ポール・ハインズ

ポール・ハインズ
Paul Hines
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州
生年月日 1855年3月1日
没年月日 (1935-07-10) 1935年7月10日(80歳没)
身長
体重
5' 9.5" =約176.5 cm
173 lb =約78.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
初出場 1872年4月20日
最終出場 1891年7月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ポール・アロイシウス・ハインズ(Paul Aloysius Hines, 1855年3月1日 - 1935年7月10日)は、アメリカ合衆国バージニア州出身のプロ野球選手中堅手)。右投げ右打ち。

1878年メジャーリーグ史上初めて打率・本塁打・打点の「打撃三冠」を獲得した。

経歴

ハインズはプロの野球選手になる前、ワシントンD.C.のナショナル・ベースボール・クラブで、ジュニアチームに所属していたと考えられている。球団が1872年ナショナル・アソシエーションに参加した際、ハインズは17歳でプロのリーグにデビューした。その後球団の消滅に伴ってシカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)に移籍。この頃から打撃成績も向上し、シカゴの外野手としてレギュラーに定着した。ナショナルリーグが創設された最初の年である1876年には、リーグ最多となる21本の二塁打を放っている。

1878年からはプロビデンス・グレイズに移籍し、グレイズで8年間を過ごした。移籍した最初の年に62試合に出場して打率.358、50打点、4本塁打の3部門でいずれもリーグトップの成績を残した[1]。現在の基準に照らせばハインズは打撃部門における『三冠王』となるが、当時はまだ本塁打の絶対的な本数が少なかったためにあまり注目されていなかった。また打点については20世紀に入って記録が調べなおされた際に判明したものである。打率に関しては、この年の首位打者はルーキーのアブナー・ダルリンプルであるが後年の調査によって打率1位であるとされる。[2]

ハインズは翌1879年にも打率.357で2年連続の打率1位[3]となり、所属するプロビデンスでは2度のリーグ優勝を経験した。1885年にプロビデンス球団の経営が破綻、その後はワシントン、インディアナ、ピッツバーグなどのチームを渡り歩き、メジャーリーグでは1891年まで活躍していた。その後もハインズはマイナーリーグで1896年までプレーを続けている。1935年メリーランド州ハイアッツビルで80歳で死去。

史上最初の無補殺三重殺?

1878年5月8日のプロビデンス・グレイズ対ボストン・レッドキャップス戦でのハインズのプレーについて、かつてメジャーリーグ史上最初の無補殺三重殺(Unassisted Triple Play)と扱われていたことがあった。

この試合中堅手として出ていたハインズは、無死二・三塁からボストンのジョー・バードックの放ったラインドライブを好捕して、そのまま帰塁する走者より先に三塁ベースに駆け込んだ後、最後に(確認のため)二塁へ送球して二塁走者をアウトにするという三重殺を完成させている。1878年当時のルールでは、『飛球を処理した際二塁走者が既に三塁を廻っていた場合、野手が(二塁ではなく)三塁ベースを踏んだ時点で二塁走者はアウト』とされていた。試合の記録上このプレーの際二塁走者は三塁に達していたとされており、当時のルールに基づけばハインズが三塁を踏んだ時点で二人の走者がアウト、「無補殺三重殺」が完成していたことになる。

