ルイス・ティアント

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はティアント第二姓(母方の姓)はベガです。
ルイス・ティアント
Luis Tiant
2009年の『The Lost Son of Havana』上演時
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地  キューバ
ハバナ州マリアナオ
生年月日 (1940-11-23) 1940年11月23日(83歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年
初出場 1964年7月19日
最終出場 1982年9月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ルイス・クレメンテ・ティアント・ベガLuís Clemente Tiant Vega , 1940年[1]11月23日 - )は、キューバ共和国ハバナ州マリアナオ(現:首都ハバナの一部)出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

愛称"El Tiante"エル・ティアント)。

経歴

キューバ出身の父のルイス・ティアント・シニアはアメリカ合衆国ニューヨークにあったニグロリーグチーム、ニューヨーク・キューバンズの左腕投手として活躍し、当地のキューバ人からは英雄視された存在であった。そんな父の1人息子として偉大な父の足跡を追うように野球を始め、利き腕こそ異なるが、父と同じ投手となり、まずは地元キューバのリーグに入団した。

1957年にはキューバのリトルリーグオールスターの選手になるなど早くから頭角を現す。

ラテンアメリカで人材を探していたMLBクリーブランド・インディアンスの元スター選手、ベト・アヴィラの目にとまり、まずは1959年メキシカンリーグメキシコシティ・タイガースへ月給150ドルで移籍した。

1961年夏にアヴィラは古巣インディアンスにティアントを売り込み、同年オフに年俸3万5000ドルで契約を結んだ。[2] その頃、キューバ危機が起こり、以後14年はキューバの両親に会うことができなくなってしまった。

マイナーリーグでの活躍の後、1964年7月19日にインディアンスでMLB初登板。デビュー戦ではこの年にリーグ優勝することになるニューヨーク・ヤンキースと対戦し、11奪三振・4被安打完封勝利を記録。ヤンキースの先発投手はのちにアメリカ野球殿堂入りする左腕投手のホワイティ・フォードであった。この年は後半戦のみの登板で10勝4敗・防御率2.83の成績を残した。

1966年は一時リリーフに転向し、先発は16試合のみであったが、うち7試合は完投。4試合連続完封をマークして12勝11敗8セーブ・防御率2.79。1960年以後に4試合連続完封を記録した投手は他にゲイロード・ペリー1970年)、オーレル・ハーシュハイザー1988年・5試合)、コリー・ライドル2002年)の3人しかいない。

1968年には258.1を投げて防御率1.60・9完封・264奪三振・21勝9敗を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得する大活躍。防御率1.60は、2013年現在でもライブボール時代が始まった1920年以後のアメリカンリーグ記録であり、同じ1968年にセントルイス・カージナルスボブ・ギブソンが記録した1.12に次ぐMLB2位である。被安打率.168は1シーズンの記録としてMLB歴代1位である。7月3日のミネソタ・ツインズとの対戦では延長10回で19奪三振を記録。オールスターゲームにも選ばれた。

1969年アメリカ合衆国の市民権を取得した[3]。この年は制球難に苦しみ、一転して9勝20敗に終わった。12月10日、グレイグ・ネトルズディーン・チャンスら4選手との2対4のトレードでツインズへ移籍した。しかし1970年は右肩甲骨の骨折で7勝3敗に終わった。

1971年3月31日にツインズから放出された。アトランタ・ブレーブス傘下のAAA級リッチモンドで好投し、1971年5月15日にボストン・レッドソックスへ移籍した。このシーズンも故障の影響で1勝7敗に終わった。

1972年に15勝6敗・防御率1.91の成績を残し、2度目の最優秀防御率のタイトルを獲得、カムバック賞も受賞した。

1973年からの4年間は安定して20勝近くを記録した。

1975年にはチームの地区優勝に貢献。リーグチャンピオンシップシリーズでも前年まで3年連続ワールドシリーズ優勝を果たしたオークランド・アスレチックス相手に、第1戦で3被安打・1失点に抑えて完投勝利。チームはアスレチックスを3連勝で下してリーグ優勝を果たした。ワールドシリーズではビッグレッドマシンと呼ばれ、当時MLB最強チームと謳われたシンシナティ・レッズと対戦した。先発したフェンウェイ・パークでの第1戦には、特別許可を得た両親が観戦のために渡米し、14年ぶりに再会を果たした。両親の見守る中、0-0の7回裏に自ら安打を放ち、カール・ヤストレムスキー適時打で先制のホームを踏む。この回チームは一挙6得点を挙げ、完封勝利した。連敗後の第4戦に再び先発し、4点を失うが2勝目を挙げる。レッドソックスは第5戦に敗れるが、第6戦をカールトン・フィスクサヨナラ本塁打で勝って3勝3敗のタイにおいつき、最終第7戦にティアントが3度目の先発。序盤に3点のリードをもらうが、6回にトニー・ペレスに2点本塁打を喫し、7回にケン・グリフィー・シニア四球を与え、盗塁を許し、ピート・ローズの同点適時打を浴び、同点とされて降板した。試合は9回に1点を取ったレッズが勝ったが、敗れたにもかかわらずティアントはベーブ・ルース賞を受賞した。

