ジョン・エルウェイ

ジョン・エルウェイ
John Elway
refer to caption
ジョン・エルウェイ(2021年)
デンバー・ブロンコス
フットボールオペレーション責任者
ポジション クォーターバック
生年月日 (1960-06-28) 1960年6月28日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ワシントン州ポートエンジェルス(英語版)
身長: 6' 3" =約190.5cm
体重: 215 lb =約97.5kg
経歴
大学 スタンフォード大学
NFLドラフト 1983年 / 1巡目全体1位
初出場年 1983年
初出場チーム デンバー・ブロンコス
所属歴
選手歴
1983-1998 デンバー・ブロンコス
エグゼクティブ歴
2003-2008 コロラド・クラッシュ
2011- デンバー・ブロンコス (GM/VPFO, PFO)
受賞歴・記録
スーパーボウルMVP(1回)
1998(第33回)
シーズンMVP(1回)
1987
オールプロ選出(5回)
1986・1987・1993・1996・1997
プロボウル選出(9回)
1986・1987・1989・1991・1993・1994・1996・1997・1998
その他受賞・記録(選手として)
1990年代オールディケイドチーム
UPIAFC最優秀攻撃選手(1987年、1993年)
デンバー・ブロンコスリングオブフェイム
デンバー・ブロンコス永久欠番(7)
コロラド州スポーツ殿堂
ウォルター・キャンプ・マン・オブ・ザ・イヤー(2008年)
スーパーボウル制覇(エグゼクティブとして)
2015(第50回)
その他受賞・記録(エグゼクティブとして)
アリーナボウル2005(第9回)制覇
NFL 通算成績
TD-INT 300-226
通算パス獲得ヤード 51,475
QBレイティング 79.9
通算ラン獲得ヤード 3,407
TDラン 33回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR
NFL殿堂入り
カレッジフットボール殿堂入り

ジョン・アルバート・エルウェイ・ジュニアJohn Albert Elway, Jr.1960年6月28日 - )はアメリカ合衆国ワシントン州ポートエンジェルス出身の元アメリカンフットボール選手、実業家。ポジションはクォーターバック(QB)。現役時代はデンバー・ブロンコスで司令塔として活躍。引退後の2011年からはデンバー・ブロンコスGMを務めた。多くのカレッジフットボール、プロフットボールの記録を有している。

スーパーボウルで5度の先発を務めたのはエルウェイとトム・ブレイディの2人だけであり、最高のQBの一人として評されることもある。

経歴

プロ入りまで

フットボールのコーチだったジャック・エルウェイ(英語版)の息子としてワシントン州ポートエンジェルスで生まれ、その後モンタナ州のミズーラ、ワシントン州のプルマンなどを経て、16歳の時に南カリフォルニアに引っ越した。かねてよりアメリカンフットボールと野球の両方で好成績を残しており、高校時代は通算5,711パッシングヤード、49タッチダウンパスを記録し、全米の60以上の大学から奨学金の申し出があったくらいである。また、高校卒業時にMLBカンザスシティ・ロイヤルズからドラフト指名をされている。

父がコーチをしていたスタンフォード大学に進学しても、アメリカンフットボールと野球を掛け持ちし、1979年から1982年までの4年間でアメリカンフットボールでは774回のパスを成功させ、9,349パッシングヤード、77TDパスを記録し、また野球では49試合で打率.361、9本塁打、50打点を記録。1981年の日米大学野球では4番打者として来日した。(ただし、不振のため、終盤にはジェームス・パチョレックに4番を譲る)。1981年のMLBドラフトでは2巡目(全体52位)でニューヨーク・ヤンキースから指名されてマイナーリーグでプレーしたことがあった[1][2]。)。エルウェイの大学時代最後のアメリカンフットボールの試合となったカリフォルニア大学バークレー校戦は残り4秒でスタンフォード大学が1点リードしていたが続くキックオフリターンでカリフォルニア大学が5回のラテラルパスを駆使しリターンタッチダウンをあげて逆転勝利した。

詳細は「en:The Play (American football)」を参照

エルウェイの在学中、チームは20勝23敗でありボウルゲーム出場は果たせなかったものの大学時代に774本のパスを成功させ9,349ヤード、77タッチダウンの成績を残した。1982年には全米トップの24タッチダウンをあげた。卒業時にスタンフォード大学及びパシフィック・テン・カンファレンスのほとんどのパス記録を更新することとなった。1980年、1982年にはオールアメリカンに選抜されハイズマン賞の投票でも1982年に2位となった。2000年にカレッジフットボール殿堂に選ばれた。

