マリアノ・リベラ

マリアノ・リベラ
Mariano Rivera
2019年7月16日
基本情報
国籍 パナマの旗 パナマ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
二重国籍[1]
出身地 パナマの旗 パナマ
パナマ県パナマ市
生年月日 (1969-11-29) 1969年11月29日(54歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 アマチュアFA
初出場 1995年5月23日
最終出場 2013年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
アメリカ野球殿堂
殿堂表彰者
選出年 2019年
得票率 100.0%
選出方法 BBWAA選出
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

マリアノ・リベラ(Mariano Rivera, 1969年11月29日 - )は、パナマパナマ県パナマ市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)。愛称は「モー (Mo)」。ベースボール・ユナイテッドアブダビ・ファルコンズの名誉GM

現役時代はMLBニューヨーク・ヤンキースフランチャイズ・プレイヤーとして5回のワールドシリーズ優勝に貢献した。

MLB歴代最多の通算652セーブギネス世界記録保持者であり、史上唯一の得票率100%でのアメリカ野球殿堂表彰者。

ルーベン・リベラは従兄弟。

経歴

生い立ち

パナマ県パナマ市生まれ。父親は漁船の船長をしていたが、暮らしは決して裕福ではなかった。初めてグローブを父に買ってもらったのは12歳の時である[2]。少年時代には友人とサッカーで遊ぶことも多く、野球は遊びとしてとらえており、プロになるという考えはなかった。高校卒業後、父の船でイワシ漁やエビ漁の手伝いをしながら、アマチュアの野球チームに所属していた。

1988年当時のポジションは遊撃手であったが、ある日チームの投手があまりに不調であったため、自ら志願し代役としてマウンドに立った。このことがきっかけで、彼は投手に転向することになった。投手として本格的な指導を受けたことがないにもかかわらず、140km/hの球を投げるリベラを目にしたニューヨーク・ヤンキースのスカウトは、将来性に期待し彼をトライアウトに招待することに決めた。偶然にもその1年前、ヤンキースの別のスカウトが遊撃手としての獲得を見送っていたため、投手としての彼をスカウトすることになったという事実はヤンキースの編成部内に驚きをもたらした[3]

プロ入りとヤンキース時代

母はプロ入りに反対であったものの、父の後押しを受けて、1990年2月にドラフト外でヤンキースに入団[4]

1990年はルーキーリーグで52イニングで防御率0.17の好成績で、1991年からは先発投手として起用される。1992年には右肘の内側側副靱帯を痛め、フランク・ジョーブの執刀で右肘のクリーニング手術を受ける。

1995年5月23日のアナハイム・エンゼルス戦でメジャー初登板初先発するが、3.1イニング5失点と打ち込まれ、チームは0-10で敗戦を喫し、試合後にマイナーへ降格となった。当時のリベラは、打者にとっては打ちづらいスムーズな投球フォームこそ高く評価されていたが、最高球速が90mph(約144.8km/h)前後で変化球(チェンジアップとスライダー)もそこそこと、やや物足りない投手だった[5]。スタミナの不安を理由に9月からはリリーフへ転向し、19試合のうち10試合に先発登板し、5勝3敗を記録した。

1996年は、抑えのジョン・ウェッテランドへ繋ぐ中継ぎとして61試合に登板して107.2イニングを投げ奪三振は130、防御率2.09を記録した。チームは15年ぶりにポストシーズンへ進出し、リベラは8試合に登板して自責点は1。1996年のワールドシリーズ優勝に貢献した。セーブ数が1桁の中継ぎ投手として初のサイ・ヤング賞の期待もあった[4]が、その投票ではパット・ヘントゲンアンディ・ペティットに次ぐ3位に入った[6]

1997年はウェッテランドがテキサス・レンジャーズへ移籍したことに伴い、その後任としてクローザーに配置転換されたが、開幕後6回のセーブ機会のうち4回を失敗。一時は自信を喪失していたが、監督のジョー・トーリと投手コーチのメル・ストットルマイヤーらから励まされて立ち直った[7]。代名詞のカットボールは偶然をきっかけに習得されたものであった。抑えを任されるようになって数ヶ月したある日、ブルペンでラミロ・メンドーサを相手に投げていた際、ストレートのつもりで投げたボールがメンドーサから見て右にスライドしていった。数日後、デトロイトでキャッチボールをした際にも、ボールが右にそれる癖は抜けないままだった。そこで2人で話し合って「試合で投げたらどうなるか試してみよう」ということになった[7]。抑えとしての初年度は最終的にリーグ2位の43セーブを記録した。しかしポストシーズンではクリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズ第4戦では、サンディー・アロマー・ジュニアに同点となる本塁打を打たれ[8]、結局チームはこのシリーズで敗退した。

