ランディ・モス

ランディ・モス
Randy Moss
refer to caption
2009年8月、ワシントン・レッドスキンズとのプレシーズンゲームにおけるモス
基本情報
ポジション ワイドレシーバー
生年月日 (1977-02-13) 1977年2月13日(47歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウェストバージニア州
身長: 6' 4" =約193cm
体重: 210 lb =約95.3kg
経歴
大学 マーシャル大学
NFLドラフト 1998年 / 1巡目全体21位
初出場年 1998年
初出場チーム ミネソタ・バイキングス
所属歴
ミネソタ・バイキングス(1998-2004)
オークランド・レイダース(2005-2006)
ニューイングランド・ペイトリオッツ(2007-2010)
ミネソタ・バイキングス(2010)
テネシー・タイタンズ(2010)
サンフランシスコ・49ers(2012)
受賞歴・記録
オールプロ選出(4回)
1998・2000・2003・2007
プロボウル選出(6回)
1998・1999・2000・2002・2003・2007
その他受賞・記録
AP通信オフェンス新人王(1998)
PFWAカムバック賞(2007)
NFL 通算成績
レシーブ回数 982回
レシーブ獲得ヤード 15,292
タッチダウンレシーブ 156回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
NFL殿堂入り

ランディ・モス(Randall Gene Moss, 1977年2月13日 - )は、アメリカウェストバージニア州ランド出身のアメリカンフットボール選手。NFLの5チームで14シーズンプレーした。ポジションはワイドレシーバー(WR)。2010年までの13シーズンで10回1000ヤード以上のレシーブを記録している[1] リーグを代表するレシーバーの1人であった。兄のエリック・モス(英語版)もアメリカンフットボール選手で1999年にNFLヨーロッパでプレーしている[2]

経歴

プロ入りまで

ウェストバージニア州ベルの高校に進学した彼はアメリカンフットボール以外にバスケットボール、野球、陸上競技などで好成績をあげた[3]。アメリカンフットボールでは1992年、1993年と2年連続で州のチャンピオンとなった[4]。彼はワイドレシーバーとしてだけでなくディフェンシブバック、リターナー、プレースキッカー、パンターも務めた[4]。1994年に彼は州の最優秀選手に選出された。バスケットボールでも後にNBAでスター選手となるジェイソン・ウィリアムスとチームメートだった[5][6] 彼は1993年、1994年に州の最優秀選手に選ばれた[4][5]。陸上競技では1992年に100m200mで州のチャンピオンとなった[4][6]。野球では中堅手を務めた。1995年3月23日、彼の友人の机に"ALL NIGGERS MUST DIE"(黒人は全て死ななければならない。)と書いた白人学生に暴行を加えて[5]起訴された。同年8月31日、彼は暴行罪により30日間の禁錮となった。3日間の刑期を勤めた後、いったん釈放され残りの27日間は18ヶ月以内に務めることとなった[4]

彼の夢はノートルダム大学か兄のエリックがオフェシブタックルとしてプレーしているオハイオ州立大学でアメリカンフットボールを行うことであった。当時のノートルダム大学ヘッドコーチのルー・ホルツからはこれまで私が見た高校生アスリートの中で最高の選手の1人であると評価された。しかし前述の暴行を起こした結果、彼はノートルダム大学からの奨学金を受けることができなくなり問題児の扱いには実績のあったボビー・ボウデンのいるフロリダ州立大学に進学することとなった[5][6][7]フロリダ州立大学のボビー・ボウデンからは運動能力はディオン・サンダースと同程度であり、彼よりサイズがあると評価された[5][8]

いったんはノートルダム大学の受け入れが決まっていた彼はNCAAから転校生同様の扱いを受け、1年目の1995年を彼は練習生として過ごした[7]。彼は大学入学後40ヤードダッシュで4.25秒(彼より早かったのはディオン・サンダースの4.23秒のみ)の成績を残した[6]。しかし1996年4月にマリファナの使用[8] により服役[5]、フロリダ州立大学を去ることとなりマーシャル大学に転校した。

