物は以下の通り。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 二人の吹き替えは、城でなければ視聴者から苦情が来たほどだったという。
  2. ^ 60歳を過ぎた頃から、極度の疲労感が度々あったという。
  3. ^ 『JET STREAM』のナレーションは、通常は週に一度1週間分をまとめて収録していたが、この時(翌年2月末まで)は一回の収録で2、3週間分を一気に録音していた。
  4. ^ 城はこの時「声帯は私の命。声が変わらぬよう、ぜひよろしくお願いします。」と担当医に頼み込んだという。
  5. ^ 番組の生みの親で、当時放送局であるTOKYO FMの社長になっていた後藤亘が久々に番組を聴いたところ「まるで別人」「このままでは彼のイメージが壊れる」と思うほどだったといい、このことを伝えようと11月末に城を社長室に呼ぶと「ご心配かけました。腹を決めました」と自ら降板を切り出したという。
  6. ^ 最後の収録は同年12月13日(城にとっては最後の誕生日となった)に行われた。
  7. ^ 航空会社における定期運送用操縦士制服はダブルのスーツスタイルである。
  8. ^ 語り手としての出演。頭から照明を落とすダウンライトを使い、顔を映りにくくする配慮がなされていた。
  9. ^ ※KBS京都(制作局)と独立局の一部で放送。城がナレーションした当時は録画放送。
  10. ^ ※グループ企業をまとめて記載。
  11. ^ ※1985年に放映した「ダイヤモンド婚約指輪」は小林清志とナレーションで共演。城は各地区の店舗読みをナレーションした。
  12. ^ ※主にフジテレビなるほど!ザ・ワールド』の番組中に放映されるCMのナレーションを担当した。
  13. ^ 味の素ゼネラルフーズ(AGF)を含む。
  14. ^ ※1985年の正月に放映した、「ひらけ、じぶん。」篇には吉川晃司が出演している(※CMソングは吉川のシングル曲、「You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜」)。
  15. ^ ※2つの商品をまとめて放映したため、「・」と表記した。
  16. ^ (※「北斎の波」はAC公共広告機構)
  17. ^ (※「新玄」はグループ会社の武田食品工業が販売)
  18. ^ (※「東芝住宅メイゾン」はグループ会社の東芝住宅産業が販売)
  19. ^ (商品名:1974年は「東芝ロータリーエアコン木かげ」、1983年は「東芝インバーターエアコン木かげ」)
  20. ^ ※「INS高度情報通信システム」を除く各CMは、民営化時に設立された日本電信電話(NTT)となった後に放映された。
  21. ^ ※「覚せい剤やめますか?それとも人間やめますか?」というキャッチコピーのCM。
  22. ^ ※7時(19時)の時報を知らせるナレーション。1980年頃に放映。
  23. ^ (※ボーデンジャパン - 「レディーボーデンクラシック」(1992年)のナレーションも担当)
  24. ^ ※山下のこだわりの1つに「顔出し出演はしない」がある。しかし、声のみの出演(ラジオを含む)やインタビュー風景の静止画の放映はその対象とはならない。詳細は「山下達郎#こだわり」を参照。
  25. ^ 日立製作所国分工場で製造した変圧器の輸送を追ったドキュメント作品。劇中にはシキ700大物車)による鉄道輸送、日本通運のトレーラーへの積み換え(※柏駅で実施)とその輸送の様子が映る)
  26. ^ (※この作品には英語のナレーションもある。そのナレーションは矢口堅三が担当した)
  27. ^ ※「ダルム」は医学用語ドイツ語)。日本語に訳すると「」であり、焼肉ではホルモンと呼ばれる[23]
  28. ^ ※冒頭に「1973年5月」というナレーションがある(注:アメリカ航空宇宙局(NASA)による「スカイラブ計画」を開始した年月を指す)。
  29. ^ (※同プラネタリウムは会期終了後、神戸市立青少年科学館に移設された)
  30. ^ 小野田が担当したのは2000年3月まで。2020年現在は福山雅治が担当。
  31. ^ 番組内では「パイロット」と称した。