1976年に4度目のシーズン20勝を達成した。

1978年限りでフリーエージェント(FA)でヤンキースへ移籍した。

1980年は8勝に終わり、1981年ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。しかし2勝に終わり、放出された。

1982年はまずはメキシカンリーグのタバスコ・プラタネロスでプレー。8月になってカリフォルニア・エンゼルスと契約を結んだものの、2勝に終わり、同年限りで現役を引退した。

引退後の1997年5月にレッドソックス野球殿堂入りを果たした[4]。同年に32年前の父親に続き、親子二代でのキューバ野球殿堂入りも果たしている[5]

また、ベネズエラウィンターリーグ"リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル"でもプレーしていた。通算成績は37勝・29完投・防御率2.27。1971年にはノーヒットノーランを達成した。

2009年にベネズエラ野球殿堂入りを果たした。

2016年3月11日にタンパベイ・レイズ対キューバ代表の親善試合の特別ゲストとなったことが発表された[6]

人物・プレースタイル

2009年4月にティアントの46年ぶりのハバナ帰郷(何度もキューバへの渡航申請を出していたが、それまでは許可が下りなかった)を扱ったドキュメンタリー映画『The Lost Son of Havana』がアメリカで初上映された[7]

1970年代前半に故障で速球が衰えたのを機に、トルネード投法のような打者に一度背中を向ける特異なフォームを生み出す[8][9]。本来はボークを取られてもおかしくない動作であったが、彼特有のフォームということで黙認されていた。2010年12月にアメリカのスポーツ専門サイトのブリーチャー・レポートによってMLB史に残る「個性的フォーム」1位に選ばれた[10]

葉巻を好み、葉巻を自らデザインし、「El Tiante」の名で販売された。

現在、フェイスブック上でティアントを殿堂入りさせるための草の根の活動が行われている[11]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1964 CLE 19 16 9 3 0 10 4 1 -- .714 512 127.0 94 13 47 2 2 105 4 0 41 40 2.83 1.11
1965 41 30 10 2 1 11 11 1 -- .500 812 196.1 166 20 66 3 3 152 2 0 88 77 3.53 1.18
1966 46 16 7 5 1 12 11 8 -- .522 628 155.0 121 16 50 4 2 145 3 0 50 48 2.79 1.10
1967 33 29 9 1 0 12 9 2 -- .571 872 213.2 177 24 67 2 1 219 1 1 76 65 2.74 1.14
1968 34 32 19 9 3 21 9 0 -- .700 987 258.1 152 16 73 4 4 264 3 0 53 46 1.60 0.87
1969 38 37 9 1 1 9 20 0 -- .310 1091 249.2 229 37 129 11 8 156 0 1 123 103 3.71 1.43
1970 MIN 18 17 2 1 0 7 3 0 -- .700 390 92.2 84 12 41 0 2 50 2 0 36 35 3.40 1.35
1971 BOS 21 10 1 0 0 1 7 0 -- .125 321 72.1 73 8 32 1 1 59 4 0 42 39 4.85 1.45
1972 43 19 12 6 1 15 6 3 -- .714 713 179.0 128 7 65 5 0 123 0 0 45 38 1.91 1.08
1973 35 35 23 0 2 20 13 0 -- .606 1096 272.0 217 32 78 3 7 206 2 0 105 101 3.34 1.08
1974 38 38 25 7 4 22 13 0 -- .629 1266 311.1 281 21 82 3 4 176 1 0 106 101 2.92 1.17
1975 35 35 18 2 1 18 14 0 -- .563 1080 260.0 262 25 72 0 4 142 2 0 126 116 4.02 1.28
1976 38 38 19 3 4 21 12 0 -- .636 1136 279.0 274 25 64 2 3 131 1 0 107 95 3.06 1.21
1977 32 32 3 3 2 12 8 0 -- .600 814 188.2 210 26 51 3 2 124 0 0 98 95 4.53 1.38
1978 32 31 12 5 4 13 8 0 -- .619 863 212.1 185 26 57 4 5 114 0 2 80 78 3.31 1.14
1979 NYY 30 30 5 1 1 13 8 0 -- .619 819 195.2 190 22 53 1 0 104 0 0 94 85 3.91 1.24
1980 25 25 3 0 0 8 9 0 -- .471 588 136.1 139 10 50 3 1 84 2 0 79 74 4.89 1.39
1981 PIT 9 9 1 0 0 2 5 0 -- .286 242 57.1 54 3 19 2 0 32 0 0 31 25 3.92 1.27
1982 CAL 6 5 0 0 0 2 2 0 -- .500 135 29.2 39 3 8 0 0 30 0 0 20 19 5.76 1.58
MLB:19年 573 484 187 49 25 229 172 15 -- .571 14365 3486.1 3075 346 1104 53 49 2416 27 4 1400 1280 3.30 1.20
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 最優秀防御率:2回 (1968年、1972年)