1996年、チームメートに "The Freak" と呼ばれた[5] 彼は12シーズン前の1984年にジェリー・ライスがミシシッピ・バレー州立大学で記録したNCAA記録に並ぶ28タッチダウンをあげて[5]、NCAAディビジョンI-AAチャンピオンシップゲームのモンタナ大学戦では4タッチダウンレシーブをあげて優勝に貢献し[5]、I-AAのオールアメリカンに選出された[8]。サザン・カンファレンスの陸上競技大会では55mで6秒32、200mでカンファレンス記録から0秒02遅れの21秒15を記録した[5]。なおこの年彼は現在4人の子供をその間にもうけているガールフレンドとの喧嘩で2人とも起訴された[5][7][8]

チームがディビジョンI-Aに昇格した1997年にはチャド・ペニントンのペアで彼は1989年にヒューストン大学のマニー・ハザードが作った記録を更新するNCAAディビジョンI-A記録となる25タッチダウンをあげて[9]ミッドアメリカン・カンファレンスで優勝、ビレトニコフ賞を獲得[8]ハイズマン賞の投票でもライアン・リーフ、ペイトン・マニングチャールズ・ウッドソンに次いで4位[6]、マックスウェル賞の投票でも4位となった[3]。この年の初戦、陸軍士官学校との試合で彼は5回のキャッチで186ヤードを獲得、2タッチダウンをあげた。最初のタッチダウンはペニントンがサイドライン際に投げ捨てようとしたパスを40ヤードライン付近でキャッチした彼は最後50ヤード独走して得点をあげた。2回目のタッチダウンは第3ダウンからのスクリーンパスを受けてキャリア最長となる90ヤードのタッチダウンであった。翌週のケント州立大学戦では自身3度目となる200ヤードを超えるレシーブ獲得を果たした。さらに2週間後のボール州立大学戦では13回のキャッチで205ヤードを獲得、大学記録となる5タッチダウンをあげた。

ミシシッピ大学とのモーターシティーボウルでは最初の攻撃シリーズに80ヤードのタッチダウンレシーブをあげて7-7の同点に追いついた。当時NCAAではボウルゲームの記録はシーズン記録には含まないこととなっていたため、シーズン26個目のタッチダウンは記録上はシーズン記録に含まれないものとなった。試合は接戦のまま第4Q残り31秒にデュース・マカリスターが1ヤードのタッチダウンをあげてミシシッピ大学が34-31とリードした。試合最後のプレーでペニントンからモスへ40ヤードのパスが投じられたが逆転TDをあげることはできなかった。この試合で彼は6回のキャッチで173ヤードを獲得した[9]。彼はマーシャル大学での2シーズンに28試合出場したがすべての試合でタッチダウンをあげた[9]

ミネソタ・バイキングス

1998年のNFLドラフトで1巡目上位で指名されることが期待されていたが[3]、全体21番目でようやくミネソタ・バイキングスに指名された[8]。これまでの素行の悪さが影響して彼の活躍に対して低い指名順位であった[8]。彼の指名を回避したチームの中にダラス・カウボーイズがあった。彼はカウボーイズのファンとして育ち、同チームでプレーすることを望んでいた。カウボーイズはアルビン・ハーパーが退団した後のワイドレシーバーのタレントが不足していたが[10] 彼のそれまでの行状からジェリー・ジョーンズオーナーは彼の指名に同意することなくカウボーイズは彼を指名しなかった[11]。彼の指名が回避された理由としてカウボーイズのエースWRであるマイケル・アービンは自身のフィールド外でのトラブルがモスの指名をカウボーイズが避けることになったと謝罪している[12]。モスを指名しなかったカウボーイズは手痛いしっぺ返しを食うこととなった。バイキングス在籍中の2004年まで5試合、オークランド・レイダースに移籍した2005年の1試合とカウボーイズ相手の6試合で20回のキャッチで675ヤードを獲得、10タッチダウンをあげることになる[13]

ドラフト指名後、彼はバイキングスと4年間450万ドル、出来高払いで最大400万ドルの契約を結んだ[14]