NFL

1983年のNFLドラフトで、ボルチモア・コルツ(現インディアナポリス・コルツ)から全体1位で指名された。しかし当時どん底だったコルツへ行くことを拒んだ彼はトレードを希望し、トレードされなければフットボールを辞めヤンキースで野球をやると駄々をこねたため、コルツオーナーのロバート・アーセイはデンバー・ブロンコスの控えQBのマーク・ヘルマンと同じくドラフト1巡全体4位で指名されたOLのクリス・ヒントンの2選手及び翌1984年のドラフト1巡目指名権と引き換えに同年5月2日にトレードを行った[2]

1983年のデビュー戦の相手はピッツバーグ・スティーラーズであった。この試合で彼は後に殿堂入りしたジャック・ランバートにサックされた。同じく後にプロフットボール殿堂入りしたジャック・ハムににらまれた際に逃げ出したくなったという[3]。この試合で彼はパス8回中1回成功、1インターセプトに終わったがリリーフのスティーブ・ディバーグの活躍で試合には勝利した[3]

ダン・リーブスヘッドコーチの采配のもとチームは力をつけた。

4年目の1986年シーズン、点の取り合いとなった9月7日のロサンゼルス・レイダースとの開幕戦では、パス239ヤード、2TDに加えてRBスティーブ・スウェルからの23ヤードのTDパスをレシーブ、38-36で勝利した[4]。敵地クリーブランド・スタジアムで行われたクリーブランド・ブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームでは、残り5分余りで7点リードされて始まった自陣2ヤードからのドライブをマーク・ジャクソンへの5ヤードのTDパスで締めくくった。この98ヤードのドライブは、ザ・ドライブとして知られている[5][6]。オーバータイムにリッチ・カーリスの決勝FGが決まり、第21回スーパーボウルニューヨーク・ジャイアンツと対戦した。チームは10-7とリードし敵陣1ヤードまで攻め込んだが続く3プレーで5ヤードの後退、FGも失敗し追加点の好機を逃した。彼は自陣エンドゾーンでサックされセイフティにより10-9と追い上げられ後半ジャイアンツが30点をあげ20対39で敗れた。彼自身はパスで304ヤード、1TD、1INT、ランではチームトップの27ヤードを走り1TDをあげた。

1987年には最優秀選手に選ばれる活躍を見せた。地元デンバーで行われたブラウンズとのAFCチャンピオンシップゲームは、ブロンコスが21-3とリードしてハーフタイムを迎えたが、相手QBバーニー・コーザーが後半に4TDパスを決める活躍を見せて31-31の同点となった。その後、サミー・ワインダーへのスクリーンパスが20ヤードのTDパスとなり、75ヤードのタッチダウンドライブで、38-31とリード、ブラウンズも8ヤード地点までボールを前進させて粘ったが、2ヤード地点でボールを渡されて走ったアーネスト・バイナーがファンブル、ブロンコスは故意にセイフティで失点し、38-33で勝利し、2年連続スーパーボウル出場を果たした[7]ワシントン・レッドスキンズとの第22回スーパーボウルは第1Q開始わずか1分57秒でリッキー・ナティールへの56ヤードのタッチダウンパスなどで10-0とリードしたが第2Qダグ・ウィリアムスに率いられたレッドスキンズのオフェンスが後にザ・クォーターと呼ばれるようになる猛攻を見せて35点をあげた。QBとしてスーパーボウルで初めてパスキャッチを記録したもののレッドスキンズの強力なディフェンスの前にパス38本中14本成功、257ヤード、1タッチダウン、3インターセプトの成績に終わった。

その2年後の1990年に行なわれた第24回スーパーボウルにはサンフランシスコ49ersに10対55というスーパーボウル史上最多失点と最大点差の記録を残して敗退。4年間で3度のスーパーボウル出場を果たしたがいずれも敗れ、エルウェイは「スーパーボウルで勝てないQB」と呼ばれるようになった。

