ウィリー・マッコビー

ウィリー・マッコビー
Willie McCovey
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(1961年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州モービル
生年月日 (1938-01-10) 1938年1月10日
没年月日 (2018-10-31) 2018年10月31日(80歳没)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1955年
初出場 1959年7月30日
最終出場 1980年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 1986年
得票率 81.41%
選出方法 BBWAA投票による選出
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ウィリー・リー・マッコビーWillie Lee McCovey, 1938年1月10日 - 2018年10月31日)はアメリカ合衆国アラバマ州モービル出身の元プロ野球選手一塁手)。左投左打。愛称はビッグマックBig Mac)と、ストレッチStretch)。

経歴

1938年3月10日に、10人兄弟の七男としてマッコビーはアラバマ州モービルに生まれる。家が裕福ではなかったこともあり、マッコビーは12歳から働き始めた。

10代のうちにロサンゼルスに移住して働きながらも野球をしていたが、ここでエド・スコット(ハンク・アーロンをスカウトしたことで有名)の招きで、ニューヨーク・ジャイアンツのトライアウトに参加、マイナーリーグ契約を結ぶことになる。マッコビーがマイナーリーグでプレイする間にチームはサンフランシスコにフランチャイズを移転している。

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代(1959年 - 1973年)

ジャイアンツでのデビュー戦は1959年7月30日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦で、のちに殿堂入りするロビン・ロバーツを相手に、4打数4安打、単打2本と三塁打2本を打った。この年は52試合に出場し、打率.354、13本塁打を記録して、ナショナルリーグ新人王に選出された。

この後、1960年代はチームメイトであるウィリー・メイズとともに「MM砲」、またはフアン・マリシャルを含めて「3M」としてジャイアンツを引っ張った。キャリアハイの成績を収めた1969年は、打率.320、45本塁打、126打点の好成績で、同年のナショナルリーグMVPを受賞した。

また、1966年9月16日には、推定飛距離が500フィート(約152.4メートル)の本塁打を放ったとされる。この飛距離は、1966年から1999年までの39年間、ジャイアンツが本拠地として使用したキャンドルスティック・パークでの史上最長の本塁打だった。

サンディエゴ・パドレスとオークランド・アスレチックス時代(1974年 - 1976年)

1973年10月、マッコビーはサンディエゴ・パドレスにトレードされる。1974年は128試合に出場して22本塁打、翌1975年は122試合に出場して23本塁打を記録している。1976年シーズン後半はオークランド・アスレチックスでプレーし、11試合に出場した。

ジャイアンツ復帰・引退(1977年 - 1980年)

本拠地最終出場試合にて、デーブ・コンセプシオンを一塁牽制するマッコビー(1980年)

1977年に古巣ジャイアンツに復帰。前年の1976年シーズンでアーロンとフランク・ロビンソンの2人が現役を引退したため、このシーズン当初、マッコビーはMLBで通算本塁打数が最多(465本塁打)になっていた。この年の6月27日の対シンシナティ・レッズ戦にて、マッコビーは1イニング2本塁打を放つが、このうち1本が17本目の満塁本塁打でナショナルリーグにおいて単独1位となった。この年、マッコビーは39歳となっていたが、打率.280、28本塁打、86打点を記録し、スポーティング・ニュース・カムバック賞を受賞した。

1978年6月30日のアトランタ・ブレーブス戦にて500号本塁打を達成。1980年5月3日のモントリオール・エクスポズ戦にて521号本塁打を放ち、これがマッコビー最後の本塁打となったが、テッド・ウィリアムズの通算本塁打数と並んだ。同年7月6日の試合を最後に現役を引退した。

引退当時、マッコビーは4ディケイド(50、60、70、80年代)でプレイした唯一の選手となり、また前述にもある通り通算満塁本塁打は引退までに18本放っており、2018年現在でもナショナルリーグの最多記録で、通算ではアレックス・ロドリゲス(25本)、ルー・ゲーリッグ(23本)、マニー・ラミレス(21本)、エディ・マレー(19本)に次ぐ第5位。なお、引退当時はゲーリッグに次ぐ歴代第2位であった。