1998年のスプリングトレーニング中、監督と投手コーチと何度も話し合い「プレーオフでの失敗を引きずるな」と言われ[7]、気持ちを切り替えてシーズンに臨んだ。4月5日に右脚の付け根を痛め15日間の故障者リスト入りとなるも[4]、36セーブに防御率1.91を記録。ポストシーズンは10試合に登板し無失点の活躍し、1998年のワールドシリーズ優勝に貢献した。

1999年、レギュラーシーズンはリーグ1位の45セーブ、ポストシーズンは8試合に登板し無失点。

2000年はリーグ4位の36セーブを記録した。

2001年はシーズン開幕前の2月に4年総額3999万ドルで契約を延長した[9]。この年、1986年デイブ・リゲッティが記録した球団記録の1シーズン46セーブを塗り替える50セーブを記録。ポストシーズンでも好調を維持し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのワールドシリーズ第5戦まで10試合に登板、14.2イニングを投げて2勝5セーブ、防御率0.61とほぼ完璧な投球を見せていたが、第7戦では、2-1とリードした8回からマウンドに上がりながら、9回に自身のフィルダースチョイスなどでピンチを広げ、トニー・ウォマックに同点適時打、さらにルイス・ゴンザレスにサヨナラ安打を打たれ、敗戦投手となった。リベラにとってポストシーズンでの敗戦投手となった唯一の機会であり、またこれによってポストシーズンにおける23連続セーブが途切れた。

2002年は右肩の故障で3度の故障者リスト入りを経験[10]し、46試合の登板で28セーブとクローザー定着後最低の成績に終わったが、5月9日に通算225セーブ目を挙げ、デイブ・リゲッティの持つ球団通算セーブ記録を更新した[11]

2003年は股関節の故障で開幕を故障者リスト入りで迎え、シーズン初登板は4月30日[12]と出遅れたが、その後は故障者リスト入りすることもなく64試合に登板し、防御率1.66で40セーブを記録。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズは第7戦の延長11回までもつれ込み、アーロン・ブーンの劇的なサヨナラ本塁打で幕切れとなったが、歓喜のあまりマウンド上で倒れこむリベラの姿がファンに強い印象を与えた。シリーズMVPを獲得。この年のポストシーズン全体でも16イニングを1失点だった。

2004年はシーズン開幕前の3月に2005年から2年総額2100万ドル、3年目はオプションの契約を結んだ[13]。この年、53セーブで最多セーブのタイトルを獲得。ディビジョンシリーズでヤンキースがミネソタ・ツインズを破った直後、義弟であるビクター・ダリオ・アビラとその息子がプールに落ちてきた送電線による感電事故で亡くなったという訃報が届いた。リベラはすぐさま母国パナマへ帰国し、葬儀に参加[14]。自家用飛行機で引き返し、ニュージャージー州の空港へ降り立ち、ニューヨーク市警察のパトカーの先導でヤンキー・スタジアムについた[15]ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第1戦に登板。セーブを挙げている。しかしこのシリーズでは4戦、5戦といずれもリードしてマウンドに上がりながら同点打を喫し、2試合ともチームは延長の末敗れた。ヤンキースはこのシリーズでMLBポストシーズン史上初となる3連勝からの4連敗を喫した。

2005年は43セーブで、自己最高の防御率1.38を記録するなど投球内容が良かったため、サイ・ヤング賞も期待された[16]が、投票数でバートロ・コローンに次ぐ2位に終わった[17]

2006年7月16日のホワイトソックス戦で史上4人目の400セーブを達成。

2007年は開幕当初の4月は2試合連続でセーブ機会を失敗するなど7.1イニングを投げて9失点などと不振だった。しかし残りの5ヶ月はセーブ機会32のうち30で成功して防御率も2.26と復調した。最終的にクローザーになって初めてシーズン防御率が3点台となってしまった。シーズン終了後の11月には2008年から3年4500万ドルで契約延長した。リリーフ投手として契約総額はB.J.ライアンの5年4700万ドルを下回ったものの、年平均1500万ドルはビリー・ワグナーの1075万ドルを上回る史上最高額となった[18]

