遼東郡

紀元前1世紀頃の東夷諸国と遼東郡の位置
中国地名の変遷
建置 戦国時代
使用状況 唐代に廃止
遼東郡
前漢遼東郡
遼東郡
後漢遼東郡
三国遼東郡
西晋遼東郡
東晋十六国遼東郡
南北朝遼東郡
襄平郡
営州

遼東郡(りょうとう-ぐん、拼音: Liáodōngjùn)は、かつて中国に存在した。現在の遼寧省の一部と朝鮮の一部に相当する。

沿革

先秦時代

戦国時代、燕が北方の異民族を防ぐ目的で上谷郡漁陽郡右北平郡遼西郡遼東郡を初めて設置した[1]

秦代

紀元前222年が燕を滅ぼすと、引き続き燕の故地に上谷郡・漁陽郡・右北平郡・遼西郡・遼東郡が設置された。秦の滅亡後(前206年)、一度は遼東国。

漢代

夫余国の行政区画は遼東郡に編入された[2]

晋代

西晋からその地には遼東国が形成された。

南北朝時代

高句麗に編入された。

隋代

612年大業8年)、は襄平郡を設置した。

唐代

営州に編入された。

脚注

  1. ^ 司馬遷「匈奴列傳」『史記』 110巻。 
  2. ^ 范曄「東夷列伝」『後漢書』 85巻。 

参考資料

  • 史記』(匈奴列伝)
  • 漢書』(地理志第八下)
  • 後漢書』(郡国志第二十三)
  • 晋書』(地理志上)
  • 魏書』(志第五 地形二上)
  • 隋書』(志第二十五 地理中)
  • 旧唐書』(志第十九 地理三)
  • 太平寰宇記』(卷七十一 河北道二十)
 
司隷校尉部
豫州刺史部
兗州刺史部
青州刺史部
徐州刺史部
冀州刺史部
幽州刺史部
并州刺史部
朔方刺史部
涼州刺史部
益州刺史部
荊州刺史部
揚州刺史部
交阯刺史部
 
司隷校尉部
豫州刺史部
兗州刺史部
青州刺史部
徐州刺史部
冀州刺史部
幽州刺史部
并州刺史部
涼州刺史部
益州刺史部
荊州刺史部
揚州刺史部
交州刺史部
  • カテゴリ
三国の行政区分
 
魏(咸熙2年、紀元264年)
司州
幽州
冀州
并州
青州
徐州
兗州
豫州
雍州
涼州
荊州
揚州
梁州
益州
西域長史府
晋朝の行政区分
西晋
司州
豫州
兗州
青州
徐州
冀州
幽州
平州
并州
雍州
涼州
秦州
梁州
益州
寧州
荊州
揚州
湘州
江州
広州
交州
東晋
揚州
徐州
北徐州
兗州
豫州
北青州
司州
北雍州
荊州
江州
梁州
益州
寧州
広州
交州
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区