1992年1月4日に行われたヒューストン・オイラーズとのプレーオフでは1点リードされ残り時間2分7秒で自陣2ヤードからの攻撃で第4ダウンに2度追い込まれながらも最後28ヤードのFGにつなげるオフェンスを見せた[8]バッファロー・ビルズとのAFCチャンピオンシップゲームはロースコアの争いとなり、自陣19ヤードからのプレーでエルウェイが投げたパスをジェフ・ライトがはじき、カールトン・ベイリーがインターセプトリターンTDをあげ、7-10で敗れた[9]。この年まで7年連続で3,000ヤード以上を投げた[10]。しかしダン・リーブスヘッドコーチとの確執も次第に噂されるようになり、1992年シーズン終了後、リーブスヘッドコーチはニューヨーク・ジャイアンツに移籍した。

ウェイド・フィリップスが後任ヘッドコーチとなった1993年に彼は4,030ヤードを投げて25タッチダウン、QBレイティング92.8の成績を残して復活を果たした。

1995年シーズン、ブロンコスのヘッドコーチにマイク・シャナハンが就任した。チームが過去15試合で13敗していたレイダースを相手に、アンソニー・ミラーへの2本のTDパスを決めてチームは27-0で勝利した[11]。最終週、レイダース戦では17-28とリードされて第4Qを迎えたが、第4Qに連続17得点をあげて逆転勝利を演じた[12]

1996年シーズンには11月4日の敵地オークランドで行われたマンデーナイトで、残り5分を切って5点リードされていたが、ロッド・スミスへの49ヤードのTDパスを決めて22-21で勝利した[13]。レギュラーシーズン13勝3敗の最高勝率を挙げたもののプレーオフであっさり敗退。37歳という年齢もありこのまま引退かと思われたが、現役を続行。1997年シーズン開幕前のアメリカンボウルでメキシコに行ったが上腕二頭筋を痛めた。手術は行わず19日後にチームに復帰しチームは第32回スーパーボウルに出場。彼はパス22本中11本の成功、タッチダウン0回、インターセプト1回の成績だったが前年のチャンピオングリーンベイ・パッカーズを31対24で破り、NFL15年目・4度目の出場でようやく勝利を手にした。この試合第3Q第3ダウン残り5ヤード、敵陣8ヤードの場面で彼がボールを持って相手ディフェンスに頭から突っ込んでファーストダウンを獲得、テレル・デービスのタッチダウンにつなげた[14]。エルウェイの気迫あふれるこのプレーは、空中で相手選手の強烈なタックルでヘリコプターのように水平に1回転したことから、ヘリコプターと呼ばれている[15]

1998年シーズン第33回スーパーボウルではパスで336ヤードを投げアトランタ・ファルコンズを34対19で破り連覇を達成。38歳7ヶ月というスーパーボウル史上最高齢タッチダウンを記録するなどの活躍でスーパーボウルMVPに選ばれた。

左からリン・スワン、ロジャー・クレイグ、ロジャー・グッデルコミッショナー、エルウェイ、デービッド・ペトレイアス

1999年5月2日に引退を発表、NFL16年のキャリアをブロンコスで全うした。同年9月13日に背番号7がブロンコスの永久欠番になった。2004年8月8日にプロフットボール殿堂入り。通算148勝82敗1分けという成績はQBとしては最多勝だったがその記録はブレット・ファーヴに破られた。プロボウルにはQBとしては最多タイの9回出場(デンバー・ブロンコスの選手としても最多)した。

引退後

2002年、アリーナ・フットボールのコロラド・クラッシュの共同オーナーに就任。チームが無くなる2008年まで務めた。2007年にはリーグのチェアマンに選ばれた。

2009年2月1日に行われた第43回スーパーボウルではリン・スワン、ロジャー・クレイグらと共にコイントスを行った。

ブロンコス経営陣として

2011年、古巣であるデンバー・ブロンコスゼネラルマネージャー(GM)兼球団副社長に就任。ヘッドコーチを直属の部下とした。

2012年、当時NFLナンバー1QBと称されていたペイトン・マニングの獲得に成功する。

2012年から2015年まで4年続けて地区優勝を遂げ、スーパーボウルに二度出場。2015年の第50回スーパーボウルでは優勝を果たした。2016年以降は三年連続してプレーオフを逃している。2020年シーズン後にGMを退任し後任にジョージ・ペイトンを立てるも、フットボールオペレーション責任者としてチームには残留した[16][17]。2023年4月、ブロンコスとの契約が終了した。