出典

本文中の出典

  1. ^ a b c d e f 『日本タレント名鑑(1994年版)』VIPタイムズ社、1994年、179頁。 
  2. ^ a b 城 達也 とは. コトバンクより2022年1月9日閲覧
  3. ^ 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、83頁。 
  4. ^ a b c d 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、89 - 90頁。NDLJP:12276264/45。 (要登録)
  5. ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年7月、486頁。ISBN 4-415-00878-X。 
  6. ^ a b c d e f “ジェット・ストリーム司会の城達也さん死去/復刻 (1995年3月3日付)”. 日刊スポーツ (2017年3月3日). 2020年8月15日閲覧。
  7. ^ a b ラジオライフ』第2巻第3号、三才ブックス、1981年5月1日、74頁。 
  8. ^ a b c d 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1964年、155頁。 
  9. ^ 勝田久『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』駒草出版、2017年2月22日、203頁。ISBN 978-4-905447-77-1。 
  10. ^ a b c 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、86頁。 
  11. ^ 『キネマ旬報年鑑』《昭和35年版》キネマ旬報社、1960年、425頁。 
  12. ^ 佐伯浩明「ささやく"深夜のパイロット"」『夕刊フジ』、産業経済新聞社、1975年9月18日、9頁。 
  13. ^ “第二回声優アワード受賞者”. 声優アワード. 2020年8月15日閲覧。
  14. ^ “「この俳優はこの声」森山さん死去で思い出す名調子”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ). (2021年2月20日). https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/202102120000340_m.html?mode=all 2023年7月9日閲覧。 
  15. ^ “「ローマの休日」4Kレストア・日本語吹替版の予告解禁、上映劇場は全国74館”. 映画ナタリー (映画ナタリー編集部). (2024年3月15日). https://natalie.mu/eiga/news/565100 2024年3月20日閲覧。 
  16. ^ 淀川長治『映画はブラウン館の指定席で』テレビ朝日、1986年。ISBN 4881310798。 
  17. ^ a b c d 松田咲實「第2章 業界の仕組み」『声優白書』オークラ出版、2000年3月1日、107 - 108頁。ISBN 4-87278-564-9。 
  18. ^ 池田憲章、『ミステリー・ゾーン/未知の世界 傑作選 Vol.5』 Disc 3、ジャケット裏解説文、パイオニアLDC、1998年
  19. ^ 池田憲章、伊藤秀明、『ミステリー・ゾーン/未知の世界 傑作選 Vol.7』 Disc 3、ジャケット裏解説文、パイオニアLDC、1998年
  20. ^ “忍風カムイ外伝”. エイケン オフィシャルサイト. 2016年6月11日閲覧。
  21. ^ “さよなら銀河鉄道999|キャラクター/キャスト”. 東映アニメーション. 2022年11月23日閲覧。
  22. ^ “昭和53年・日本アイビーエム・企業・無量大数篇・60秒”. ミューゼオ (2022年3月30日). 2022年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月19日閲覧。
  23. ^ “久留米焼きとり【うしなりとぶたよの場合】”. 久留米シティプロモーション実行委員会. 2023年6月30日閲覧。
  24. ^ “神戸市立青少年科学館”. 生涯学習. 神戸市. 2023年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月11日閲覧。
  25. ^ 「花博の「のーんびり村」」『世界日報』(PDF)、NPO法人日韓トンネル研究会、1990年6月12日。2023年2月19日閲覧。オリジナルの2022年7月28日時点におけるアーカイブ。

記録映画の出典

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  2. ^ “音響創造 -電子の技術-”. NPO法人科学映像館. 配信映画. NPO法人科学映像館を支える会. 2023年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  3. ^ “パルスの世界-エレクトロニクスと生体と-”. NPO法人科学映像館. 配信映画. NPO法人科学映像館を支える会. 2022年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  4. ^ “力の技術-モートル-”. NPO法人科学映像館. NPO法人科学映像館を支える会. 2022年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
  5. ^ “結晶と電子-エレクトロニクスと生体と-”. NPO法人科学映像館. 配信映画. NPO法人科学映像館を支える会. 2022年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
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  7. ^ “生活と寸法-モデュラー・コーディネーション-”. NPO法人科学映像館. 配信映画. NPO法人科学映像館を支える会. 2021年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。
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