ただ近年アメリカ野球学会は、このプレーの際二塁走者だったエズラ・サットンは、捕球の際まだ三塁に達していなかったという見解を出しており(この場合は当時のルールでも走者に触球するか二塁に送球した時点でアウト)、上記のプレーは現在無補殺三重殺として認められていない。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1872 NAT 11 49 49 9 11 1 0 0 12 5 0 0 -- -- 0 -- -- 0 0 .224 .224 .245 .469
1873 WAS 39 182 181 33 60 6 3 1 75 29 0 1 -- -- 1 -- -- 2 1 .331 .335 .414 .750
1874 CHC 59 275 271 47 80 10 2 0 94 34 4 1 -- -- 4 -- -- 4 1 .295 .305 .347 .652
1875 68 309 308 45 101 14 4 0 123 36 6 9 -- -- 1 -- -- 0 1 .328 .330 .399 .729
1876 64 306 305 62 101 21 3 2 134 59 -- -- -- -- 1 -- -- 3 -- .331 .333 .439 .773
1877 60 262 261 44 73 11 7 0 98 23 -- -- -- -- 1 -- -- 8 -- .280 .282 .375 .658
1878 PRO 62 259 257 42 92 13 4 4 125 50 -- -- -- -- 2 -- -- 10 -- .358 .363 .486 .849
1879 85 417 409 81 146 25 10 2 197 52 -- -- -- -- 8 -- -- 16 -- .357 .369 .482 .851
1880 85 387 374 64 115 20 2 3 148 35 -- -- -- -- 13 -- -- 17 -- .307 .331 .396 .726
1881 80 374 361 65 103 27 5 2 146 31 -- -- -- -- 13 -- -- 12 -- .285 .310 .404 .715
1882 84 389 379 73 117 28 10 4 177 34 -- -- -- -- 10 -- -- 14 -- .309 .326 .467 .793
1883 97 460 442 94 132 32 4 4 184 45 -- -- -- -- 18 -- -- 23 -- .299 .326 .416 .742
1884 114 534 490 94 148 36 10 3 213 41 -- -- -- -- 44 -- -- 28 -- .302 .360 .435 .794
1885 98 430 411 63 111 20 4 1 142 35 -- -- -- -- 19 -- -- 18 -- .270 .302 .345 .648
1886 WHS 121 522 487 80 152 30 8 9 225 56 21 -- -- -- 35 -- -- 21 -- .312 .358 .462 .820
1887 123 534 478 83 147 32 5 10 219 72 46 -- -- -- 48 -- 8 24 -- .308 .380 .458 .838
1888 IND 133 562 513 84 144 26 3 4 188 58 31 -- -- -- 41 -- 8 45 -- .281 .343 .366 .710
1889 121 540 486 77 148 27 1 6 195 72 34 -- -- -- 49 -- 5 22 -- .305 .374 .401 .775
1890 PIT 31 133 121 11 22 1 0 0 23 9 6 -- -- -- 11 -- 1 7 -- .182 .256 .190 .446
BSN 69 309 273 41 72 12 3 2 96 48 9 -- -- -- 32 -- 4 20 -- .264 .350 .352 .701
'90計 100 442 394 52 94 13 3 2 119 57 15 -- -- -- 43 -- 5 27 -- .239 .321 .302 .623
1891 WAS 54 237 206 25 58 7 5 0 75 31 6 -- -- -- 21 -- 10 16 -- .282 .376 .364 .740
通算:20年 1658 7470 7062 1217 2133 399 93 57 2889 855 163 11 -- -- 372 -- 36 310 3 .302 .340 .409 .749
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 首位打者:2回(1878年、1879年)
  • 本塁打王:1回(1878年)
  • 打点王:1回(1878年)

記録

  • 三冠王:1878年

脚注

  1. ^ “110年ぶりに「四冠王」が誕生する!? 首位打者、本塁打王、打点王に加え、盗塁王もチャンスあり”. yahooニュース. (2019年8月5日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/69b016062393a6b33ffcc12683978e7c63ab8bc6 2020年2月22日閲覧。 
  2. ^ 現在判明している1878年の打撃成績は、アブナー・ダルリンプルが271打数96安打で打率.354、ポール・ハインズが257打数92安打で打率.358であるが、これはあくまでも現行のルールに従った場合であり、当時のルールでは勝敗のつかなかった試合の成績が除外されたため、ダルリンプルが首位打者になった。
  3. ^ 首位打者はアンソン。

関連項目

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、Baseball-Reference (Register)
  • 三重殺記録(SABR)
 
獲得タイトル・記録
ナショナルリーグ首位打者
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
シカゴ・ホワイトストッキングス 1876年 ナショナルリーグ チャンピオン
プロビデンス・グレイズ 1879年 ナショナルリーグ チャンピオン
  • 監督: ジョージ・ライト
プロビデンス・グレイズ 1884年 ナショナルリーグ チャンピオン
  • クリフ・キャロル
  • エド・コンリー
  • ジェリー・デニー
  • ジャック・ファレル
  • バーニー・ギリガン
  • ポール・ハインズ
  • アーサー・アーウィン
  • サンディ・ナヴァ
  • チャールズ・ラドボーン
  • ポール・ラドフォード
  • ジョー・スタート
  • 監督: フランク・バンクロフト