ヒシミラクル

ヒシミラクル
現役期間 2001 - 2005年[1]
欧字表記 Hishi Miracle[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 芦毛[1]
生誕 1999年3月31日(25歳)[1]
抹消日 2005年5月20日[2]
サッカーボーイ[1]
シュンサクヨシコ[1]
母の父 シェイディハイツ[1]
生国 日本の旗 日本北海道三石郡三石町)[1]
生産者 大塚牧場[1]
馬主 阿部雅一郎[1]
調教師 佐山優栗東[1]
調教助手 猿橋重利
厩務員 土肥弘[3]
競走成績
タイトル JRA賞最優秀父内国産馬(2003年)[1]
生涯成績 28戦6勝[1]
獲得賞金 5億1498万9000円[4]
IC 120L(2003年)[5]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2002年
GI 天皇賞(春) 2003年
GI 宝塚記念 2003年
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ヒシミラクル(欧字名:Hishi Miracle1999年3月31日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

2003年のJRA賞最優秀父内国産馬である。2002年の菊花賞GI)、2003年の天皇賞(春)および宝塚記念GI)を優勝した。

経歴

デビューまで

誕生までの経緯

シュンサクヨシコは、1992年に北海道三石町の大塚牧場で生産された、父シェイディハイツの牝馬である[6]。日本における牝系は、1907年の小岩井農場の基礎輸入牝馬20頭のうちの1頭・ヘレンサーフに始まるものに属する。シュンサクヨシコの4代母には、大塚牧場生産馬で1969年の菊花賞を制したアカネテンリュウの母・ミチアサがいた[7]。牧場当主の大塚信太郎は、シュンサクヨシコを「体型的に繁殖向き[7]」であると見抜き、牧場の将来の繁殖牝馬にすることを決意。美浦トレーニングセンター田子冬樹調教師に預けられ、競走馬デビューしたものの、3戦に出走させたのみで大塚牧場に戻り、繁殖牝馬となった[6][7]。大塚牧場は、輸入繁殖牝馬の導入を嫌い、牧場の在来牝系を保護、重視する方針にあり、繋養する繁殖牝馬65頭のうち6、7頭をミチアサの牝系が占めていた[8]。大塚はシュンサクヨシコを、その6、7頭の中でも「(ミチアサ系の)傍流[8]」であると捉えており、後に「シュンサクヨシコからクラシックホースが生まれるとは思わなかったね[8]。」と述べている。

初年度は、コマンダーインチーフと交配し、1997年に牡馬を生産。2年目は、ラグビーボールと交配し、牝馬を生産[9]。3年目の交配は、大塚は「コンスタントに走る産駒を出すわけではないが、ときどきポンと走る仔が出る。それで選んだんだ[7]。」として、サッカーボーイを選択[7]。大塚牧場のサッカーボーイ産駒では、サウンドバリヤーが1995年の愛知杯GIII)を勝利した過去があった[7]

幼駒時代

1999年3月31日、北海道三石町の大塚牧場にて、シュンサクヨシコの3番仔である芦毛の牡馬が誕生する[10]。仔は、牧場での育成中の評価は高かったが、見栄えのしづらい芦毛であることから買い手がつかなかった[10][11]。そのため2001年5月14日の、日高軽種馬農業協同組合トレーニングセールに上場され、冠名「ヒシ」を用いる阿部雅一郎が税別650万円で落札した[10]。阿部はこのセリに、ヒシマサルやヒシアケボノを管理した栗東トレーニングセンター所属の佐山優調教師をお供させており、阿部が「この馬、どう」と佐山に聞くと「いいんじゃないですか」と返答があったことから、入札に至った[12]。阿部は落札した3番仔に「ヒシミラクル」という競走馬名を与え、佐山厩舎に預けられた[12]

競走馬時代

条件馬時代(2歳8月 - 3歳9月)

2001年8月11日、小倉競馬場新馬戦(芝1200メートル)でデビューし7着。騎乗した角田が「もう少し距離が延びていいタイプ」と評したが、その後3戦1200メートルの未勝利戦に臨み、いずれも着外となる[13]。5戦目からは、距離を伸ばして1800メートルから2000メートルに出走。5戦目で初入着、6戦目で初連対を果たした。7戦目と8戦目の間は、橈骨の骨膜炎のため5か月間の休養もあった[14]。初連対から3連敗を経験して臨んだ10戦目、2002年5月26日の未勝利戦(芝2000メートル)にて、後方に3馬身差をつけて初勝利を挙げた[13]

その後は、条件戦に5回出走してすべて3着以内、500万円以下と1000万円以下を勝利して出世する[13]。500万円以下は、初戦のぶっぽうそう特別でハナ差の2着[15]。続く6月2日の売布特別で、後方に5馬身差をつけて2勝目を挙げ、2戦で突破[16]。1000万円以下は、2度の3着を経て、9月8日の野分特別で半馬身差をつけて3勝目を挙げ、3戦で突破した。この野分特別の勝利を機に佐山は、目標を菊花賞出走に定めるようになった[13]。9月22日、菊花賞のトライアル競走である神戸新聞杯GII)7番人気で、重賞初出走。スタートから後方を追走し、直線は大外に持ち出すも伸びず6着[17]。上位3頭までに与えられる菊花賞の優先出走権を得ることができなかった[17]