2008年は肩の痛みを抱えながら投げ続けた[19]。チームは14年ぶりにポストシーズン進出を逃し、シーズン終了後の10月に肩の手術を受けた[20]

2009年6月28日のニューヨーク・メッツ戦で、トレバー・ホフマンに次いで史上2人目の通算500セーブを達成した[21]。またこの試合では9回表にフランシスコ・ロドリゲスから押し出し四球を選び、自身初の打点も記録した[21]。46度のセーブが記録される機会で失敗は2回のみのリーグ最高のセーブ成功率で、44セーブを記録した。ワールドシリーズでも優勝に貢献した。

ニューヨーク・ヤンキースのワールドシリーズ優勝パレードにて(2009年)

2010年はオフに2年3000万ドルで再契約した。

2011年5月25日のトロント・ブルージェイズ戦で、史上15人目となる通算1000試合登板(単一球団では初)を達成した。8月11日のロサンゼルス・エンゼルス戦で史上初となる9年連続30セーブを達成した。9月13日のシアトル・マリナーズ戦で史上2人目の通算600セーブを達成した。9月19日のツインズ戦で通算602セーブ目を挙げ、トレバー・ホフマンの601セーブを抜いてMLB最多記録となり、ギネス世界記録に認定された[22]

2012年は契約最終年ともありシーズン限りでの引退を示唆していた。しかし、5月3日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦、敵地カウフマン・スタジアムでの練習中に右膝を負傷[23]ジェイソン・ニックスが打った打球を追いかけた際に、外野フェンス前のウォーニングトラックに倒れこんだ。病院への搬送後、前十字靭帯損傷半月板損傷(一部)と判明し、シーズン残り試合とポストシーズンは欠場した。2003年から9年間続いた60試合登板と30セーブの記録が途切れ、不本意な成績に終わった。後に「私は戻ってきます。このような形で現役から退くことはないだろう」と語り引退示唆を撤回[24]し、翌年の現役続行を表明した[25]。オフに1年1000万ドルで再契約した。

2013年のオールスターゲーム

2013年3月に同年限りで引退することを表明した。4月4日のレッドソックス戦で先発アンディ・ペティットの後を受けて1年ぶりに復帰した。7月16日、自身13度目にして最後のオールスターゲームに出場し、8回裏の1イニングを無失点に抑え、MVPを受賞した[26]。9月26日のタンパベイ・レイズ戦が本拠地ヤンキー・スタジアムでの最終登板となった。0-4と4点ビハインドの8回表1死一・二塁で登板、2者を連続で打ち取りピンチを無失点で切り抜けると9回も続投し、2者を凡打に打ち取り合計1.2イニングをパーフェクトに抑えたところでジョー・ジラルディ監督ではなく長年チームメイトとしてプレーしてきたデレク・ジーターアンディ・ペティットにマウンド上で交代を告げられた。リベラは号泣して2人と抱き合い、スタンディングオベーションの中でマウンドを降りた[27]。現役ラストイヤーは前年の怪我からクローザーとして復活を果たし、64試合の登板で6勝44セーブを挙げる活躍を見せ今度こそ有終の美を飾った。

引退後

リベラの背番号「42」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番に2013年指定。

2015年6月にイスラエルを表敬訪問した[28]

2019年1月、史上初の得票率100%でアメリカ野球殿堂に表彰された[29]トレバー・ホフマンの表彰の1年後のことであった。9月にはホワイトハウスにてドナルド・トランプ大統領より大統領自由勲章を授与された[30]

2022年7月26日にバリー・ラーキンと共にステークホルダーとしてインド、パキスタン、中東にてユナイテッド・インターナショナル・ベースボール・リーグ の発足を発表した[31]。その後、8月3日に発足したアブダビ・ファルコンズの名誉GMとなった。

