晋康郡

晋康郡(晉康郡、しんこう-ぐん)は、中国にかつて存在した東晋から唐代にかけて、現在の広東省北西部に設置された。

概要

351年(永和7年)、東晋により蒼梧郡が分割されて晋康郡が立てられた。晋康郡は広州に属し、郡治は元渓県に置かれた。

南朝宋のとき、晋康郡は端渓晋化都城楽城賓江悦城・元渓・夫阮・僑寧・安遂・永始・武定文招・熙寧の14県を管轄した[1]

南朝斉のとき、晋康郡は威城・都城・夫阮・元渓・安遂・晋化・永始・端渓・賓江・熙寧・楽城・武定・悦城・文招・義立の15県を管轄した[2]

589年開皇9年)、が南朝陳を滅ぼすと、晋康郡は廃止されて、端州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、端州が信安郡と改称された[3]

621年武徳4年)、唐により信安郡端渓県に康州が置かれた。742年(天宝元年)、康州は晋康郡と改称された。758年(乾元元年)、晋康郡は康州と改称され、晋康郡の呼称は姿を消した[4]

益州晋康郡

南朝斉のとき、益州に晋康郡があった。晋康郡は江原臨邛晋楽徙陽漢嘉の5県を管轄した[5]

脚注

  1. ^ 宋書』州郡志四
  2. ^ 南斉書』州郡志上
  3. ^ 隋書』地理志下
  4. ^ 旧唐書』地理志四
  5. ^ 南斉書』州郡志下
晋朝の行政区分
西晋
司州
豫州
兗州
青州
徐州
冀州
幽州
平州
并州
雍州
涼州
秦州
梁州
益州
寧州
荊州
揚州
湘州
江州
広州
交州
東晋
揚州
徐州
北徐州
兗州
豫州
北青州
司州
北雍州
荊州
江州
梁州
益州
寧州
広州
交州