菊花賞(3歳10月)

優先出走権もなく、賞金の面でも菊花賞出走が厳しい状況にあったが、佐山は、菊花賞の出走登録を強行する[18]。クラシック出走に必要な「クラシック登録」をしていなかったが[注釈 1]、佐山は阿部に黙って独断で、追加登録料200万円を支払ってしまった[18]。出走登録を行ったのは、フルゲートの18頭を超過。ヒシミラクルと同じ1000万円以下相当は8頭で、出走ボーダーラインをまたいで存在。うち3頭が出走可能だった[19]。8分の3を決める抽選が行われ、ヒシミラクルは当選し出走が実現する[19]東京優駿(日本ダービー)の優勝馬タニノギムレット屈腱炎により引退、2着馬のシンボリクリスエス天皇賞(秋)に向かう中、皐月賞優勝馬のノーリーズンが単勝オッズ2.5倍の1番人気に推された[19]。骨折復帰直後のセントライト記念2着となったアドマイヤマックスが4.8倍、東京優駿4着のメガスターダムが9.1倍と続いていたが、ヒシミラクルは、36.6倍の10番人気であった[20]

映像外部リンク
2002年 菊花賞(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠2番からスタートして、中団後方に位置。1番人気ノーリーズンはスタート直後に競走中止している[19]。前方では2頭がハナを争い、ハイペースとなっていた[19]。ヒシミラクルは、2周目の向こう正面で外から進出し、第3コーナーの坂の上り下りを利用し逃げ馬など先行勢を吸収[19]。同じように動いたメガスターダム、ヤマノブリザードとともに先頭で最終コーナーを通過した。早めに仕掛けられたヒシミラクルは、他2頭を下して直線で抜け出した。後方大外から追い込んできた16番人気ファストタテヤマに寸前で並ばれて入線[19]。ヒシミラクルがハナ差退けており、GI初勝利となった[19]。佐山にとってはこれがクラシック初勝利であった[21]。角田は、前年の菊花賞で1番人気ジャングルポケットに騎乗して4着敗退。これをきっかけに主戦を降板した経験もあり、自身にとって1年越しの勝利となった[19]。また「2000よりは3000、神戸新聞杯前から菊花賞なら5着以内に入るだろうと思っていた馬なので、距離の不安はありませんでした(中略)古馬になれば長い所のレースもいっぱいあるので、これから先が楽しみです(後略)[22]」と振り返っている。

その後、暮れの有馬記念GI)11着。古馬となった2003年、阪神大賞典GII)で始動し12着、中1週で産経大阪杯GII)に出走し7着。3連敗となる[23]

天皇賞(春)(4歳5月)

産経大阪杯から1カ月後の5月4日、天皇賞(春)GI)に出走。出走馬18頭のうち、GI優勝馬はヒシミラクルとダンツフレームのみであり、河村清明によれば「層がかなり薄い[23]」メンバー構成だったという。しかしヒシミラクルは、単勝オッズ16.1倍の7番人気に留まり[24]、直前の阪神大賞典で初重賞勝利を果たしたダイタクバートラムや、金鯱賞優勝馬ツルマルボーイ中山金杯優勝馬で一昨年の菊花賞2着馬トーホウシデンなどよりも軽視される存在となっていた[24]

映像外部リンク
2003年 天皇賞(春)(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから後方を追走。菊花賞と同じように京都の第3コーナー、坂の上り下りを利用して追い上げ、先行集団に取り付いて最終コーナーを通過した[25]。直線まもなく、すべてかわし、後続の追い上げを振り切り、先頭で入線[25]。後方に半馬身差をつけてGI2勝目[25]。『優駿』には「菊花賞の再現ともいえるレース運び[25]」と評された。

1998年メジロブライト以来となる父内国産馬による天皇賞(春)優勝[26]。前走7着からの優勝は、天皇賞(春)史上最も大きな巻き返しとなった[27]。角田は「大阪杯で負けはしましたが、いい負け方というか、次につながるレースをしてくれたので自信は持っていました。成績が成績なだけにやっぱり人気はありませんでしたが、1番人気より1着ですね[26]。」と述べている。その後、佐山は、持続力のある末脚を活かせるような直線コースの長い東京競馬場の安田記念参戦を目指すと宣言[25]。しかし、疲労の面でそれを断念し、宝塚記念に進んだ[25]

宝塚記念(4歳6月)

