関東州

座標: 北緯39度10分 東経121度45分 / 北緯39.167度 東経121.750度 / 39.167; 121.750

曖昧さ回避 関東地方」とは異なります。
関東州
關東州
清
ロシア領大連
1905年 - 1945年 ソビエト連邦による満洲占領
関東州の国旗 関東州の国章
日本の国旗関東庁章)
関東州の位置
関東州。赤が遼東半島先端部、黄色が南満洲鉄道
公用語 日本語中国語
首都 大連
天皇
1905年 - 1912年 明治天皇
1926年 - 1945年昭和天皇
総督
1905年 - 1906年大島義昌
1941年 - 1947年三浦直彦
面積
3,462.5km²
人口
1935年1,134,074人
変遷
ポーツマス条約 1905年9月5日
日本の降伏1945年8月15日
通貨日本円
現在中華人民共和国の旗 中華人民共和国
日本が租借した遼東半島先端部(旅大地域)。面積は3,462.5平方キロメートル[1]で鳥取県3,507.2平方キロメートルとほぼ同じ大きさである。旅大地域北東端にある地名の城子の次の漢字は「」(田へんに童)である。JISコードには無い漢字なので瞳(目に童)と書かれることがあるが正式には「」が正しい。
満洲国成立後の満洲の鉄道。赤の部分が関東州時代からの南満洲鉄道

関東州(かんとうしゅう、旧字体關東州)は、日露戦争講和条約ポーツマス条約に基づき、ロシアから日本が引き継いだ租借地である[2]1905年12月の日本と清朝の間で締結された満洲善後条約から1945年8月のソ連による占領までの期間、日本は同地の租借を続けた。現在の中華人民共和国遼寧省大連市の一部地域(大連及び旅順地域)などに該当する。

概説

現在の大連市のほぼ南半分、普蘭店区の普蘭店湾から東へ皮口まで引いた線の南側に相当する(この線の北側は清国で、のちに中華民国・満洲国・中華人民共和国に帰属)。南満洲鉄道(満鉄)附属地については南満洲鉄道を参照のこと。

「関東」とは中国山海関から側、つまり満洲全体を指す。

歴史

ロシア租借地時代

日清戦争の結果、下関条約により日本が清朝から割譲された領土のうち、遼東半島についてはロシア・ドイツフランスによる三国干渉で返還することとなった。

1898年にロシアは遼東半島の一部を25年の期限で清朝から租借した(旅順・大連租借に関する露清条約)。ロシアはここに旅順軍港を築港し、日露戦争では遼東半島は日本とロシアの激戦地となった。

日本租借地時代

1905年9月戦後のロシア帝国との講和条約であるポーツマス条約で、清朝からの租借地の権利を日本が引き継ぐことになった。同年12月22日には、清朝との間で満洲善後条約(中日会議東三省事宜条約)を締結し、この地域における権益をロシアから日本へ移譲した。

ロシア時代のダルニーは「大連」と改称された。この租借地の名称は「関東州」であり、当初は軍政が布かれていたが、1906年9月1日に民政に移管され、関東都督府が設置された。その後、関東都督府は1919年4月に関東軍が分離し関東庁に改組、1934年12月には関東局とその下部機関である関東州庁に改組した。

詳細は「対華21カ条要求」を参照

清朝崩壊後、関東州の租借地は1915年中華民国との条約により租借期限を1997年まで延長された。1932年、関東軍が東三省全土を占拠し満洲国を建てると、租借権の設定は満洲国から受けている形式に改定された。1937年には、満鉄附属地の行政権を満洲国に返還した。

1945年ソ連対日参戦で関東州はソ連軍に占領されて関東軍は降伏し、関東局・関東州庁は瓦解した。

経済

大連はロシア時代から自由港であったため、関東州成立後も自由港として存続し、活発な貿易が行われた。大連で荷揚げした中国国内向きの貨物を再度関東州と中華民国との間で検査するのは非効率であるとして、大連には中華民国(後に満洲国)の税関が設置されていた。しかし、実際には抜け道が多かったため密貿易の拠点のひとつになっていたといわれている。

通貨

関東州は日本の通貨(日本統治時代の朝鮮における発券銀行である朝鮮銀行券・朝鮮圓(円)、日本銀行の円との等価交換が保証されていた)が流通していた。なお、この通貨は内地では使用できなかった。