1年目の1998年は69回のキャッチでNFL3位の1,313ヤード(平均19ヤード)で[15] リーグトップ、そして新人記録となる17タッチダウンをあげる大活躍を見せて[16][17][18]、その年のNFCのオフェンスルーキープレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞した[8][18]。開幕戦のタンパベイ・バッカニアーズ戦でブラッド・ジョンソンから11ヤードのパスをキャッチしたのを皮切りに4回のキャッチで95ヤードを獲得、2タッチダウンをあげて31-7の勝利に貢献した。第5週、敵地ランボー・フィールドでのグリーンベイ・パッカーズとのマンデーナイトフットボールでは5回のキャッチで190ヤードを獲得、52ヤードと44ヤードの2本のタッチダウンを決めた他にも46ヤード、41ヤードのロングゲイン、オフェンスのホールディングの反則による取り消しがなければ75ヤードのタッチダウンも決めていたところであった。全米に中継された感謝祭の日のダラス・カウボーイズ戦では3タッチダウン(いずれも50ヤード以上)をあげる活躍を見せた[8][13]。またエルロイ・ハーシュ以来となる40ヤード以上のタッチダウンレシーブを10回、50ヤード以上のレシーブ、50ヤード以上のタッチダウンレシーブ5回のNFLタイ記録を達成した[6]

チームはモスの活躍などで、この年、NFLトップの556得点(1試合あたり34.8得点)をあげてNFL最高の15勝1敗でシーズンを終えたが、アトランタ・ファルコンズとのNFCチャンピオンシップゲームでオーバータイムの末、27-30で敗れ第33回スーパーボウル出場は逃した[8][19]。翌年行われたプロボウルではMVPを受賞している。

バイキングスでは1998年、1999年、2000年、2002年、2003年とプロボウルに選出されている。

1999年11月14日にソルジャー・フィールドで行われたシカゴ・ベアーズ戦では自己最高の12回のキャッチで204ヤードを獲得し27-24でのオーバータイムでの勝利に貢献した。この年先発QBがランドール・カニンガムとジェフ・ジョージで定まらない中、彼は80回のキャッチで1,143ヤードを獲得、11タッチダウンをあげ[17] 2年連続でプロボウルに選ばれた。ワイルドカードプレーオフのダラス・カウボーイズ戦でも5回のキャッチで127ヤードを獲得、1タッチダウンをあげて27-10での勝利に貢献した。ディビジョナルプレーオフのセントルイス・ラムズ戦では9回のキャッチで188ヤードを獲得、2タッチダウンをあげたがチームは37-49で敗れた。その一方でオフィシャルへの暴行、ウォーターボトルの中身をぶちまけて、NFLから2度の罰金を命じられた[8][20]

2000年には新人QBのダンテ・カルペッパーがエースQBとなったが77回のキャッチで1,437ヤードを獲得、15タッチダウンをあげた[17]。なおこの年オフィシャルへの暴行でNFLから罰金を受けている[7][8]。チームはこの年もNFCチャンピオンシップゲームに出場したがニューヨーク・ジャイアンツに0-41と惨敗し、彼はチーム批判を行った[8]。この年も彼はプロボウルに選出されている。シーズン終了後、翌2001年シーズンが契約最終年の彼は350万ドルの年俸を受け取る予定となっていたが、彼とその代理人は契約の見直し交渉を行いNFL史上最高額での契約を求めた[21]。彼の代理人はこれまでクォーターバックが史上最高額の契約を獲得してきた慣例を改めるべきだと主張した。7月のトレーニングキャンプが始まる直前、レッド・マコームズオーナーと彼は8年間7500万ドルの契約延長を果たした[22]。この契約には1000万ドルのサインボーナスが含まれ800万ドルが保障された[17]

2001年、彼は82回のキャッチで1,233ヤードを獲得、10タッチダウンをあげたがプロボウル出場をプロ入り後初めて逃し、チームは5勝11敗に終わった。この年のプレシーズンのエキシビションでのドレスコード違反で3万ドルの罰金を受けた[7]

2002年1月10日、チームは前年シーズン途中にデニス・グリーンに代わって暫定ヘッドコーチを務めていたマイク・タイスを新ヘッドコーチとして迎えた。タイスコーチは前年まで以上にモスをターゲットにしたプレーを増やしパスの40%ほどがモスをターゲットにしたプレーとなった。彼はNFL3位の106回のキャッチでNFL2位の1,347ヤードを獲得し7タッチダウンをあげて4回目のプロボウルに選出されたが彼へのパスが40%以上を占めたゲームでは4勝1敗だったものの、そうでないゲームでチームは1勝10敗であった[23]。このチーム戦略はバイキングスWRクリス・ウォルシュによって「ジョーダン・ルール」に倣い「ランディ・ルール」と名づけられた。9月24日にミネアポリスで婦人警官の制止を聞かずに彼の前方に立ちふさがった彼女をはねてしまった。彼はその場で逮捕され車内からはマリファナが見つかった[24]。有罪となった彼は1200ドルの罰金と40時間の社会奉仕が命ぜられた[18][25]