記録

プレースタイル

第4Qからのカムバックが47回とNFL史上最多(逆転勝利はジョニー・ユナイタスと並んで歴代3位タイの34回)である[20]ことから、ジョン・“ミラクル”・エルウェイと呼ばれた。中でも1987年1月11日に敵地クリーブランド・スタジアムで行なわれたプレーオフのクリーブランド・ブラウンズ戦では第4Q残り5分2秒、自陣2ヤード地点から始まった攻撃ドライブで98ヤードを前進し、残り37秒で同点タッチダウンをあげ試合はオーバータイムの末、23-20でチームに勝利をもたらした。

詳細は「en:The Drive」を参照

豪腕パサーであり、彼のパスを受けたレシーバーが手の平を怪我したこともあった[21]

私生活

長年、逆流性食道炎に悩まされていることを2003年に公にした[22]

2007年に2K Sports から発売されたAll-Pro Football 2K8のカバーをバリー・サンダースジェリー・ライスと共に務めた。

2008年10月にレーシック手術を受けた[23]

共和党支持者でありコロラド州知事ウェイン・アラードの支持者となっている[24]

父親のジャック(英語版)は2001年に心臓発作で亡くなった。また彼と双子の姉妹ヤナは2002年に肺がんのため42歳で亡くなっている。 1984年、スタンフォード大学の水泳チームにいたJanet Buchanと結婚し4人の子供を儲けたが2003年に離婚している[25]

彼の息子のジャックは2008年にアリゾナ州立大学でQBとしてプレーし、デニス・エリクソン(ジョン・エルウェイの父の下で1979年から1981年にサンノゼ州立大学でオフェンスコーディネーターを務めた。)の指導を受けた[26]

2005年に元ロサンゼルス・レイダースのRB、マーカス・アレンが主催したセレブゴルフトーナメントで知り合った元オークランド・レイダースチアリーダーのペイジ・グリーンと2008年9月にイタリアで挙式した[25]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 生島淳 (2009年3月11日). “「負け組」から「勝ち組」へ、波乱万丈のジョン・エルウェイ”. NFL JAPAN. 2012年7月3日閲覧。
  2. ^ a b “CNN/SI John Elway: Master of the Drive - Class of '83 shared place in history”. スポーツ・イラストレイテッド (1999年4月25日). 2010年4月9日閲覧。
  3. ^ a b 生沢浩 (2005年12月18日). “ドラフト1位指名QBのデビュー戦”. 生沢浩のNFLレポート Inside Blitz. 2010年5月22日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ Clint Daly (2011年9月6日). “The Opening Day Shootout”. bleacherreport.com. 2015年3月5日閲覧。
  5. ^ “The Drive”. プロフットボール殿堂. 2015年3月5日閲覧。
  6. ^ Rick Weinberg. “54: Elway leads Broncos on 'The Drive'”. ESPN. 2015年3月5日閲覧。
  7. ^ “Top Playoff Moments: The Fumble”. デンバー・ポスト (2014年1月8日). 2015年3月5日閲覧。
  8. ^ Michael Martinez (1992年1月5日). “PRO FOOTBALL; Elway's Drive II Kicks Out Oilers”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年7月3日閲覧。
  9. ^ Dave Anderson (1992年1月13日). “Sports of The Times; Bailey's First Touchdown, Ever”. ニューヨーク・タイムズ. 2015年3月5日閲覧。
  10. ^ http://www.denverbroncos.com/page.php?id=834 Broncos Official Website, Ring of Fame page
  11. ^ Clint Daly (2011年9月6日). “The Game That Changed the Series”. bleacherreport.com. 2015年3月5日閲覧。
  12. ^ Clint Daly (2011年9月6日). “The Comeback”. bleacherreport.com. 2015年3月5日閲覧。
  13. ^ Clint Daly (2011年9月6日). “The Comeback 2”. bleacherreport.com. 2015年3月5日閲覧。
  14. ^ “John Elway goes airborne against the Pack”. San Diego News Network (2010年2月3日). 2010年4月9日閲覧。
  15. ^ Rick Weinberg. “68: Elway's gutsy run inspires Broncos to victory”. ESPN. 2015年3月5日閲覧。
  16. ^ “ジョン・エルウェイがブロンコスにGMを迎える決断”. NFL JAPAN (2021年1月5日). 2021年2月4日閲覧。
  17. ^ “ジョージ・ペイトンがブロンコスGMとして6年契約に合意”. NFL JAPAN (2021年1月14日). 2021年2月4日閲覧。
  18. ^ "Super Bowl Records: Individual Passing", NFL.com
  19. ^ "Super Bowl Leaders", Pro-Football-Reference.com
  20. ^ “Guest Post: Quarterbacks and fourth quarter comebacks, Part I”. pro-football-reference.com (2009年8月6日). 2010年4月9日閲覧。
  21. ^ “RG3が強肩証明、レシーバーのグローブ破壊”. NFL JAPAN (2012年6月9日). 2012年6月27日閲覧。
  22. ^ Elways says heartburn is hard to swallow
  23. ^ John Elway LASIK John Elway's Icon LASIK endorsement
  24. ^ Parker, Penny (2008年9月26日). “John Elway engaged to former Raiders cheerleader”. Rocky Mountain News. 2009年1月25日閲覧。
  25. ^ a b “John Elway to marry ex-Raiders cheerleader”. デンバー・ポスト (2008年9月26日). 2010年4月9日閲覧。
  26. ^ kdvr.com - Jack Elway Signs Letter of Intent with ASU - 6 Feb 2008

