黒住忠行

黒住 忠行(くろずみ ただゆき、1919年7月16日[1] - 1988年9月29日[1])は、日本の官僚政治家運輸省自動車局長、参議院議員(1期)、通商産業政務次官日本自動車ターミナル社長等を歴任した。正四位勲二等瑞宝章

人物

岡山県岡山市矢坂本町出身[1]。1942年に東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し鉄道省入省。東京陸運局長、運輸省自動車局長を経て[2]1971年の第9回参議院議員通常選挙全国区から当選。1期務めた[1]。なお、この選挙を通じてバス協会、トラック協会、乗用自動車協会などから支援を受けたが、買収、法定外文書違反などの疑いで23人の逮捕者を出している[3]。1975年から通商産業政務次官[1]

1978年社団法人日本自動車会議所副会長[4]。1982年日本自動車ターミナル専務、1984年同社長[1]

1988年肝不全のため虎の門病院で死去。享年69。青山葬儀所で日本自動車ターミナル社葬(葬儀委員長・加藤昇専務)が行われた[2]

黒住教教主の一族であり[5]、黒住教東京大教会所総代の黒住忠義は長男[2]

著書

  • 『自動車を語る』日芸出版社、1973年

脚注

  1. ^ a b c d e f 新訂 政治家人名事典 明治~昭和『黒住 忠行』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日新聞、1988年9月30日
  3. ^ 「元官僚派の違反目立つ」『中國新聞』昭和46年7月8日7面
  4. ^ 「歴代会長・副会長」日本自動車会議所
  5. ^ 朝日新聞、1971年6月6日
先代
鈴木珊吉
運輸省自動車局長
1968年 - 1970年
次代
野村一彦
先代
大橋実次
日本自動車ターミナル社長
1984年 - 1988年
次代
野村一彦
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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