2003年、彼はNFL2位の111回のキャッチで1,632ヤードを獲得し、NFLトップの17タッチダウンをあげたが最終週のアリゾナ・カージナルス戦で敗れて9勝7敗となりプレーオフを逃した[8]。シーズンオフにマイアミ・ドルフィンズが彼をトレードで獲得しようとしたがバイキングスの条件がドラフト1巡目指名権3つだったため交渉は成立しなかった[25]

2004年、開幕から5試合で8タッチダウンをあげたが、第6週のニューオーリンズ・セインツ戦でハムストリングを痛めた彼は第7週のテネシー・タイタンズ戦でそれまで続けていた連続パスレシーブ記録は101試合で途絶えた。第8週のニューヨーク・ジャイアンツ戦にも出場したが、主におとりとしての起用であり、その試合もレシーブ0に終わった。その後3試合に欠場し、第12週のジャクソンビル・ジャガーズ戦ではタッチダウンをあげている。この年自己最低の49回のキャッチで767ヤードに終わったものの13タッチダウンをあげている[8][25]。しかし最終週のワシントン・レッドスキンズ戦で試合時間が残り2秒残っていた時点でフィールドを去りロッカールームに戻ったことが批判された[26]。このことについて彼は後日バイキングスがオンサイドキックをリカバーしたとは考えなかったと述べている[18]

バイキングスではクリス・カーターに次ぐ574回のキャッチ、90タッチダウンをあげた[15]

オークランド・レイダース

2005年3月、7シーズンを過ごしたバイキングスからLBナポレオン・ハリス及びドラフト1巡目(トロイ・ウィリアムソンが指名された。)、7巡目指名権と引き換えにオークランド・レイダースに移籍した[8]

2005年は60回のキャッチで1,005ヤードを獲得、8タッチダウンの成績を残した[6]

ニューイングランド・ペイトリオッツ

2シーズン満足のいく結果を残せず[27] ドラフト4巡目指名権と引き替えに2007年4月29日、ニューイングランド・ペイトリオッツに移籍した[28][29]。この年ニューヨーク・ジェッツとの開幕戦では9回のキャッチで181ヤードを獲得、51ヤードのタッチダウンをあげた。また11月18日のバッファロー・ビルズ戦では前半だけで4タッチダウンレシーブをあげる活躍を見せた。最終週のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではジェリー・ライスの持つシーズン最多タッチダウンパス捕球記録22を更新する23本のTDパスを捕球する新記録を達成し(このプレーはトム・ブレイディペイトン・マニングのシーズン記録を更新するシーズン50個目のTDパスであった。)[30] 再びプロボウルに選出された。この年彼はチーム歴代3位の98回のキャッチ(同じ年のウェス・ウェルカーの112回、2001年のトロイ・ブラウンの101回に次ぐ)、チーム記録となる1,493ヤードを獲得した。彼の活躍もありチームは1972年のマイアミ・ドルフィンズ以来となるレギュラーシーズン16戦全勝し(1972年は14試合制)チームは第42回スーパーボウル出場を果たしニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。スーパーボウルでは第4Qにタッチダウンをあげたが、チームは逆転負けを喫し、スーパーボウルリング獲得はならなかった。

2008年3月3日、ペイトリオッツと3年契約で2700万ドルの再契約を結んだ[31]。同年、シーズン中にレイダースオーナーのアル・デービスはモスの移籍に際してビル・ベリチックペイトリオッツヘッドコーチによりタンパリングが行われたと発言したがベリチックはこれを否定した[28]。2010年1月31日に発表されたNFL2000年代オールディケイドチームに選出されている[32]

2009年、開幕週のバッファロー・ビルズ戦では自己ベストの12回のキャッチで141ヤードを獲得、25-24の勝利に貢献した。10月11日のデンバー・ブロンコス戦では試合終了直前にディフェンスとして起用されインターセプトをあげた。第6週のテネシー・タイタンズ戦では3タッチダウンをあげた。第9週のマイアミ・ドルフィンズ戦でNFL歴代2位タイの140個目のタッチダウンをあげた。第10週のサンデーナイトゲームでは、NFL11人目となる900レシーブ、7人目となる14,000ヤード獲得の記録を達成した。この年83回のキャッチで1,264ヤードを獲得、13タッチダウンをあげた彼はチームメートのウェス・ウェルカーの代わりにプロボウルに選ばれた。

