二条舎子

二条 舎子
第116代天皇嫡母
第117代天皇母
皇太后 延享4年5月27日(1747年
青綺門院
院号宣下 寛延3年6月26日(1750年

誕生 享保元年8月24日(1716年10月9日
崩御 寛政2年1月29日(1790年3月14日
陵所 月輪陵京都府京都市東山区
別称 大女院
氏族 藤原氏二条家
父親 二条吉忠
母親 前田利子
配偶者 桜町天皇
子女 盛子内親王
後桜町天皇
養子女 桃園天皇
女御宣下 元文元年11月15日(1736年
テンプレートを表示

二条 舎子(にじょう いえこ、享保元年8月24日(1716年10月9日) - 寛政2年1月29日(1790年3月14日))は、桜町天皇女御で、最後の女帝・後桜町天皇の生母。後に皇太后女院号は青綺門院(せいきもんいん)。

系譜

関白左大臣二条吉忠の二女。生母は父の正室加賀藩主前田綱紀の娘、利子。同母姉に有栖川宮職仁親王妃淳子、異母弟に右大臣二条宗熙がいる。

経歴

享保18年(1733年)、4歳年下の皇太子昭仁親王(のちの桜町天皇)として入内。2年後、中御門天皇譲位して昭仁親王が即位すると、舎子は女御宣下を受ける。

その後、元文2年(1737年)に第一皇女盛子内親王、元文5年(1740年)に第二皇女智子内親王(のちの後桜町天皇)を出産するが、男児には恵まれなかったため、延享2年(1745年)、典侍姉小路定子所生の遐仁親王(のちの桃園天皇)を養子に迎える。

延享4年(1747年)、桜町天皇が遐仁親王に譲位すると、舎子は皇太后に冊立される。この時践祚した桃園天皇はわずか7歳であり、桜町上皇による院政が行われるが、譲位から3年後の寛延3年(1750年)に桜町上皇は崩御。皇太后舎子は女院号宣下を受けて落飾する。

宝暦12年(1762年)、桃園天皇は22歳で崩御する。天皇の実子である英仁親王(のちの後桃園天皇)は未だ5歳であったことから、摂関家当主らの合議の上、故天皇の異母姉で、舎子の実子である智子内親王が、英仁親王が成長するまでの中継ぎとして即位。明正天皇以来119年ぶりの女帝後桜町天皇が誕生した。

明和7年(1771年)、後桜町天皇は英仁親王に譲位、後桃園天皇即位するが、父である桃園天皇に続き、後桃園天皇も安永8年(1779年)に22歳で崩御する。遺された皇子女は同年誕生したばかりの欣子内親王ただ一人であったため、ここに中御門天皇系の皇統は断絶し、次代は傍系である閑院宮家から師仁王を迎え、光格天皇として即位させた。

それから11年後の寛政2年1月29日(1790年3月14日)、青綺門院舎子は75歳で崩御。陵所は京都府京都市東山区月輪陵

幼帝や女帝が続いた時代、4代の天皇の治世に渡って皇太后、女院の座にあったことは特筆に価する。晩年は桃園天皇生母の開明門院(姉小路定子)や後桃園天皇生母の恭礼門院(一条富子)らに対し、「大女院」と称された。

皇太后旗 皇太后一覧 菊の御紋
伝承の時代

古墳時代
飛鳥時代
  • 皇太后なし
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
  • 源通子1243贈
南北朝時代
南朝
北朝
  • 皇太后なし
室町時代
  • 庭田朝子1504贈
  • 万里小路栄子1558贈
安土桃山時代
  • 皇太后なし
江戸時代
現代
  • 緑色は贈皇太后を示す。
カテゴリ カテゴリ
平安時代
鎌倉時代

殷富門院 / 七条院 / 宣陽門院 / 宜秋門院 / 承明門院 / 坊門院 / 修明門院 / 春華門院 / 陰明門院 / 嘉陽門院 / 東一条院 / 北白河院 / 安嘉門院 / 安喜門院 / 鷹司院 / 藻璧門院 / 明義門院 / 式乾門院 / 宣仁門院 / 正親町院 / 室町院 / 大宮院 / 仙華門院 / 永安門院 / 神仙門院 / 東二条院 / 和徳門院 / 月華門院 / 今出川院 / 京極院 / 新陽明門院 / 延政門院 / 玄輝門院 / 五条院 / 遊義門院 / 永陽門院 / 昭慶門院 / 永福門院 / 昭訓門院 / 永嘉門院 / 陽徳門院 / 章義門院 / 西華門院 / 広義門院 / 章善門院 / 朔平門院 / 長楽門院 / 延明門院 / 談天門院 / 達智門院 / 万秋門院 / 寿成門院 / 顕親門院 / 崇明門院 / 礼成門院

南北朝時代
室町・安土桃山時代
江戸時代
カテゴリ カテゴリ