丸茂重貞

丸茂重貞
まるも しげさだ
生年月日 1916年5月29日
出生地 群馬県吾妻郡
没年月日 (1982-07-23) 1982年7月23日(66歳没)
死没地 東京都港区 虎の門病院
出身校 東京医学専門学校
前職 内科医
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
医学博士[1]

内閣 三木改造内閣
在任期間 1976年9月15日 - 1976年12月14日

選挙区全国区→)
群馬県選挙区→)
全国区
在任期間 1962年7月8日 - 1982年7月23日
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丸茂 重貞(まるも しげさだ、1916年5月29日 - 1982年7月23日)は、日本医師政治家参議院議員(4期)。位階従三位勲等は勲一等。環境庁長官(第7代)。所属派閥は福田派青嵐会の結成にも参加した。

人物

1916年生まれ、群馬県吾妻郡出身。群馬県立高崎中学校を経て、1940年、東京医学専門学校卒業[2]。医師免許取得後、同年10月軍医として応召[2]

1946年7月に応召を終えた後は、群馬県群馬郡滝川村で内科医として開業[2]。開業1年31歳で郡医師会会長、その2年後に県医師会理事就任[2]。1957年、41歳で日本医師会理事に就任[2]。1961年の医療費引き上げで日本の保険医が休診によるストライキをしたときには事態の収拾に当たった[2]

1962年、第6回参議院議員通常選挙に自由民主党候補として全国区から立候補して当選、参議院議員となった。1968年の第8回参議院議員通常選挙では選挙区を群馬県選挙区に移して再選。さらに1974年の第10回参議院議員通常選挙では選挙区を全国区に再び戻して再選された。

大蔵政務次官、参議院大蔵委員長などを経て1976年に成立した三木内閣改造内閣で環境庁長官に就任。1980年、第12回参議院議員通常選挙で再選されたものの、在職中の1982年2月に発病して同年7月23日、クモ膜下出血のため東京都港区の虎の門病院で死去、66歳[2]。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲六等からの昇叙)、正七位から従三位に叙される[3]

主な役職

  • 日本鍼灸師会顧問
  • 日本医師会常任理事

脚注

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  1. ^ "丸茂 重貞". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2023年2月16日閲覧
  2. ^ a b c d e f g 第96回国会 参議院 本会議 第25号 昭和57年8月4日
  3. ^ 『官報』第16653号18-19頁 昭和57年8月3日号

関連項目

公職
先代
小沢辰男
日本の旗 環境庁長官
第7代:1976年
次代
石原慎太郎
議会
先代
青柳秀夫
日本の旗 参議院大蔵委員長
1969年 - 1970年
次代
栗原祐幸
日本の旗 環境庁長官(1976年)
環境庁長官
環境大臣
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
定数1
第21回以降)
奇数回
偶数回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。