6月29日、宝塚記念(GI)に出走する。年度代表馬シンボリクリスエスや、GI級6勝のアグネスデジタル、前年の優勝馬ダンツフレームタップダンスシチーツルマルボーイなどの古馬が揃い、さらにこの年の春のクラシック二冠馬ネオユニヴァースが出走を表明[28]。当日の阪神競馬場には前年比35パーセント増となる7万6944人が集結。前年比49パーセント増の270億2万3900円が勝ち馬投票券に投じられるなど注目が集まり、「宝塚記念史上、最高のメンバー[28]」(『優駿』編集部)とも称された[28]

レース前日の土曜日にある人物の大口投票により(後述、ヒシミラクル#"ミラクル"おじさん)、一時単勝オッズが1.7倍を示したが、当日の最終的な人気は、16.3倍の6番人気であった[29][30]。上位人気には、この年の始動戦となったシンボリクリスエスが2.1倍、ネオユニヴァースが4倍、アグネスデジタルが6倍、タップダンスシチーが9倍と続いていた[30]。ヒシミラクルは、これまでの重賞勝ち鞍が3000メートル超のみであることから、長距離向きと認識されており、大口投票が存在したにもかかわらず、GI未勝利馬のダイタクバートラム(5番人気)よりも低い評価となるなど、2200メートル参戦は歓迎されていなかった[29]

映像外部リンク
2003年 宝塚記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2003年 宝塚記念(GI
レース映像 カンテレ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから中団馬群の後方に位置[28]。向こう正面から角田が盛んに促して、第3コーナーでは外から進出したが、先頭が数馬身前にいる8番手で最終コーナーを通過した[30][31]。直線では、先に抜け出したシンボリクリスエスやタップダンスシチーが先頭を争い、その数馬身後ろのヒシミラクルはその外から追い込み、脚が鈍る先頭2頭を末脚で以てかわした[31]。抜け出したものの、直後に大外からツルマルボーイが接近。馬体を併せられたものの、クビ差だけ先着して入線し、GI3勝目を挙げた[28]

同じ年の天皇賞(春)と宝塚記念をいずれも勝利したのは、2000年テイエムオペラオー以来3年ぶり9頭目[32]。菊花賞優勝馬の宝塚記念勝利は、1996年マヤノトップガン以来7年ぶり5頭目[32]。さらに、父内国産馬の勝利は、1993年メジロマックイーン以来10年ぶり10頭目であった[32]。角田は「厳しいレースになるだろうと思っていたし、半信半疑なところもありましたが、自身をもって騎乗して結果を出せたらいいなと考えていました。(中略)このメンバーを相手に勝てたことが嬉しいです。(中略)長距離馬と言われてますが、これからは中距離でも楽しみになりました[32]。」。佐山は「ゴールした瞬間は、本当に勝ったのか信じられなかったですね。(中略)今日の勝因はまず角田くん〔ママ〕の好騎乗でしょう[32]」と述懐している。

繋靭帯炎発症 - 引退(4歳秋 - 6歳春)

夏休みを経て、秋は10月12日の京都大賞典GII)で始動、2番人気に推される[33]。1番人気タップダンスシチーが逃げる中、2番手を追走。直線で追い上げたが、タップダンスシチーには届かず、1馬身4分の1差の2着[33]。敗戦とはいえ、休養明けの2着に佐山と角田には笑顔があったという[33]。しかし、レース後に歩様が乱れ、右前脚が腫れてしまった[34]。精密検査を受け、10月15日に右前繋靭帯炎の発症が判明、年内出走不能となった[34]

約1年の休養を経て、2004年10月に復帰[4]。5戦走るが5連敗、5連敗に到達した2005年5月の天皇賞(春)の直後に右前繋靭帯炎の再発が認められ、競走馬を引退[4]。5月20日付でJRAの競走馬登録を抹消する[2]

種牡馬時代

種牡馬時代のヒシミラクル(2006年9月21日撮影)

競走馬引退後、北海道静内郡静内町レックススタッドで種牡馬となった[4]。初年度は22頭の繁殖牝馬を集めて、10頭を生産。その後の4年は、8頭、8頭、12頭、1頭の繁殖牝馬と交配した[35]。交配数が1頭に留まった2010年11月1日に、用途変更。種牡馬を引退した[36]。その後はレックススタッドを退き、北海道浦河町の中村雅明牧場で余生を過ごしている[37][38]。種牡馬引退後も去勢されることなく当て馬として働いている[39]。5年間の種牡馬活動で、血統登録された頭数は30頭である[35]。そのうち、2007年に交配し、2008年に産まれたヒシダイアナ(母父:ウェイヴァリングモナーク(英語版))は、中央競馬2戦、地方競馬28戦に出走[40]。佐賀競馬所属時に佐賀重賞の花吹雪賞飛燕賞を含む5勝を挙げた[40]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[41]およびJBISサーチ[42]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上り3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