表彰

記録

背番号

  • 33 (1964 - 1970)
  • 23 (1971 - 1980) 
  • 38 (1981) 
  • 23 (1982) 
  • 33 (1982) 

脚注

  1. ^ 1940年生まれというのには、異説がある。
  2. ^ 当時はミッキー・マントルサンディー・コーファックス等のスーパースター選手がようやく年俸10万ドルに達した時代で、新人選手で3万5000ドルというのは破格というべき金額。
  3. ^ “Oliva, Tiant recall coming to U.S. in a simpler time” (英語). NewsPress. 2013年3月14日閲覧。
  4. ^ “Red Sox Hall of Fame” (英語). MLB.com. 2013年3月27日閲覧。
  5. ^ “Cuban Baseball Hall of Fame” (英語). Baseball-Almanac.com. 2013年3月27日閲覧。
  6. ^ Commissioner to be joined by Jeter, Tiant, Cardenal on historic trip to Cuba MLB.com (英語) (2016年3月11日) 2016年6月8日閲覧
  7. ^ “The Long Road Home For A Cuban Baseball Legend” (英語). NPR.org. 2013年3月27日閲覧。
  8. ^ 「個性的フォーム」野茂2位、岡島4位
  9. ^ 野茂も驚きの個性的すぎる投球フォーム! メジャーリーグ“変則投法”なピッチャーたち
  10. ^ “Tim Lincecum, Hideki Okajima and the Top 15 Most Unusual Wind-Ups in MLB History” (英語). Bleacherreport.com. 2013年3月27日閲覧。
  11. ^ “Let's get Luis Tiant into the Hall of Fame now!” (英語). Facebook.com. 2013年3月27日閲覧。

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ルイス・ティアントに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) 
 
業績
アメリカンリーグ最優秀防御率
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
  • 60 フランク・バウマン(英語版)
  • 61 ディック・ドノバン(英語版)
  • 62 ハンク・アギーレ(英語版)
  • 63 ゲイリー・ピーターズ(英語版)
  • 64 ディーン・チャンス
  • 65 サム・マクダウェル
  • 66 ゲイリー・ピーターズ(英語版)
  • 67 ジョー・ホーレン(英語版)
  • 68 ルイス・ティアント
  • 69 ディック・ボスマン(英語版)
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカンリーグ カムバック賞
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1940年代
  • 49 ジョー・ペイジ(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ボストン・レッドソックス開幕投手
1900年代
1910年代
1920年代
  • 20 アレン・ラッセル
  • 21 サッド・サム・ジョーンズ
  • 22 ジャック・クイン
  • 23 ハワード・イームケ
  • 24 ハワード・イームケ
  • 25 アレックス・ファーガソン
  • 26 ハワード・イームケ
  • 27 スリム・ハリス
  • 28 ダニー・マクフェイデン
  • 29 レッド・ラフィング
1930年代
1940年代
  • 40 レフティ・グローブ
  • 41 ジャック・ウィルソン
  • 42 ディック・ニューサム
  • 43 テックス・ヒューソン
  • 44 ヤンク・テリー
  • 45 レックス・セシル
  • 46 テックス・ヒューソン
  • 47 テックス・ヒューソン
  • 48 ジョー・ドブソン
  • 49 ジョー・ドブソン
1950年代
  • 50 メル・パーネル
  • 51 ビル・ワイト
  • 52 メル・パーネル
  • 53 メル・パーネル
  • 54 メル・パーネル
  • 55 フランク・サリバン
  • 56 フランク・サリバン
  • 57 トム・ブルワー
  • 58 フランク・サリバン
  • 59 トム・ブルワー
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
クリーブランド・ガーディアンズ開幕投手
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ボストン・レッドソックス
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
レッドソックス球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(09回)
ワールドシリーズ敗退(04回)
リーグ優勝(14回)
できごと
傘下マイナーチーム
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