引退後

マッコビーのジャイアンツ在籍時の背番号「44」。
サンフランシスコ・ジャイアンツの永久欠番1980年指定。

引退した1980年9月21日にマッコビーのジャイアンツ在籍時の背番号44』はジャイアンツの永久欠番に指定された。

1986年アメリカ野球殿堂入りを果たす。

引退後は古巣ジャイアンツのアドバイザーとして、長くスプリング・トレーニングで指導を行っていた。

また、ジャイアンツではマッコビーが引退した1980年以来、球団内で最も大きな影響を与えた人物にウィリー・マック賞(英語版)が与えられる(選考は選手・球団スタッフ・コーチが行う。)。

2008年オールスターゲームのパレードにて

現在のジャイアンツの本拠地オラクル・パークは、右翼が309フィート(約94.2メートル)しかなく、2000年に開場した当初は左打者に有利な球場とされた[1]ため当時62歳だったマッコビーは、「右翼フェンスまでの距離を見たら、思わず現役復帰を考えたくなった」と発言している[2]。また、右翼席後方には入り江があり、バリー・ボンズらの本塁打をキャッチしようとカヌーボートを浮かべている観客が大勢おり、その入り江は左打者かつプルヒッターだったマッコビーの名から取ってマッコビー・コーブと呼ばれている。

2018年10月31日にスタンフォード大学病院(英語版)で死去[3]。80歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1959 SF 52 219 192 32 68 9 5 13 126 38 2 0 0 1 22 1 4 35 7 .354 .429 .656 1.085
1960 101 307 260 37 62 15 3 13 122 51 1 1 0 2 45 4 0 53 3 .238 .349 .469 .818
1961 106 374 328 59 89 12 3 18 161 50 1 2 0 4 37 3 5 60 8 .271 .350 .491 .841
1962 91 261 229 41 67 6 1 20 135 54 3 3 0 3 29 1 0 35 6 .293 .368 .590 .958
1963 152 627 564 103 158 19 5 44 319 102 1 1 1 1 50 5 11 119 10 .280 .350 .566 .916
1964 130 434 364 55 80 14 1 18 150 54 2 1 0 4 61 5 5 73 9 .220 .336 .412 .748
1965 160 639 540 93 149 17 4 39 291 92 0 4 2 3 88 5 6 118 8 .276 .381 .539 .920
1966 150 588 502 85 148 26 6 36 294 96 2 1 0 4 76 10 6 100 8 .295 .391 .586 .977
1967 135 539 456 73 126 17 4 31 244 91 3 3 2 4 71 17 6 110 8 .276 .378 .535 .913
1968 148 608 523 81 153 16 4 36 285 105 4 2 0 8 72 20 5 71 10 .293 .378 .545 .923
1969 149 623 491 101 157 26 2 45 322 126 0 0 0 7 121 45 4 66 11 .320 .453 .656 1.109
1970 152 638 495 98 143 39 2 39 303 126 0 0 0 3 137 40 3 75 13 .289 .444 .612 1.056
1971 105 402 329 45 91 13 0 18 158 70 0 2 0 5 64 21 4 57 6 .277 .396 .480 .876
1972 81 304 263 30 56 8 0 14 106 35 0 0 0 1 38 5 2 45 3 .213 .316 .403 .719
1973 130 495 383 52 102 14 3 29 209 75 1 0 0 6 105 25 1 78 6 .266 .420 .546 .966
1974 SD 128 442 344 53 87 19 1 22 174 63 1 0 0 1 96 9 1 76 8 .253 .416 .506 .922
1975 122 475 413 43 104 17 0 23 190 68 1 0 0 2 57 8 3 80 10 .252 .345 .460 .805
1976 71 224 202 20 41 9 0 7 71 36 0 0 0 0 21 7 1 39 4 .203 .281 .351 .632
OAK 11 27 24 0 5 0 0 0 5 0 0 0 0 0 3 1 0 4 0 .208 .296 .208 .504
'76計 82 251 226 20 46 9 0 7 76 36 0 0 0 0 24 8 1 43 4 .204 .283 .336 .619
1977 SF 141 548 478 54 134 21 0 28 239 86 3 0 0 3 67 16 0 106 16 .280 .367 .500 .867
1978 108 389 351 32 80 19 2 12 139 64 1 0 0 2 36 8 0 57 12 .228 .298 .396 .694
1979 117 393 353 34 88 9 0 15 142 57 0 2 0 3 36 2 1 70 7 .249 .318 .402 .720
1980 48 130 113 8 23 8 0 1 34 16 0 0 0 3 13 2 1 23 3 .204 .285 .301 .586
MLB:22年 2588 9686 8197 1229 2211 353 46 521 4219 1555 26 22 5 70 1345 260 69 1550 176 .270 .374 .515 .889
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