2001. 8. 11 小倉 2歳新馬 芝1200m(良) 13 7 11 58.4(09人) 07着 1.13.0 (37.2) -1.1 0角田晃一 53 リバートレジャー 448
8. 25 小倉 2歳新馬 芝1200m(良) 18 6 11 54.3(10人) 11着 1.12.3 (36.6) -2.0 0角田晃一 53 マイネルプレーリー 448
9. 8 阪神 2歳未勝利 芝1200m(稍) 12 7 9 81.2(09人) 08着 1.11.2 (34.9) -1.6 0角田晃一 53 ヤマニンイデアル 454
9. 23 阪神 2歳未勝利 芝1200m(良) 13 1 1 86.3(10人) 09着 1.12.1 (35.6) -1.3 0角田晃一 53 セトノアケボノ 462
10. 7 京都 2歳未勝利 芝2000m(良) 8 8 8 11.4(06人) 05着 2.03.3 (36.6) -1.6 0角田晃一 53 チトセサクセス 464
10. 21 京都 2歳未勝利 芝1800m(良) 15 3 4 45.0(10人) 02着 1.48.8 (36.8) -0.5 0角田晃一 53 フジヤマワイルド 464
11. 4 京都 2歳未勝利 芝1800m(稍) 16 5 9 05.2(02人) 03着 1.49.7 (36.5) -0.3 0角田晃一 54 ナムラサンクス 462
2002. 4. 20 京都 3歳未勝利 芝1800m(良) 18 8 17 18.2(07人) 04着 1.48.5 (35.8) -0.8 0安田康彦 55 ホシノササヤキ 466
5. 4 京都 3歳未勝利 芝1800m(良) 18 2 3 05.1(02人) 06着 1.48.5 (35.7) -0.6 0安田康彦 55 サフランブリザード 460
5. 26 中京 3歳未勝利 芝2000m(良) 18 7 15 11.7(05人) 01着 2.00.5 (36.5) -0.5 0角田晃一 55 (メイショウノビノビ) 458
6. 8 中京 ぶっぽうそう特別 5下 芝2000m(良) 15 8 15 03.8(01人) 02着 2.01.7 (36.2) -0.0 0角田晃一 55 アクトナチュラリー 452
6. 22 阪神 売布特別 5下 芝2200m(良) 18 7 13 06.7(03人) 01着 2.12.6 (36.2) -0.8 0角田晃一 53 (プローサム) 450
7. 20 新潟 佐渡特別 10下 芝2200m(良) 9 5 5 02.2(01人) 03着 2.13.2 (34.6) -0.4 0角田晃一 54 プレシャスソング 458
8. 4 函館 洞爺湖特別 10下 芝2000m(良) 16 7 13 04.3(02人) 03着 2.04.5 (36.2) -0.2 0四位洋文 54 プレジオ 446
9. 8 阪神 野分特別 10下 芝2000m(良) 8 2 1 02.0(01人) 01着 2.02.0 (34.1) -0.1 0角田晃一 55 (エルウェースター) 456
9. 22 阪神 神戸新聞杯 GII 芝2000m(良) 16 4 8 16.1(07人) 06着 2.00.4 (35.7) -1.3 0角田晃一 56 シンボリクリスエス 456
10. 20 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 1 2 36.6(10人) 01着 3.05.9 (35.2) -0.0 0角田晃一 57 ファストタテヤマ 460
12. 22 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 14 3 3 18.5(05人) 11着 2.34.2 (35.6) -1.6 0角田晃一 55 シンボリクリスエス 464
2003. 3. 23 阪神 阪神大賞典 GII 芝3000m(良) 15 4 7 16.1(05人) 12着 3.07.0 (35.3) -1.1 0角田晃一 58 ダイタクバートラム 464
4. 6 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 15 4 6 28.8(08人) 07着 1.59.6 (35.0) -0.5 0角田晃一 59 タガノマイバッハ 458
5. 4 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 6 11 16.1(07人) 01着 3.17.0 (35.6) -0.1 0角田晃一 58 (サンライズジェガー) 454
6. 29 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良) 17 5 10 16.3(06人) 01着 2.12.0 (36.0) -0.0 0角田晃一 58 ツルマルボーイ 454
10. 12 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 9 8 9 02.5(02人) 02着 2.26.8 (34.1) -0.2 0角田晃一 59 タップダンスシチー 454
2004. 10. 31 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(稍) 17 7 14 19.8(10人) 16着 2.02.7 (37.8) -3.8 0角田晃一 58 ゼンノロブロイ 454
11. 28 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 16 6 11 25.0(11人) 09着 2.25.6 (36.2) -1.4 0角田晃一 57 ゼンノロブロイ 454
12. 26 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 15 6 11 13.1(06人) 14着 2.31.3 (37.1) -1.8 0角田晃一 57 ゼンノロブロイ 456
2005. 2. 19 京都 京都記念 GII 芝2200m(重) 12 6 8 14.8(05人) 03着 2.16.1 (35.6) -0.4 0角田晃一 60 ナリタセンチュリー 468
5. 1 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 4 8 06.0(03人) 16着 3.18.3 (36.3) -1.8 0角田晃一 58 スズカマンボ 468