1945年、日本の敗戦により中華民国に接収された。

行政

行政区分として、が置かれた(内地市町村に相当する)。

関東局発行の郵便切手

関東神宮鎮座記念切手

郵便事業は日本の郵政関連の官庁である逓信省の下にある、関東逓信局が担当していた。

この関東州管内のみを発売区域とした記念切手が、2度発行されている。最初は1936年9月1日に発行された関東州始政30周年(3種)であり、2度目は1944年10月1日に発行された関東神宮鎮座記念(2種)である。

関東州始政30周年の図案

  • 1銭5厘 関東州の地図と旭光とハト(刷色・紫色)
  • 3銭 旅順港にある日露戦争戦歿兵士の納骨祠と表忠塔(刷色・焦茶色)
  • 10銭 関東庁の建物(刷色・暗緑色)

関東神宮鎮座記念

  • 3銭、7銭共通 関東神宮の本殿と関東州の地図
なお、この記念切手は、日本が戦争中に発行した最後のものとなった。

いずれも、大日本帝国郵便との表記がなされているが、発売局は関東州に限られ、日本本土では、切手蒐集家向けに通信販売されただけであった。特に、関東州始政30周年の10銭切手は、5万枚しか製造されなかったため、当時からプレミアムがついていた。現在でも、比較的高価な部類に入る。

人口

1935年(昭和10年)国勢調査より

  • 総人口 1,134,074人
    • 内訳
      • 日本人(朝鮮人を含む) 168,185人
      • 満洲国人(在来の住民) 963,875人
      • その他 2,014人

教育

高等教育機関

中等教育学校

  • 旧制中等教育学校の一覧 (旧外地)#関東州

宗教関係

神社

  • 關東神宮
  • 大連神社
  • 沙河口神社
  • 金刀比羅神社(大連市)
  • 小野田神社
  • 貔子窩神社
  • 普蘭店神社
  • 金州神社
  • 金刀比羅神社(旅順市)
  • 關水神社
  • 大連惠比須神社
  • 柳樹屯稻荷神社
  • 周水神社

寺院

キリスト教会

脚注

  1. ^ 松本1988、300-301頁。
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ) 関東州

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、関東州に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

  • 関東州 - 世界飛び地領土研究会
大日本帝国
思想・政策方針
天皇
憲法上の役割
輔弼・諮問組織
象徴
政治
身分
政府
軍事
歴史
大正時代
昭和時代
経済
領域
共通法による領域の分類
外地1の分類と統治官庁
大東亜共栄圏に設置の国・政府
太平洋戦争期の進駐占領地
その他
関連施設
  • 1国土では無い租借地及び委任統治領も含む。
  • 2:「外地」という概念は共通法上は用いられていなかった。
  • 3:共通法上第1条では内地に包含されていた。だがその一方で、法的特例措置を設ける権限が1943年まで与えられていた。
カテゴリ カテゴリ
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関東州
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南洋群島
  1. 共通法では内地とされた。ただし、同地へ施行される法律に対し、勅令に基づいて若干の特例を設けることが1943年まで認められていた。
19
1特別市
1特別区
1租借地
  • 関東州
1941年8月時点の行政区分。詳細は満洲国の地方行政区画を参照。
関東州の自治体
市部
大連郡
旅順郡

水師営町 | 方家屯町 | 王家店町 | 山頭村町 | 三澗堡町 | 営城子町

金州郡

馬家屯町 | 大孤山町 | 董家溝町 | 閆家楼町 | 老虎山町 | 劉家店町

亮甲店郡

大石硼町 | 黄咀子廟町 | 三十里堡町 | 石河馹町

普蘭店郡

普蘭店町 | 長店堡町

貔子窩郡

貔子窩北町 | 楊樹底町 | 碧流河町

島嶼郡

鳳鳴島町

大東亜共栄圏を構成する国・地域
ウィキポータル:Portal:大東亜共栄圏
日本の旗 日本
共通法における領土区分
統治権を一時保有する地
中国方面
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内蒙古3
南方北方方面
既存の国家
新設のまたは政府
 日本のその他占領地
関連する出来事
  • 1:共通法第1条の規定により、樺太は内地に包含された。
  • 2日本政府の立場では、満洲の独立は地元住民の自発的な意志に依るものであり、中国の行政・領土的保全を約する九カ国条約の遵守と満洲国の承認は矛盾するもので無かった。
  • 3:日本は内蒙古を中国本土とは異なる地域として扱かっていたが、現地の政治権力上は中国内の自治行政区画に留められた。
  • 地方自治の為に設置された組織。現地の意向に関係なく、日本には中央政府へ発展させる意図がなかった。
  • :大東亜会議開催(1943年)以前に消滅した組織。
  • :日本政府から政府承認を受ける前に消滅した組織。
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