塚田大願

塚田 大願(つかだ たいがん、1909年11月15日 - 1995年12月14日)は日本社会運動家労働運動家政治家参議院議員日本共産党公認、1期)。幼名は武次。

来歴

戦前

新潟県南蒲原郡中之島村[1]出身。上京し拓殖大学へ入ると労働運動に参加、1930年日本労働組合全国協議会(全協)傘下の日本交通運輸労働組合の活動家となるが、2度検挙されたため大学を中退する。1932年には全協中央常任委員に就任すると共に、日本共産党へ入党し日本共産青年同盟[2]中央委員長に就く。治安維持法違反の廉で1933年に3度目の検挙となり、懲役5年を言い渡される。1940年には満期出所するが、翌年太平洋戦争勃発につき検挙され、2年後出所となる。

戦後

共産党本部でオルグ活動を行う傍ら、1961年中央委員に就任し、1971年第9回参議院議員通常選挙全国区から出馬し初当選。参議院議員を1期務めた後、1977年第10回参議院議員通常選挙には立候補せず引退を表明した。

政界引退後は党中央委員会顧問(1985年就任)などをしていたが、1995年12月14日、多発性脳梗塞により埼玉県三郷市の病院で死去。86歳。

著書

  • 『共産青年同盟の歴史:青年運動のかがやく伝統』日本青年出版社、1968年
  • 『良寛の生き方』ゆぴてる社、1986年
  • 『ラオスの回想記』光陽出版社、1995年4月 ISBN 4876621500

脚注

  1. ^ 中之島町を経て現在は長岡市
  2. ^ 日本民主青年同盟の前身

参考文献

第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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