九徳郡

九徳郡(九德郡、きゅうとく-ぐん)は、かつてベトナム中部に中国王朝が設置した

概要

三国の呉のとき、九徳郡が置かれた。九徳郡は交州に属した。

晋のとき、九徳郡は九徳・咸驩・南陵・陽遂・扶苓・曲胥・浦陽・都洨の8県を管轄した[1]

南朝宋のとき、九徳郡は浦陽・九徳・咸驩・都龐・西安・南陵・都洨・越常・宋泰・宋昌・希平の11県を管轄した[2]431年(元嘉8年)、九徳郡は林邑国の攻撃を受けた[3]

南朝斉のとき、九徳郡は九徳・咸驩・浦陽・南陵・都洨・越常・西安の7県を管轄した[4]

589年開皇9年)、が南朝陳を滅ぼすと、九徳郡は廃止されて、徳州に編入された[5]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志下
  2. ^ 宋書』州郡志四
  3. ^ 梁書』諸夷伝
  4. ^ 南斉書』州郡志上
  5. ^ 隋書』地理志下
三国の行政区分
 
魏(咸熙2年、紀元264年)
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梁州
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西域長史府
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司州
豫州
兗州
青州
徐州
冀州
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并州
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寧州
広州
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