関連項目

  1. ^ Michael Wilbon (2006年1月23日). “Big Ben, Already Like Clockwork”. ワシントン・ポスト. 2010年4月9日閲覧。

外部リンク

  • John Elway Official Website (英語)
  • 通算成績と情報 NFL.com, or ESPN, or Pro-Football-Reference (英語)
  • Top Ten Clutch QBs: John Elway (NFL.com)
  • エルウェイ栄光のTOP10パフォーマンス (NFL JAPAN)
ウィキメディア・コモンズには、ジョン・エルウェイに関連するカテゴリがあります。
デンバー・ブロンコス先発QB
1960年代
  • トリプカ
  • ヘリング
  • ショー
  • スローター
  • マコーミック
  • ブリュー
  • リー
  • チョボイアン
  • グラッケン
  • テンシ
  • ルクレア
  • ブリスコー
  • リスケ
1970年代
  • パストラーナ
  • ホーン
  • ラムジー
  • ジョンソン
  • ハフナゲル
  • ペンローズ
  • モートン
  • ウィーズ
1980年代
  • ロビンソン
  • ディバーグ
  • ヘルマン
  • エルウェイ
  • キュービアック
  • カーチャー
1990年代
  • マドックス
  • ミレン
  • マスグレイブ
  • ルイス
  • ブリスター
  • ミラー
  • グリーシー
2000年代
  • ファーロット
  • バーライン
  • プラマー
  • カネル
  • ジャクソン
  • カトラー
  • オートン
  • シムズ
2010年代
2020年代
年代の分類は初先発のシーズンによる
 