種牡馬成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[35]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2006 22 10 10 10 6 0.13
2007 8 6 6 6 4 1 0.34
2008 8 6 6 5 2 0.07
2009 12 7 7 7 2 0.55
2010 1 1 1 1 0 0.14
合計 30 29 14 1 0.26 0.47

主な産駒

エピソード

大塚牧場

大塚牧場は、1880年代から競走馬生産を行う老舗の牧場であり、これまで、第1回中山グランプリ(後の有馬記念)を勝利したメイヂヒカリや、1948年の優駿牝馬を勝利したヤシマヒメ、1969年の菊花賞を勝利したアカネテンリュウ、宝塚記念を勝利したエイトクラウンナオキ母仔、1990年の宝塚記念を勝利したオサイチジョージを生産[7]。しかしオサイチジョージ以降、12年間GI級競走を勝利することができなかった[7]

ヒシミラクルの出現は、大塚牧場として、菊花賞勝利は、1969年アカネテンリュウ以来33年ぶり3勝目[21]。天皇賞(春)勝利は、1956年メイヂヒカリ以来47年ぶり2勝目[43]。宝塚記念勝利は、1990年オサイチジョージ以来12年ぶり4勝目であった[44]

"ミラクル"おじさん

おじさんの単勝コロガシ行為(通説)
コロガシ 競走 勝馬投票券購入対象 人気 オッズ 購入金額 払い戻し額 増分
1 NHKマイルカップ ウインクリューガー 9 26.0倍 5万円 130万円 125万円
東京優駿(日本ダービー) ネオユニヴァース 1 02.6倍 50万円 80万円
2 安田記念 アグネスデジタル 4 09.4倍 130万円 1222万円 1092万円
3 宝塚記念 ヒシミラクル 6 16.3倍 1222万円 1億9918万6000円 1億8696万6000円

宝塚記念前日の土曜日、シンボリクリスエスネオユニヴァース等の対決に注目が集まる中、ヒシミラクルの単勝オッズが1.7倍の1番人気となっていた[29]。これはその日の11時頃、ウインズ新橋を訪れたある男性が、安田記念の的中単勝式勝馬投票券130万円分の払い戻しを行い、得た1222万円を全額、宝塚記念のヒシミラクルの単勝式勝馬投票券購入に充てる「コロガシ」行為をやり遂げたためであった[45]。その男性は目撃情報によれば「サラリーマン風の中年」であり、マスコミなどから「ヒシミラクルおじさん」「ミラクルおじさん」と呼称された[29]。前日発売のオッズを確認したヒシミラクル騎乗の角田は「前日に単勝1番人気になった時は、えっ、なんで?と思った。(大口購入した人がいたという話は)レース前にチラッとは聞いていた[45]」と振り返っている。レースが近づくにつれて馬券売り上げが増加し、ヒシミラクル支持、おじさんの大口投票の存在感が相対的に小さくなり、最終オッズは16.3倍の6番人気に落ち着いている[29]。ただし複勝式は、大口投票の影響で単勝式複勝式の人気が食い違い、オッズに歪みが生じてしまった。単勝6番人気ヒシミラクルが6.4倍の8番人気に対し、例えば単勝8番人気ツルマルボーイ[注釈 2]は6.1倍の7番人気となってしまっていた[46][29]。そしてレースが執り行われてヒシミラクルは優勝、男性の単勝式は1億9918万6000円に化け、宝塚記念の1着賞金1億3200万円よりも高い金額を手にすることとなった[45]

この「コロガシ」行為について、安田記念の購入金額130万円の出所の考察もなされ、NHKマイルカップウインクリューガーの5万円的中、または東京優駿(日本ダービー)のネオユニヴァースの50万円的中ではないかというのが通説である[29]

プール下手

2003年10月12日の京都大賞典後に、右前脚の繋靭帯炎が判明[47]。10月23日から福島県いわき市JRA競走馬総合研究所常磐支所に入所し、治療・リハビリテーションに入っていた[47]。競走馬のリハビリテーション施設である常磐支所は、脚の負担が小さいプール調教を行っているが、ヒシミラクルは泳ぎが下手で、プールを全く進めなかった[48]。通常泳ぎの下手な馬は、ムチで前進を促すが、ヒシミラクルには通用しなかった[48]。そこで頭の後ろで空き缶を鳴らしたり、棒で水面を叩いたりする工夫がなされたが、前進は難航したという[48]。『優駿』編集部が取り上げたある一日では、通常の馬が34、35秒、上手い馬が20秒台で走るコースを、ヒシミラクルは48秒かかっていた[48]

血統表

ヒシミラクル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ファイントップ系
[§ 2]

