盱眙郡

この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)

盱眙郡(くい-ぐん)は、中国にかつて存在した東晋から初にかけて、現在の江蘇省淮安市一帯に設置された。

概要

411年義熙7年)、東晋により臨淮郡から盱眙県が分離されて盱眙郡が立てられた。盱眙郡は徐州に属し、盱眙・考城直瀆・陽城の4県を管轄した[1]

421年(南朝宋の永初2年)、盱眙郡は南徐州に転属した。431年(元嘉8年)、南兗州に転属した。宋の盱眙郡は考城・陽城・直瀆・信都睢陵の5県を管轄した[2]

南朝斉のとき、盱眙郡は考城・盱眙・陽城・直瀆・長楽の5県を管轄した[3]

南朝梁のとき、淮陰城に淮州が立てられ、盱眙郡は淮州に属した。

549年(武定7年)、侯景の乱の混乱に乗じて東魏が梁の盱眙郡を奪った。盱眙郡は盱眙・陽城・直瀆の3県を管轄した[4]

573年太建5年)、盱眙郡は譙州に転属した[5]

北周のとき、盱眙郡は呉州に属した。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、盱眙郡は廃止されて、呉州に編入された[6]

下相の盱眙郡

本節では、現在の江蘇省宿遷市一帯に設置された盱眙郡について述べる。527年孝昌3年)、北魏により下相県に盱眙郡が置かれ、東徐州に属した。550年(武定8年)、臨清郡と改められた[4]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志下
  2. ^ 宋書』州郡志一
  3. ^ 南斉書』州郡志上
  4. ^ a b 魏書』地形志二中
  5. ^ 陳書』宣帝紀
  6. ^ 隋書』地理志下
晋朝の行政区分
西晋
司州
豫州
兗州
青州
徐州
冀州
幽州
平州
并州
雍州
涼州
秦州
梁州
益州
寧州
荊州
揚州
湘州
江州
広州
交州
東晋
揚州
徐州
北徐州
兗州
豫州
北青州
司州
北雍州
荊州
江州
梁州
益州
寧州
広州
交州