ペイトリオッツとは2010年で契約が満了することになっていたが再契約に向けたチームとの交渉がなされないことに不満をもらしていた[33][34]

2007年から2009年まで3シーズン連続でレシーブで1,000ヤード以上を獲得し2桁タッチダウンをあげ[35]、52試合で259回のレシーブ、3904ヤードを獲得し50タッチダウンをあげた[36]

ミネソタ・バイキングスへの復帰

2010年10月6日、ペイトリオッツの2012年のドラフト7巡目指名権と共に[37]、2011年のドラフト3巡目指名権との引き換えでミネソタ・バイキングスにトレードされた[29][38][39]。最初の試合でブレット・ファーヴの通算500個目のタッチダウンパスを受けた[40] しかし4試合出場した後、バイキングスがペイトリオッツに敗れた翌日の11月1日チームの人事権を持つブラッド・チルドレスヘッドコーチにより[41]ウェーバーにかけられ[42][43]ケニー・ブリットが負傷している[44]テネシー・タイタンズに移籍した[45][46]

テネシー・タイタンズ

タイタンズに加入した最初の試合で彼は1回のキャッチに終わった[47]。この年3チームを渡り歩いた彼は28回のレシーブで393ヤード獲得にとどまっている[48]2011年8月1日、代理人を通して現役引退を決意したことを表明した[49]

サンフランシスコ・フォーティナイナーズ

2012年、引退を撤回し、現役復帰を目指すことを表明した。同年3月12日、サンフランシスコ・フォーティナイナーズと1年契約を結んだ[50]。9月9日の試合でキャリア154回目のTDレシーブをあげて、テレル・オーウェンスを抜いて、ジェリー・ライスに次いでNFL歴代2位となった。このシーズン、ナイナーズは第47回スーパーボウルに進出した。スーパーボウルウィークに、モスは、「数字がすべてではなく、フィールド上でどれだけのインパクトをもたらせたかが重要」と言い、自身を史上最高のWRであると発言した[51]ジェリー・ライスを差し置いたこの発言は、ナイナーズのOBに不快感を与え、スーパーボウルの第2Q、エド・リードがインターセプトしたプレーで、ボールは高すぎたが、モスがボールに食らいつこうとしなかったことについて、ビル・ロマノウスキー、ドワイト・クラークは、ワニの腕(alligator armed it = 腕を伸ばさなかった。)などと批判した[52]

2013年8月、FOXスポーツのアナリストに採用された。2012年までに残した記録はNFL9位の982レシーブ、歴代3位の15,292ヤード、歴代2位の156TD[53]

主な記録

NFL記録

  • シーズンTDレシーブ 23回(2007年)
  • 新人シーズンTDレシーブ 17回(1998年)[6]
  • 17回以上のTDレシーブをあげたシーズン 3回(1998年、2003年、2007年)
  • 16回以上のTDレシーブをあげたシーズン 3回(1998年、2003年、2007年)
  • 11回以上のTDレシーブをあげたシーズン 8回(ジェリー・ライスとタイ記録)
  • 10回以上のTDレシーブをあげたシーズン 9回(ジェリー・ライスとタイ記録)
  • 2TDレシーブ以上を1シーズンであげた試合数 8試合(2007年)
  • 1シーズンに1600ヤード以上を獲得し16タッチダウンレシーブ(2003年)
  • プロボウルでのレシーブ最多獲得ヤード 212ヤード(2000年)
  • 新チーム加入後、最初の10試合であげたタッチダウンレシーブ 16回(2007年)
  • 新チーム加入後、100ヤード以上獲得した試合数 4試合(2007年)
  • デビュー後レシーブで1200ヤード以上獲得したシーズン 6シーズン(1998年-2003年)
  • 1シーズンで出場試合数以上のTDレシーブをあげたシーズン 4シーズン(1998年、2003年、2004年、2007年)
  • 5000ヤードレシーブを達成した試合数 59試合目で最速(それまでの記録はジェリー・ライスによる61試合目)[8]
  • 最年少での100タッチダウンレシーブ達成 29歳と235日
  • 最年少での120タッチダウンレシーブ達成 30歳と313日
  • 最年少での1試合3タッチダウンレシーブ 21歳と286日