選手としての特徴

  • 「95mph(約152.9km/h)で8インチ(約20.3cm)曲がる」[32]、「バットをへし折る電動ノコギリ[33]ともいわれるカットボール(カットファストボール)を武器にする。フォーシームは2003年には101mphを記録した事があるがキャリア全体を見回しても投球の8割以上カットボールであり、現役中はほとんどこの球種しか投げていなかった。そのため打者は狙いを絞りやすいが、手元(約10フィート)で鋭く変化するので、打者は非常に舌を巻く。他にツーシーム、ごく稀にシンカーを投げていた。[34]
  • ESPNの「Sport Science」によると、カットボールの回転数は1500-1600rpmであり、4シームと比較して8インチ(約20cm)も変化するという。そのため、バッターは芯を外して根本でとらえてバットを折られることも多い。2013年には同年で引退するリベラにミネソタ・ツインズより「折られたバットで作られた椅子」が贈られた。芯を外す投球に長けたグラウンドボールピッチャーであり、通算被本塁打率0.50は1995年から2013年までの期間で1000投球回以上投げた投手の中で最も低い率である[35]。また、同期間の通算防御率も250投球回以上投げた投手の中で最も低い率である[36]
  • 力みのないモーションで1種類の球種しか投げないので、腕への負担が小さかったとされる[34]
  • ポストシーズンには特に強く、96試合141イニングで8勝1敗42セーブ、防御率0.70、WHIP0.76を記録している。
  • 現在のプロ野球投手の間では常識になっているアイシング治療には否定的考えを持っている[37]

人物

本拠地ヤンキー・スタジアムにおけるリベラの登場曲としてヘヴィ・メタルバンドのメタリカの『エンター・サンドマン』が用いられており、冒頭の印象的なアルペジオが流れると、勝利を確信した球場は大いに沸く。これは1998年のワールドシリーズにおいて、対戦相手だったパドレスの守護神トレバー・ホフマンが、登場曲であったAC/DCの"Hells Bells" とともに熱狂的に敵地の観客に迎えられているのを見たスコアボード・スタッフの発案によるもので、リベラ自身は選曲に一切関わっていないが、今日ではファンにとって、カットボールと並ぶほどに、彼を象徴するものとなっている(もっとも、リベラ自身はヘヴィメタルのリスナーではなく、クリスチャン・ミュージックを好むという)[38]

背番号『42』。この番号は初めてメジャーに昇格した時に、ヤンキースから与えられた番号で、自身が選んだものではない。またこの番号は現在ではジャッキー・ロビンソンの栄誉を称えMLB全球団共通の永久欠番となっているが、この規則が制定された1997年以前から42番をつけている選手に関しては例外としてつけ続けることが認められており、リベラがその中で最も遅くまで現役を続けたため、MLBで最後に42番を付けた選手となった。そして、引退とともにその最後の背番号42番をジャッキー・ロビンソンだけでなく、リベラ自身の永久欠番としてヤンキースに刻み込んだ。

2015年10月にアメリカ合衆国に帰化している[1]