サッカーボーイ 1985
栃栗毛 北海道白老町
父の父
*ディクタス
Dictus 1967
栗毛
Sanctus Fine Top
Sanelta
Doronic Worden
Dulzetta
父の母
ダイナサッシュ 1979
鹿毛
*ノーザンテースト
Northern Taste
Northern Dancer
Lady Victoria
*ロイヤルサッシュ
Royal Sash
Princely Gift
Sash of Honour

シュンサクヨシコ 1992
芦毛 北海道三石町
*シェイディハイツ
Shady Heights 1984
鹿毛
Shirley Heights Mill Reef
Hardiemma
Vaguely Bold Lad
Vaguely Mine
母の母
シュンサクレディ 1979
芦毛
*ラナーク Grey Sovereigh
Vermillion o'Toole
ムーンフィニックス *フィダルゴ
ミチアサ
母系(F-No.) ヘレンサーフ系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ ヒシミラクル 5代血統表2016年9月5日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com ヒシミラクル 5代血統表2017年9月7日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ ヒシミラクル 5代血統表2016年9月5日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ ヒシミラクル 5代血統表2016年9月5日閲覧。

血統背景

父のサッカーボーイは、長距離を得意とする産駒を輩出している。母シュンサクヨシコは3戦未勝利だが、兄にエプソムカップで2着のダイワジェームスがいる。牝系先祖のミチアサは菊花賞馬アカネテンリュウの母。7代前まで内国産という日本土着牝系である。

脚注

注釈

  1. ^ この年のクラシック登録の締め切りは、1月18日。骨膜炎で放牧中だったために、登録を行っていなかった。
  2. ^ 単勝式のオッズは30.4倍である。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “ヒシミラクル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年11月15日閲覧。
  2. ^ a b “ヒシミラクルが引退 | 競馬実況web | ラジオNIKKEI”. keiba.radionikkei.jp. 2022年1月19日閲覧。
  3. ^ ““集大成の仕上げ”スマートギア大駆けあるぞ”. netkeiba.com. 2023年7月29日閲覧。
  4. ^ a b c d 『優駿』2009年12月号 161頁
  5. ^ “THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONS” (PDF). IFHA. 2021年11月15日閲覧。
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  7. ^ a b c d e f g h 『優駿』2003年3月号 42-43頁
  8. ^ a b c 『優駿』2003年3月号 45頁
  9. ^ “繁殖牝馬情報:牝系情報|シュンサクヨシコ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年1月20日閲覧。
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  11. ^ 『優駿』2003年3月号 44頁
  12. ^ a b 『優駿』2002年12月号 54頁
  13. ^ a b c d 『優駿』2009年12月号 156頁
  14. ^ 『優駿』2002年12月号 55頁
  15. ^ “9R ぶっぽうそう特別 500万下|2002年6月8日(土)2回中京7日|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年1月20日閲覧。
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  18. ^ a b 『優駿』2002年12月号 53頁
  19. ^ a b c d e f g h i 『優駿』2002年12月号 32-33頁
  20. ^ “菊花賞|2002年10月20日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2022年1月19日閲覧。
  21. ^ a b 『優駿』2002年12月号 30頁
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  23. ^ a b 『優駿』2009年12月号 158頁
  24. ^ a b “天皇賞(春)|2003年5月4日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2022年1月19日閲覧。
  25. ^ a b c d e f 『優駿』2003年6月号 56-59頁
  26. ^ a b 『優駿』2003年6月号 140-141頁
  27. ^ 『優駿』2003年6月号 149頁
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  29. ^ a b c d e f g 『優駿』2009年12月号 159頁
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  32. ^ a b c d e 『優駿』2003年8月号 136-137頁
  33. ^ a b c 『優駿』2003年11月号 23頁
  34. ^ a b 『優駿』2003年11月号 16頁
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  36. ^ “2010年供用停止種雄馬一覧”. 公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年1月19日閲覧。
  37. ^ “ヒシミラクルがレックススタッドを退厩 | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2022年1月19日閲覧。
  38. ^ “ヒシミラクルが中村雅明牧場に移動 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年1月19日閲覧。
  39. ^ “ヒシミラクル “ミラクル”馬券のお礼に途切れぬファン、24歳とは思えない若々しさ - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年8月23日閲覧。
  40. ^ a b c “ヒシダイアナ|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年1月19日閲覧。
  41. ^ “ヒシミラクルの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2022年1月18日閲覧。
  42. ^ “競走成績:全競走成績|ヒシミラクル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年1月18日閲覧。
  43. ^ 『優駿』2003年6月号 56頁
  44. ^ 『優駿』2003年8月号 37頁
  45. ^ a b c “奇跡の転がし馬券で2億円?「ヒシミラクルおじさん」”. https://p.nikkansports.com/goku-uma/. 2023年5月10日閲覧。
  46. ^ “宝塚記念|2003年6月29日 | 競馬データベース - netkeiba.com”. db.netkeiba.com. 2022年1月20日閲覧。
  47. ^ a b 『優駿』2004年8月号 66頁
  48. ^ a b c d 『優駿』2004年8月号 67頁