その他

  • ミネソタ・バイキングスでのタッチダウンレシーブ歴代2位 92回でクリス・カーターの110回に次ぐ。
  • ミネソタ・バイキングスでのチーム記録のプレーオフタッチダウンレシーブ 8回
  • ミネソタ・バイキングスでのレシーブで100ヤード以上獲得した試合数 歴代トップの41回
  • 100タッチダウンパスレシーブ 史上7人目。
  • 1000ヤード以上レシーブしたシーズン 10シーズンで歴代2位
  • 100ヤード以上レシーブした試合数 2009年11月15日まででNFL歴代2位の64回
  • 154タッチダウン、NFL歴代4位
  • レシーブ獲得で14,778ヤード、NFL歴代6位
  • レシーブ948回、NFL歴代10位
  • 3タッチダウン以上を9回記録しておりいずれの試合も勝利している。
  • NCAAディビジョン1A記録となるシーズン12試合でタッチダウンレシーブ(1997年)[54]

プレースタイル

サイズ、優れたボディコントロール、スプリンターとしてのスピードとワイドレシーバーに必要な全ての資質を備えたスーパープレーヤーであり[8]、ロングパスを捕球する能力に秀でている[55][56][57]。その高い身長を生かしたキャッチはあらゆるコーナーバックとの競り合いに勝ち、時にはダブルカバー、トリプルカバーをも物ともしないキャッチを見せる。大学時代に陸上競技も兼任しており40ヤードを4秒25で駆け抜けるスピード、垂直跳びでは最盛期には51インチ(130 cm)の跳躍力を持っていた[58]

ダラス・カウボーイズのディフェンスコーディネーターであったマイク・ジマーはジェリー・ライスよりスピード、サイズがあり彼は史上最高のWRだと評した[8]

バイキングスで同僚だったネイト・バールソンは2012年に同僚のカルビン・ジョンソンとともに傑出したフィジカル、高いフットボールIQ、ずば抜けた捕球力を持っていると評価している[59]

その一方で大学時代からプレーで全力を出し切っておらず怠慢だという批判を浴びてきたが[60]、2009年シーズンにはプレイにムラがあることが複数の選手などから指摘されている[1][61]

2009年12月13日のカロライナ・パンサーズ戦で1回のレシーブ16ヤードに抑えられた試合後、相手CBのクリス・ギャンブル、Sクリス・ハリスはモスがプレーをあきらめる場面が多かったと批判した[62]。一方このことに関してペイトリオッツヘッドコーチのビル・ベリチック、QBトム・ブレイディは反論している[63] ペイトリオッツの同地区ライバルであるニューヨーク・ジェッツのCBダレル・リーヴィスも彼のプレーにムラがあることを指摘している[57]

2007年3月には前年に2勝14敗に終わりレイダースから解雇されたトム・ウォルシュによりモスが年を取りすぎたので水曜日、木曜日には練習できないが日曜には試合に出られる('I'm too old to practice on Wednesday and Thursday, but I'm not too old to play on Sunday.)と述べたと発言している[64]

2005年1月9日、プレーオフのグリーンベイ・パッカーズ戦でタッチダウンした際にパッカーズファンに対してムーニング(ただし下げたのはユニフォームのみ[65])を行い[18] NFLから1万ドルの罰金を受けた[31]。これについて当時インディアナポリス・コルツヘッドコーチだったトニー・ダンジー(元バイキングスディフェンスコーディネーター)はモスの行為は相手チームが負けた際、パッカーズファンが行うムーニングを模したものであったと擁護している[66]

マーシャル大学時代には自分は過去を振り返らない例としてマーシャル大学のフットボールチームが1970年11月14日に飛行機事故に遭ったことを例として出し物議をかもした[5]

ペイトリオッツの前に所属していたオークランド・レイダースやバイキングスを放出された原因の多くはプロ入り前から見られた彼の素行不良であるとされている。ペイトリオッツ時代にも2009年に練習への遅刻を咎められてヘッドコーチのビル・ベリチックから即時帰宅を命じられたことがある。

アメリカンフットボール以外の活動

NFLに入団以降、チャリティを積極的に行っており、特に子供たち向けの活動を多く行っている。恵まれない家庭に衣類や食料の寄付を行ったり、ボストン地区の学校にバックパックを配ったりサイン会の開催を行っている。また遊園地やNBA、彼の出場するNFLの試合に子供たちを招待している。

2006年6月、フルーツジュースのフランチャイズを創設したことが報じられた[67][68]

