焔の舌

福音派きよめ派の源流の一つ
ホーリネス
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人物

中田重治
かつ子あやめ羽後
笹尾鉄三郎秋山由五郎
C・E・カウマンカウマン夫人
E・A・キルボルン山崎亭治
車田秋次森五郎
野辺地天馬三谷種吉
米田豊一宮政吉菅野鋭
小原十三司小原鈴子
小出朋治小出忍

金森通倫渡辺善太

焔の舌(ほのおのした)は1899年に創刊された、ホーリネス運動のための機関紙。初期日本ホーリネス教会の歴史を知るために貴重な資料である。B4判に四頁の月刊誌であった。

歴史 

『焔の舌』とは、使徒行伝2章のペンテコステの聖霊降臨に因んだ、英国ペンテコステ同盟会の機関紙の名前であったが、中田重治監督が気に入って名前を借りた。焔が赤いので、赤化宣伝誌かと間違えられたこともある。

1899年、中田重治が青山学院の教授の山田寅之助と共同で始めた。編集人と発行任の名前を、山田と中田で分担した。後に、中田は、山田から独立して、単独で発行した。中田の攻撃的な論説が多かった。

1902年に月二回の発行になる。さらに、週刊になる。1917年警保局長に呼ばれて、赤化運動と誤解されやすいから、題名を変えるように頼まれて、「聖潔(きよめ)の友」に改称した。また、すでに同名のグループが存在しており、その人たちにも愛読されていた。また、聖潔の友という欄を設けて、そのグループの人々の消息を掲載していたことが理由である。

1923年9月1日の関東大震災により、印刷所が被災し焼失する。そのために、9月は発行ができなかった。翌月10月8日にザラ紙の四頁の誌を印刷した。10月8日号には、小出朋治の「御守りの記」と菅野鋭の「横浜の惨状」が掲載された。次号の10月19日号は、やや質の良い四頁の誌になり、以後しばらく四頁建が続いた。[1]

1924年より、中田は主筆を米田豊に譲る。1933年のホーリネス分裂事件の際には、米田は主筆を辞任した。

引き続き、中田側のきよめ教会の機関紙になり、1939年の中田の没年まで、中田の独特の聖書解釈(日ユ同祖論)が展開された。

脚注

  1. ^ 「中田重治伝」336ページ


参考文献

  • 米田勇『中田重治伝』
背景
人物
歴史
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関連神学校
キリスト教
指導者
ルーツ
松江バンド
ホーリネス
米国メソジスト
自由メソジスト教会
救世軍
福音伝道教団
日本イエス・キリスト教団
日本アライアンス教団
ナザレン、その他 
教団
ホーリネス
バックストン
聖公会

聖イエス会(1946- ) - 日本救世軍(1895 - )

米国メソジスト
アライアンス
組織
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神学
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