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2002年11月号
      • 「【重賞データファイル】第50回神戸新聞杯(菊花賞トライアル)(GII) シンボリクリスエス」
    • 2002年12月号
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義 211】佐山優調教師」
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】第63回菊花賞(GI) ヒシミラクル」
      • 「【重賞データファイル】第63回菊花賞(GI) ヒシミラクル」
    • 2003年6月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第127回天皇賞(春)(GI) ヒシミラクル」
      • 「【重賞データファイル】第127回天皇賞(春)(GI) ヒシミラクル」
      • 「【今月の記録室】春の天皇賞は 菊花賞馬2年連続V」
    • 2003年8月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第44回宝塚記念(GI) ヒシミラクル」
      • 高橋直子「【競作ノンフィクション・シリーズ】5キロ差に賭けた二冠馬の夢 ~ネオユニヴァースの挑戦が残したもの」
      • 「【重賞データファイル】第44回宝塚記念(GI) ヒシミラクル」
    • 2003年11月号
      • 優駿編集部「【特集 第128回天皇賞・秋(GI)】激動の天皇賞・秋戦線、その顛末」
      • 優駿編集部「【特集 第128回天皇賞・秋(GI)】本番への重要レースを振り返る[ステップレース・リポート] 京都大賞典」
    • 2004年8月号
      • 優駿編集部「【やさしい馬学】伊藤幹(競走馬総合研究所常盤支所)『馬の温泉』最新リハビリ事情——ヒシミラクルの場合」
    • 2009年12月号
      • 河村清明「【サラブレッド・ヒーロー列伝】ヒシミラクル 21世紀の白き個性派」

外部リンク

菊花賞勝ち馬
1930年代

第1回 テツモン / 第2回 マルタケ

1940年代

第3回 テツザクラ / 第4回 セントライト / 第5回 ハヤタケ / 第6回 クリフジ / 第7回 アヅマライ / 第8回 ブラウニー / 第9回 ニユーフオード / 第10回 トサミドリ

1950年代

第11回 ハイレコード / 第12回 トラツクオー / 第13回 セントオー / 第14回 ハクリヨウ / 第15回 ダイナナホウシユウ / 第16回 メイヂヒカリ / 第17回 キタノオー / 第18回 ラプソデー / 第19回 コマヒカリ / 第20回 ハククラマ

1960年代

第21回 キタノオーザ / 第22回 アズマテンラン / 第23回 ヒロキミ / 第24回 グレートヨルカ / 第25回 シンザン / 第26回 ダイコーター / 第27回 ナスノコトブキ / 第28回 ニツトエイト / 第29回 アサカオー / 第30回 アカネテンリュウ

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代

第61回 エアシャカール / 第62回 マンハッタンカフェ / 第63回 ヒシミラクル / 第64回 ザッツザプレンティ / 第65回 デルタブルース / 第66回 ディープインパクト / 第67回 ソングオブウインド / 第68回 アサクサキングス / 第69回 オウケンブルースリ / 第70回 スリーロールス

2010年代

第71回 ビッグウィーク / 第72回 オルフェーヴル / 第73回 ゴールドシップ / 第74回 エピファネイア / 第75回 トーホウジャッカル / 第76回 キタサンブラック / 第77回 サトノダイヤモンド / 第78回 キセキ / 第79回 フィエールマン / 第80回 ワールドプレミア

2020年代

第81回 コントレイル / 第82回 タイトルホルダー  / 第83回 アスクビクターモア / 第84回 ドゥレッツァ

   

国際競走指定前:
002回(1938年) ハセパーク
004回(1939年) スゲヌマ
006回(1940年) トキノチカラ
008回(1941年) マルタケ
010回(1942年) ミナミモア
012回(1943年) グランドライト
014回(1944年) ヒロサクラ
015回(1947年) オーライト
017回(1948年) シーマー
019回(1949年) ミハルオー
021回(1950年) オーエンス
023回(1951年) タカクラヤマ
025回(1952年) ミツハタ
027回(1953年) レダ
029回(1954年) ハクリヨウ
031回(1955年) タカオー
033回(1956年) メイヂヒカリ
035回(1957年) キタノオー
037回(1958年) オンワードゼア
039回(1959年) トサオー
041回(1960年) クリペロ
043回(1961年) ヤマニンモアー
045回(1962年) オンスロート
047回(1963年) コレヒサ
049回(1964年) ヒカルポーラ
051回(1965年) アサホコ
053回(1966年) ハクズイコウ
055回(1967年) スピードシンボリ
057回(1968年) ヒカルタカイ