NASCARキャンピング・ワールド・トラック・シリーズに所属チーム、Randy Moss Motorsportsを出場させている[69]

私生活

白人のガールフレンド[5] との間に4人の子供がいる。兄のエリック・モス(英語版)とはミネソタ・バイキングス時代チームメートだったことがある。父親とは疎遠であるという[8]

関連項目

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “プレイオフ出場チーム、今季の戦いを分析 -前編-”. NFL JAPAN (2010年2月15日). 2010年11月9日閲覧。
  2. ^ “Scottish Claymores Players”. 2010年11月9日閲覧。
  3. ^ a b c “War Room Value Board”. スポーツ・イラストレイテッド. 2010年11月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e “SPORTS PEOPLE: FOOTBALL; Schoolboy Star Pleads Guilty”. ニューヨーク・タイムズ (1995年8月2日). 2010年11月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m “Cut Off From The Herd”. スポーツ・イラストレイテッド (1997年8月25日). 2010年11月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h “NFL FANTASY FOOTBALL Player Profile”. thehuddle.com (2006年7月14日). 2010年11月12日閲覧。
  7. ^ a b c d e “Moss: Misunderstood or immature?”. USAトゥデイ (2002年9月25日). 2010年11月12日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t Bob Carter. “Moves, emotions have Moss causin' a commotion”. ESPN. 2010年11月12日閲覧。
  9. ^ a b c “Motor City Bowl”. mmbolding.com. 2010年11月20日閲覧。
  10. ^ “NFL Draft - Dallas Cowboys”. スポーツ・イラストレイテッド (1998年4月19日). 2010年11月20日閲覧。
  11. ^ “Passing on Moss shows image is everything in Dallas”. ダラス・モーニングニュース (1998年4月19日). 2006年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧。
  12. ^ “Life on the grid iron is bliss for Randy Moss”. juneauempire.com (1998年12月10日). 2010年11月20日閲覧。
  13. ^ a b “The other 81's history of Cowboy killing”. ダラス・モーニングニュース (2007年10月10日). 2008年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月20日閲覧。
  14. ^ “Catching Up”. スポーツ・イラストレイテッド (1998年9月7日). 2010年11月20日閲覧。
  15. ^ a b “Career Highlights”. ミネソタ・バイキングス. 2011年9月17日閲覧。
  16. ^ “50 Greatest Vikings”. ミネソタ・バイキングス. 2011年9月17日閲覧。
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外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ランディ・モスに関連するカテゴリがあります。
  • 公式ウェブサイト (英語)
  • ランディ・モス (@r81m) - X(旧Twitter)
  • 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference (英語)
  • ランディ・モス - IMDb(英語)
ミネソタ・バイキングス Ring of Honor
1998
ジム・フィンクス
バド・グラント
ポール・クラウス
アラン・ペイジ
フラン・ターケントン
フレッド・ザンバーレッティ
1999
ジム・マーシャル
2001
コーリー・ストリンガー
ミック・ティンゲルホフ
ロン・ヤーリー
2002
カール・エラー
2003
クリス・カーター
2004
ビル・ブラウン
2005
ジェリー・バーンズ
2006
ランドール・マクダニエル
2007
チャック・フォアマン
2008
ジョン・ランドル
2009
スコット・スタッドウェル
2011
クリス・ドールマン
2012
マット・ブレア
2013
ジョーイ・ブラウナー
2017
ランディ・モス
アーマド・ラシャド
2018
デニス・グリーン
2019
スティーブ・ジョーダン
2021
ケビン・ウィリアムズ
NFL100周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OT
OG
C
  • メル・ハイン(英語版)
  • ジム・オットー(英語版)
  • ドワイト・スティーブンソン(英語版)
  • マイク・ウェブスター
DE
DT
LB
CB
S
  • ジャック・クリスチャンセン(英語版)
  • ケン・ヒューストン(英語版)
  • ロニー・ロット
  • エド・リード
  • エムレン・タネル(英語版)
  • ラリー・ウィルソン
ST
HC
2019年選出
NFL2000年代オールディケードチーム
QB
RB
WR
TE
  • トニー・ゴンザレス
  • アントニオ・ゲイツ(英語版)
OL
DL
  • ドワイト・フリーニー(英語版)
  • マイケル・ストレイハン
  • ジェイソン・テイラー(英語版)
  • ジュリアス・ペッパーズ(英語版)
  • リチャード・シーモア(英語版)
  • ウォーレン・サップ
  • ケビン・ウィリアムズ(英語版)
  • ラロイ・グローバー(英語版)
LB
DB
ST
HC
AP通信 オールプロ ファーストチーム選出(4回)
AP通信 1998 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
  • ゲイリー・アンダーソン(英語版)(バイキングス)
パンター
キックリターナー