業績
スーパーボウル・チャンピオン先発QB
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
AP通信NFL最優秀選手賞
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
NFLパッシングヤード1位(英語版)
1930年代
  • 32 A.ハーバー(英語版)
  • 33 H.ニューマン(英語版)
  • 34 A.ハーバー(英語版)
  • 35 E.ダノウスキ(英語版)
  • 36 A.ハーバー(英語版)
  • 37 S.ボウ
  • 38 A.パーカー(英語版)
  • 39 D.オブライエン(英語版)
1940年代
  • 40 S.ボウ
  • 41 C.イスベル(英語版)
  • 42 C.イスベル(英語版)
  • 43 S.ラックマン(英語版)
  • 44 I.コンプ(英語版)
  • 45 S.ラックマン(英語版)
  • 46 S.ラックマン(英語版)
  • 47 S.ボウ
  • 48 S.ボウ
  • 49 J.ルージャック(英語版)
1950年代
1960年代
  • 60 J.ユナイタス
  • 61 S.ジャーゲンセン(英語版)
  • 62 S.ジャーゲンセン(英語版)
  • 63 J.ユナイタス
  • 64 C.ジョンソン(英語版)
  • 65 J.ブロディ
  • 66 S.ジャーゲンセン(英語版)
  • 67 S.ジャーゲンセン(英語版)
  • 68 J.ブロディ
  • 69 S.ジャーゲンセン(英語版)
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
デンバー・ブロンコス 50周年記念チーム(2009)
オフェンス
ディフェンス
  • DE サイモン・フレッチャー, リッチ・ジャクソン
  • DT トレバー・プライス, ルビン・カーター
  • LB カール・メクレンバーグ, ランディ・グラディシャー, トム・ジャクソン
  • CB チャンプ・ベイリー, ルイス・ライト
  • S スティーブ・アトウォーター, デニス・スミス
スペシャルチーム
  • K ジェイソン・イーラム
  • P トム・ルーイン
  • RS リック・アップチャーチ
NFL100周年記念チーム
QB
RB
WR
TE
OT
OG
C
  • メル・ハイン(英語版)
  • ジム・オットー(英語版)
  • ドワイト・スティーブンソン(英語版)
  • マイク・ウェブスター
DE
DT
LB
CB
S
  • ジャック・クリスチャンセン(英語版)
  • ケン・ヒューストン(英語版)
  • ロニー・ロット
  • エド・リード
  • エムレン・タネル(英語版)
  • ラリー・ウィルソン
ST
HC
2019年選出
NFL1990年代オールディケードチーム
QB
RB
WR
TE
OL
DL
LB
  • ジュニア・セアウ
  • デリック・トーマス(英語版)
  • コーネリアス・ベネット(英語版)
  • ハーディ・ニッカーソン(英語版)
  • レボン・カークランド(英語版)
DB
ST
HC
  1. ジョン・エルウェイ
  2. エリック・ディッカーソン
  3. カート・ワーナー
  4. クリス・ヒントン
  5. ビリー・レイ・スミス
  6. ジム・コバート
  7. トッド・ブラックリッジ
  8. マイケル・ハディックス
  9. ブルース・マシューズ
  10. テリー・キナード
  11. ティム・ルイス
  12. トニー・ハンター
  13. ジェームズ・ジョーンズ
  14. ジム・ケリー
  15. トニー・イースン
  16. マイク・ピッツ
  17. レオナルド・スミス
  18. ウィリー・ゴールト
  19. ジョーイ・ブラウナー
  20. ゲイリー・アンダーソン
  21. ゲイブリエル・リベラ
  22. ギル・バード
  23. ジム・ジェフコート
  24. ケン・オブライエン
  25. デイブ・リミントン
  26. ドン・モスバー
  27. ダン・マリーノ
  28. ダレル・グリーン
 
各年のNFLドラフト
  • 1936
  • 1937
  • 1938
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  • 1940
  • 1941
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  • 1962
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  • 1994
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  • 1997
  • 1998
  • 1999
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  • 2019
  • 2020
  • 2021
  • 2022
  • 2023
1930年代
  • 1936 J.バーワンガー(英語版)
  • 1937 S.フランシス(英語版)
  • 1938 C.デービス(英語版)
  • 1939 K.オルドリッチ(英語版)
1940年代
  • 1940 G.カフェゴ(英語版)
  • 1941 T.ハーモン(英語版)
  • 1942 B.ダドリー(英語版)
  • 1943 F.シンクウィッチ(英語版)
  • 1944 A.バーテリ(英語版)
  • 1945 C.トリッピ(英語版)
  • 1946 F.ダンスウィック(英語版)
  • 1947 B.フェニモア(英語版)
  • 1948 H.ギルマー(英語版)
  • 1949 C.ベドナリク(英語版)
1950年代
  • 1950 L.ハート(英語版)
  • 1951 K.ローテ(英語版)
  • 1952 B.ウェイド(英語版)
  • 1953 H.バブコック(英語版)
  • 1954 B.ギャレット(英語版)
  • 1955 G.ショー
  • 1956 G.グリック(英語版)
  • 1957 P.ホーナング(英語版)
  • 1958 K.ヒル(英語版)
  • 1959 R.ダンカン(英語版)
1960年代
  • 1960 B.キャノン(英語版)
  • 1961 T.メイソン(英語版)
  • 1962 E.デービス
  • 1963 T.ベイカー(英語版)
  • 1964 D.パークス(英語版)
  • 1965 T.フレデリクソン(英語版)
  • 1966 T.ノービス(英語版)
  • 1967 Bu.スミス
  • 1968 R.ヤリー(英語版)
  • 1969 O.J.シンプソン
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
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2020年代
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