059回(1969年) タケシバオー
061回(1970年) リキエイカン
063回(1971年) メジロムサシ
065回(1972年) ベルワイド
067回(1973年) タイテエム
069回(1974年) タケホープ
071回(1975年) イチフジイサミ
073回(1976年) エリモジョージ
075回(1977年) テンポイント
077回(1978年) グリーングラス
079回(1979年) カシュウチカラ
081回(1980年) ニチドウタロー
083回(1981年) カツラノハイセイコ
085回(1982年) モンテプリンス
087回(1983年) アンバーシャダイ
089回(1984年) モンテファスト
091回(1985年) シンボリルドルフ
093回(1986年) クシロキング
095回(1987年) ミホシンザン
097回(1988年) タマモクロス
099回(1989年) イナリワン
第101回(1990年) スーパークリーク
第103回(1991年) メジロマックイーン
第105回(1992年) メジロマックイーン
第107回(1993年) ライスシャワー
第109回(1994年) ビワハヤヒデ
第111回(1995年) ライスシャワー
第113回(1996年) サクラローレル
第115回(1997年) マヤノトップガン
第117回(1998年) メジロブライト

第119回(1999年) スペシャルウィーク
第121回(2000年) テイエムオペラオー
第123回(2001年) テイエムオペラオー
第125回(2002年) マンハッタンカフェ
第127回(2003年) ヒシミラクル
第129回(2004年) イングランディーレ

国際競走指定後:
第131回(2005年) 日本の旗 スズカマンボ
第133回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第135回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第137回(2008年) 日本の旗 アドマイヤジュピタ
第139回(2009年) 日本の旗 マイネルキッツ
第141回(2010年) 日本の旗 ジャガーメイル
第143回(2011年) 日本の旗 ヒルノダムール
第145回(2012年) 日本の旗 ビートブラック
第147回(2013年) 日本の旗 フェノーメノ
第149回(2014年) 日本の旗 フェノーメノ
第151回(2015年) 日本の旗 ゴールドシップ
第153回(2016年) 日本の旗 キタサンブラック
第155回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第157回(2018年) 日本の旗 レインボーライン
第159回(2019年) 日本の旗 フィエールマン
第161回(2020年) 日本の旗 フィエールマン
第163回(2021年) 日本の旗 ワールドプレミア
第165回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第167回(2023年) 日本の旗 ジャスティンパレス
第168回(2024年) 日本の旗 テーオーロイヤル

日本の旗 宝塚記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1960年) ホマレーヒロ
02回(1961年) シーザー
03回(1962年) コダマ
04回(1963年) リユウフオーレル
05回(1964年) ヒカルポーラ
06回(1965年) シンザン
07回(1966年) エイトクラウン
08回(1967年) タイヨウ
09回(1968年) ヒカルタカイ
第10回(1969年) ダテホーライ
第11回(1970年) スピードシンボリ
第12回(1971年) メジロムサシ
第13回(1972年) ショウフウミドリ
第14回(1973年) ハマノパレード
第15回(1974年) ハイセイコー
第16回(1975年) ナオキ
第17回(1976年) フジノパーシア
第18回(1977年) トウショウボーイ
第19回(1978年) エリモジョージ
第20回(1979年) サクラショウリ
第21回(1980年) テルテンリュウ
第22回(1981年) カツアール
第23回(1982年) モンテプリンス

第24回(1983年) ハギノカムイオー
第25回(1984年) カツラギエース
第26回(1985年) スズカコバン
第27回(1986年) パーシャンボーイ
第28回(1987年) スズパレード
第29回(1988年) タマモクロス
第30回(1989年) イナリワン
第31回(1990年) オサイチジョージ
第32回(1991年) メジロライアン
第33回(1992年) メジロパーマー
第34回(1993年) メジロマックイーン
第35回(1994年) ビワハヤヒデ
第36回(1995年) ダンツシアトル
第37回(1996年) マヤノトップガン

国際競走指定後:
第38回(1997年) 日本の旗 マーベラスサンデー
第39回(1998年) 日本の旗 サイレンススズカ
第40回(1999年) 日本の旗 グラスワンダー
第41回(2000年) 日本の旗 テイエムオペラオー

国際G1昇格後:
第42回(2001年) 日本の旗 メイショウドトウ
第43回(2002年) 日本の旗 ダンツフレーム

第44回(2003年) 日本の旗 ヒシミラクル
第45回(2004年) 日本の旗 タップダンスシチー
第46回(2005年) 日本の旗 スイープトウショウ
第47回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第48回(2007年) 日本の旗 アドマイヤムーン
第49回(2008年) 日本の旗 エイシンデピュティ
第50回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第51回(2010年) 日本の旗 ナカヤマフェスタ
第52回(2011年) 日本の旗 アーネストリー
第53回(2012年) 日本の旗 オルフェーヴル
第54回(2013年) 日本の旗 ゴールドシップ
第55回(2014年) 日本の旗 ゴールドシップ
第56回(2015年) 日本の旗 ラブリーデイ
第57回(2016年) 日本の旗 マリアライト
第58回(2017年) 日本の旗 サトノクラウン
第59回(2018年) 日本の旗 ミッキーロケット
第60回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第61回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第62回(2021年) 日本の旗 クロノジェネシス
第63回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第64回(2023年) 日本の旗 イクイノックス