AP通信 2000 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
  • ジェレマイア・トロッター(英語版)イーグルス)ILB
コーナーバック
  • サム・マディソン(英語版)(ドルフィンズ)
  • サマリ・ロール(英語版)(タイタンズ)
セイフティ
プレースキッカー
  • マット・ストーバー(英語版)(レイブンズ)
パンター
キックリターナー
  • デリック・メイソン(英語版)(タイタンズ)




AP通信 2003 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
  • トニー・ゴンザレス(チーフス)
オフェンシブラインマン
  • スティーブ・ハッチンソン(英語版)シーホークス)G
  • ウィル・シールズ(英語版)(チーフス)G
ディフェンシブエンド
ディフェンシブタックル
ラインバッカー
  • ジュリアン・ピーターソン(英語版)49ers)OLB
  • レイ・ルイス(レイブンズ)ILB
コーナーバック
  • タイ・ロー(ペイトリオッツ)
  • クリス・マカリスター(英語版)(レイブンズ)
セイフティ
プレースキッカー
  • マイク・バンダージャット(英語版)(コルツ)
パンター
キックリターナー
  • ダンテ・ホール(英語版)(チーフス)




AP通信 2007 オールプロ ファーストチーム
クォーターバック
ランニングバック
  • ブライアン・ウェストブルック(英語版)イーグルス)HB
  • ロレンゾ・ニール(英語版)(チャージャーズ)FB
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブラインマン
  • ジェフ・サタデー(英語版)コルツ)C
  • ローガン・マンキンス(英語版)(ペイトリオッツ)G
ディフェンシブエンド
  • ジャレッド・アレン(英語版)チーフス
  • パトリック・カーニー(英語版)(シーホークス)
ディフェンシブタックル
  • アルバート・ヘインズワース(英語版)タイタンズ
  • ケビン・ウィリアムス(英語版)(バイキングス)
ラインバッカー
  • パトリック・ウィリス(英語版)49ers)ILB
  • ローファー・タップ(英語版)(シーホークス)ILB
コーナーバック
セイフティ
プレースキッカー
  • ロブ・ビロナス(英語版)(タイタンズ)
パンター
  • アンディ・リー(英語版)(49ers)
キックリターナー




  1. ペイトン・マニング
  2. ライアン・リーフ
  3. アンドレ・ワズワース
  4. チャールズ・ウッドソン
  5. カーティス・エニス
  6. グラント・ウィストロム
  7. カイル・ターリー
  8. グレッグ・エリス
  9. フレッド・テイラー
  10. デュアン・スタークス
  11. トラ・トーマス
  12. キース・ブルッキング
  13. タキオ・スパイクス
  14. ジェイソン・ピーター
  15. アンソニー・シモンズ
  16. ケビン・ダイソン
  17. ブライアン・シモンズ
  18. ロバート・エドワーズ
  19. ヴォニー・ホリデイ
  20. テリー・フェア
  21. ランディ・モス
  22. テバッキー・ジョーンズ
  23. モー・コリンズ
  24. ショーン・ウィリアムス
  25. ドノビン・ダリアス
  26. アラン・ファニカ
  27. ヴィクター・ライリー
  28. R・W・マクウォーターズ
  29. ジョン・エイブリー
  30. マーカス・ナッシュ
 
各年のNFLドラフト
  • 1936
  • 1937
  • 1938
  • 1939
  • 1940
  • 1941
  • 1942
  • 1943
  • 1944
  • 1945
  • 1946
  • 1947
  • 1948
  • 1949
  • 1950
  • 1951
  • 1952
  • 1953
  • 1954
  • 1955
  • 1956
  • 1957
  • 1958
  • 1959
  • 1960
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  • 1964
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  • 1967
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  • 1969
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  • 1971
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  • 1981
  • 1982
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  • 1986
  • 1987
  • 1988
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  • 1990
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  • 1992
  • 1993
  • 1994
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  • 1999
  • 2000
  • 2001
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