薬物疑惑とも無縁(そのような疑惑に名前が上がったことがない)であるため、現役時代から将来の殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人であった。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーターイチローアルバート・プホルスジム・トーミの4人とともにリベラの名前が挙げられ[39][40]、そして2019年1月、殿堂入りを実際に(資格取得1年目かつ、史上初の得票率100%で)果たした。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1995 NYY 19 10 0 0 0 5 3 0 -- .625 301 67.0 71 11 30 0 2 51 0 1 43 41 5.51 1.51
1996 61 0 0 0 0 8 3 5 -- .727 425 107.2 73 1 34 3 2 130 1 0 25 25 2.09 0.99
1997 66 0 0 0 0 6 4 43 -- .600 301 71.2 65 5 20 6 0 68 2 0 17 15 1.88 1.19
1998 54 0 0 0 0 3 0 36 -- 1.000 246 61.1 48 3 17 1 1 36 0 0 13 13 1.91 1.06
1999 66 0 0 0 0 4 3 45 0 .571 268 69.0 43 2 18 3 3 52 2 1 15 14 1.83 0.88
2000 66 0 0 0 0 7 4 36 0 .636 311 75.2 58 4 25 3 0 58 2 0 26 24 2.85 1.10
2001 71 0 0 0 0 4 6 50 0 .400 310 80.2 61 5 12 2 1 83 1 0 24 21 2.34 0.91
2002 45 0 0 0 0 1 4 28 2 .200 187 46.0 35 3 11 2 2 41 1 1 16 14 2.74 1.00
2003 64 0 0 0 0 5 2 40 0 .714 277 70.2 61 3 10 1 4 63 0 0 15 13 1.66 1.01
2004 74 0 0 0 0 4 2 53 0 .667 316 78.2 65 3 20 3 5 66 0 0 17 17 1.94 1.08
2005 71 0 0 0 0 7 4 43 0 .636 306 78.1 50 2 18 0 4 80 0 0 18 12 1.38 0.87
2006 63 0 0 0 0 5 5 34 0 .500 293 75.0 61 3 11 4 5 55 0 0 16 15 1.80 0.96
2007 67 0 0 0 0 3 4 30 0 .429 295 71.1 68 4 12 2 6 74 1 0 25 25 3.15 1.12
2008 64 0 0 0 0 6 5 39 0 .545 259 70.2 41 4 6 0 2 77 1 0 11 11 1.40 0.67
2009 66 0 0 0 0 3 3 44 0 .500 257 66.1 48 7 12 1 1 72 1 0 14 13 1.76 0.91
2010 61 0 0 0 0 3 3 33 0 .500 230 60.0 39 2 11 3 5 45 0 0 14 12 1.80 0.83
2011 64 0 0 0 0 1 2 44 0 .333 233 61.1 47 3 8 2 2 60 1 0 13 13 1.91 0.90
2012 9 0 0 0 0 1 1 5 0 .500 32 8.1 6 0 2 2 0 8 0 0 2 2 2.16 0.96
2013 64 0 0 0 0 6 2 44 0 .750 256 64.0 58 6 9 3 1 54 0 0 16 15 2.11 1.08
MLB:19年 1115 10 0 0 0 82 60 652 2 .577 5103 1283.2 998 71 286 41 46 1173 13 3 340 315 2.21 1.00
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高

MLBポストシーズン投手成績





















































W
H
I
P
1995 NYY 3 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 20 5.1 3 0 1 1 0 8 0 0 0 0 0.00 0.75
1996 8 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 57 14.1 10 0 5 0 0 10 0 0 1 1 0.63 1.05
1997 2 0 0 0 0 0 0 1 -- .000 8 2.0 2 1 0 0 0 1 0 0 1 1 4.50 1.00
1998 10 0 0 0 0 0 0 6 -- .000 47 13.1 6 0 2 0 0 11 0 0 0 0 0.00 0.60
1999 8 0 0 0 0 2 0 6 -- 1.000 43 12.1 9 0 1 0 0 9 1 0 0 0 0.00 0.81
2000 10 0 0 0 0 0 0 6 -- .000 60 15.2 10 1 1 0 1 10 0 0 3 3 1.72 0.70
2001 11 0 0 0 0 2 1 5 -- .667 64 16.0 12 0 2 1 1 14 2 0 4 2 1.13 0.88
2002 1 0 0 0 0 0 0 1 -- .000 4 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
2003 8 0 0 0 0 1 0 5 -- 1.000 55 16.0 7 0 0 0 0 14 0 0 1 1 0.56 0.44
2004 9 0 0 0 0 1 0 2 -- 1.000 47 12.2 8 0 2 0 0 8 0 0 1 1 0.71 0.79
2005 2 0 0 0 0 0 0 2 -- .000 11 3.0 1 0 1 0 0 2 0 0 1 1 3.00 0.67
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 3 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
2007 3 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 19 4.2 2 0 1 1 1 6 0 0 0 0 0.00 0.64
2009 12 0 0 0 0 0 0 5 -- .000 63 16.0 10 0 5 1 0 14 0 0 1 1 0.56 0.94
2010 6 0 0 0 0 0 0 3 -- .000 22 6.1 4 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.63
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 4 1.1 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 0.00
出場:16回 96 0 0 0 0 8 1 42 -- .889 527 141.0 86 2 21 4 3 110 3 0 13 11 0.70 0.76
  • 赤太字はMLBポストシーズン歴代最高

年度別守備成績



投手(P)












1995 NYY 19 2 14 0 1 1.000
1996 61 4 13 0 0 1.000
1997 66 11 9 0 0 1.000
1998 54 3 14 0 1 1.000
1999 66 12 10 0 2 1.000
2000 66 8 15 0 0 1.000
2001 71 17 15 1 0 .970
2002 45 3 6 2 1 .818
2003 64 4 15 2 0 .905
2004 74 9 31 1 1 .976
2005 71 7 22 0 1 1.000
2006 63 7 18 0 1 1.000
2007 67 6 10 0 1 1.000
2008 64 6 8 0 1 1.000
2009 66 2 16 0 1 1.000
2010 61 2 16 0 0 1.000
2011 64 1 12 0 1 1.000
2012 9 1 2 0 0 1.000
2013 64 5 12 0 0 1.000
MLB 1115 110 258 6 12 .984