一塁(1B) 左翼(LF) 右翼(RF)




































1959 SF 51 424 29 5 29 .989 - -
1960 71 557 39 9 42 .985 - -
1961 84 669 55 11 55 .985 - -
1962 17 105 7 1 12 .991 45 68 1 2 1 .972 12 14 0 0 0 1.000
1963 23 143 14 1 5 .994 133 218 6 13 0 .945 3 3 0 0 0 1.000
1964 26 177 14 7 19 .965 78 86 4 6 1 .938 5 7 1 1 0 .889
1965 156 1310 87 13 93 .991 - -
1966 145 1287 81 22 91 .984 - -
1967 127 1221 81 15 102 .989 - -
1968 146 1305 103 21 91 .985 - -
1969 148 1392 79 12 116 .992 - -
1970 146 1217 134 15 117 .989 - -
1971 95 828 63 15 80 .983 - -
1972 74 617 32 9 52 .986 - -
1973 117 930 76 12 89 .988 - -
1974 SD 104 815 47 11 59 .987 - -
1975 115 979 73 15 94 .986 - -
1976 51 420 44 4 39 .991 - -
1977 SF 136 1072 60 13 93 .989 - -
1978 97 721 44 10 49 .987 - -
1979 89 740 48 10 60 .987 - -
1980 27 241 12 2 18 .992 - -
MLB 2045 17170 1222 233 1405 .987 256 372 11 21 2 .948 20 24 1 1 0 .962
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 本塁打王:3回(1963年、1968年、1969年)
  • 打点王:2回(1968年、1969年)

表彰

記録

背番号

脚注

  1. ^ ただし、右翼のフェンスを25フィート(約7.6メートル)にして高くするほか、さらに右中間は最深部を420フィート(約128メートル)も設け、加えて海からの向かい風が相まって現在では打者不利の球場と認知されている。
  2. ^ 「大リーグ夢球場への招待【32】パシフィックベル・パーク[サンフランシスコ]」『月刊メジャーリーグ』(2000年7月号)、ベースボール・マガジン社、30頁
  3. ^ Steve Kroner; John Shea (2018年10月31日). “Willie McCovey: Giants legend dead at 80” (英語). The San Francisco Chronicle. https://www.sfchronicle.com/giants/article/Willie-McCovey-Giants-legend-dead-at-80-13352886.php 2018年10月31日閲覧。 

関連項目

外部リンク

  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
 
業績
ナショナルリーグ新人王
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ本塁打王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
  • 00 ハーマン・ロング(英語版)
  • 01 サム・クロフォード
  • 02 トミー・リーチ(英語版)
  • 03 ジミー・シェッカード
  • 04 ハリー・ラムリー(英語版)
  • 05 フレッド・オドウェル(英語版)
  • 06 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 07 デーブ・ブレイン(英語版)
  • 08 ティム・ジョーダン(英語版)
  • 09 レッド・マレー(英語版)
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ打点王
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグMVP
チャルマーズ賞
リーグ表彰

以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰

1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ナショナルリーグ カムバック賞
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

太字は現役選手

サンフランシスコ・ジャイアンツ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ジャイアンツ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(08回)
ワールドシリーズ敗退(12回)
リーグ優勝(23回)
できごと
傘下マイナーチーム
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