タイトル

  • 最多セーブ投手:3回(1999年、2001年、2004年)

表彰

記録

背番号

参考文献

  • 「Watch Mariano Rivera's Hall of Fame career highlights」YouTube 2019-06-07閲覧。

関連情報

著書

  • 金原瑞人、樋渡正人 訳『クローザー マリアノ・リベラ自伝』作品社、2015年11月。ISBN 978-4861825644。http://www.sakuhinsha.com/hobby/25583.html 

関連書籍

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “150 Become Citizens During Two Ceremonies in New York” (English). DHS.gov (2015年10月26日). 2019年11月28日閲覧。
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関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、マリアノ・リベラに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Baseballhalloffame.org(英語)アメリカ野球殿堂National Baseball Hall of Fame)による紹介
  • Mariano Rivera stats MiLB.com (英語)
  • MarianoRivera.com
  • Rivera Foundation (@MarianoRivera) - X(旧Twitter)
 
業績
アメリカンリーグ最多セーブ
1950年代
  • 50 ミッキー・ハリス
  • 51 エリス・カインダー
  • 52 ハリー・ドリッシュ
  • 53 エリス・カインダー
  • 54 ジョニー・セイン
  • 55 レイ・ナーレスキー
  • 56 ジョージ・ズビリンク
  • 57 ボブ・グリム
  • 58 ライン・ダレン
  • 59 ターク・ローン
1960年代
  • 60 マイク・フォーニルス、ジョニー・クリップステイン
  • 61 ルイス・アローヨ
  • 62 ディック・ラダッツ
  • 63 ステュ・ミラー
  • 64 ディック・ラダッツ
  • 65 ロン・クライン
  • 66 ジャック・エイカー
  • 67 ミニー・ロハス
  • 68 アル・ワージントン
  • 69 ロン・ペラノスキー
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1940年代
  • 49 ジョー・ペイジ(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカンリーグ カムバック賞
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

太字は現役選手

ニューヨーク・ヤンキース
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ワールドシリーズ優勝(27回)
ワールドシリーズ敗退(13回)
リーグ優勝(40回)
できごと
傘下マイナーチーム
 
ニューヨーク・ヤンキース ワールドシリーズ ロースター(5回)
ニューヨーク・ヤンキース 1996年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
02 デレク・ジーター
12 ウェイド・ボッグス
13 ジム・レイリッツ
17 ケニー・ロジャース
18 マリアーノ・ダンカン
19 ルイス・ソーホー
20 マイク・オルドリート
21 ポール・オニール
22 ジミー・キー
24 ティノ・マルティネス
25 ジョー・ジラルディ
26 アンディ・フォックス

監督
06 ジョー・トーリ

コーチ
30 ウィリー・ランドルフ
34 メル・ストットルマイヤー
40 トニー・クロニンガー
48 ドン・ジマー
49 クリス・チャンブリス
53 ホセ・カーデナル

ニューヨーク・ヤンキース 1998年のワールドシリーズ ロースター
   
ニューヨーク・ヤンキース 1999年のワールドシリーズ ロースター
   


28 チャド・カーティス
29 マイク・スタントン
35 クレイ・ベリンジャー
36 デビッド・コーン
38 ジェイソン・グリムズリー
39 ダリル・ストロベリー
42 マリアノ・リベラシリーズMVP
43 ジェフ・ネルソン
45 チリ・デービス
46 アンディ・ペティット
47 シェーン・スペンサー
51 バーニー・ウィリアムス
55 ラミロ・メンドーサ

ニューヨーク・ヤンキース 2000年のワールドシリーズ ロースター
   
ニューヨーク・ヤンキース 2009年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
27 ジョー・ジラルディ

コーチ
50 ミック・ケラー(一塁)
54 ケビン・ロング(打撃)
56 トニー・ペーニャ(ベンチ)
57 マイク・ハーキー(ブルペン)
58 デーブ・アイランド(投手)
59 ロブ・トムソン(三塁)

典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
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その他
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