ジョン・ラトリッジ

ジョン・ラトリッジ
John Rutredge
生年月日 1739年9月17日
出生地 イギリス領北米植民地 サウスカロライナ植民地チャールストン
没年月日 1800年7月18日
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州チャールストン
配偶者 エリザベス・グリムケ
サイン

在任期間 1776年7月4日 - 1778年3月7日

第3代サウスカロライナ州知事
在任期間 1779年1月9日 - 1782年1月31日

在任期間 1795年7月1日 - 1795年12月15日
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ジョン・ラトリッジ: John Rutledge1739年9月17日 - 1800年7月18日)は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州の政治家。州知事を務め、アメリカ合衆国憲法制定会議で代議員となり、批准された憲法に署名した。またアメリカ合衆国最高裁判所の判事となり、1795年8月から12月まで主席判事となった。アメリカ独立宣言に署名したエドワード・ラトリッジは弟である。

生い立ちと家族

ラトリッジはサウスカロライナ植民地チャールストンで大家族に生まれた。父はスコットランドアイルランド人の移民ジョン・ラトリッジ・シニアで、母はイングランド人の子孫でサウスカロライナ生まれのサラ・ヘクストであった。

父はアルコール中毒の医者、イングランド国教会牧師、教師であったが、この父からは限られた教育しか受けなかった。1760年ロンドンミドル・テンプル法曹院で法律の勉強をした後、イギリスの法廷弁護士として認められた。しかし、ほとんど時を経ずに、チャールストンに戻って実りある法律分野の経歴を歩み始め、また母の財産であるプランテーションと奴隷で資産を築いた。3年後、エリザベス・グリムケと結婚し、最終的に10人の子供をもうけるが、タウンハウスに転居して残りの人生の大半をそこで過ごした。

独立戦争前の活動

1761年、政治分野での活動を始めた。この年、クライストチャーチ教区から植民地議会議員に選出され、独立戦争までこの職を続けた。1764年に10ヶ月間、一時的に植民地検事総長を務めた。1765年印紙法の問題が起きた頃にイギリスとの関係が悪化し、ラトリッジは植民地の自治を確保し続けたいと願っていたので、イギリスとの断絶を避けようとし、節度ある立場を維持した。しかし、印紙法会議では委員会の議長を務め、イギリス貴族院に対する請願書を書き上げた。

1774年、第一次大陸会議の代議員となり、そこでは穏健な問題処理を追求した。翌年も第二次大陸会議に出席した後に、サウスカロライナに戻って植民地政府の再建に貢献した。1776年、安全委員会で働き、州憲法の草稿作りに参加した。この年、バージニア州議会下院の議長となり1778年まで続けた。この時期に、新しい政府は多くの厳しい試練を経験した。

1778年、保守的なラトリッジは邦憲法の民主主義的な改訂を受け入れられず、その職を辞した。しかし、翌年に邦知事に選出された。困難な時代であった。イギリス軍がサウスカロライナに侵入し、植民地の軍隊は絶望的な状況にあった。議会が休会に入っていた1780年早くにチャールストンはイギリス軍に包囲された。5月に市は陥落し、アメリカ兵は捕虜となり、ラトリッジの資産は押収された。ラトリッジは何とかノースカロライナに逃れ、サウスカロライナを回復するために軍隊の召集に取り掛かった。1781年、ナサニエル・グリーン将軍と新しい大陸軍の助けもあって、邦政府を再建した。1782年1月、知事の職を辞し、邦議会下院の議員となった。戦争の間に被った財政的損失は取り戻せなかった。

独立戦争後

1782年から1783年は大陸会議の代表となった。翌1784年、邦衡平法裁判所に勤め、また再度邦議会下院議員となった(1784年 - 1790年)。1787年の憲法制定会議では最も影響力ある代議員の一人となり、穏健な民族主義者の立場を保ち、詳細委員会の委員長となり、あらゆるセッションに出席してしばしば効果的に発言し、また5つの委員会にも参加した。サウスカロライナの仲間代議員と同様に、活発に南部の利益を代弁した。奴隷貿易に関する権利には強い意見を持っており、もし奴隷制が許されなければ退席すると脅しさえした。

最高裁判所陪席判事

憲法下の新しい政府はすぐにラトリッジを魅了した。1789年には大統領選挙人となり、ジョージ・ワシントン合衆国最高裁判所の陪席判事にラトリッジを指名したが、この職は2年間のみ務めた。1791年、サウスカロライナ州最高裁判所の主席判事となった。

最高裁判所第2代主席判事

ジョン・ラトリッジ

1795年の合衆国上院が休会の時、ワシントンは再度ラトリッジを合衆国最高裁判所の、この時はジョン・ジェイに代わる主席判事に指名した。ラトリッジは1795年7月1日に着任した[1]。 その後間もない7月16日、イギリスとの間に結ばれたジェイ条約を非難することで大きな論争を呼ぶ演説を行った。この演説の中で「このたわいもない文書に署名するくらいなら大統領は死んだ方が良い。それを採択するよりも戦争を選ぶ」と言ったということである[2]

ラトリッジはジェイ条約に明け透けに反対したことと、ラトリッジの妻が1792年に死んで以来、心の病を持っているとの噂があり、連邦党が支配するアメリカ合衆国上院1795年12月15日にラトリッジに対する指名を拒絶した。その結果、ラトリッジに対する休会中の指名は上院会期の終わりに自動的に期限切れとなった。かくしてラトリッジはアメリカ合衆国最高裁判所の歴史の中で唯一人、不本意ながら職を追われ公的な経歴を終わらせることになった。しかし、そうしている間にも1期のみは裁判所にあって職務を遂行した。アレクサンダー・ハミルトンはラトリッジの正気を疑い、副大統領のジョン・アダムズは妻のアビゲイル・アダムズに宛てた手紙の中で、上院がラトリッジを拒んだことで「旧き友のために苦痛を覚えたが、彼がそれに値すると思わざるを得ない。主席判事は...根拠の薄弱な民衆の不満を煽ってはならないし、民衆の間に内輪揉めや分裂、闘争、妄想を広めてはならない。」と書いた[3]。ラトリッジは1795年12月28日に主席判事から退いた直後に自殺を試みた[4]

ラトリッジは1800年に60歳で死に、チャールストンのセントミカエル聖公会教会に葬られた。1763年に建てられたと言われるラトリッジの家の一つは最終的に1790年に売却され、1989年に改修されてジョン・ラトリッジ・インとして公開された。

  • 「人は自分の金でうまくやっていくことで、言うなればそれに神のイメージを捺し、それを通行証にして天国でも通用するようにする。」― ジョン・ラトリッジ

脚注

  1. ^ Fisher, Louis. “Recess Appointments of Federal Judges,” Congressional Research Service (2001-09-05).
  2. ^ Independent Chronicle (Boston). 1795-08-13, reprinted in The Documentary History of the Supreme Court of the United States, 1789-1800 by Maeva Marcus and James Russell Perry.
  3. ^ Maltese, John. The Selling of Supreme Court Nominees (Johns Hopkins University Press 1998), pp. 30-31.
  4. ^ Haw, James. John and Edward Rutledge of South Carolina, (University of Georgia Press 1997).

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ジョン・ラトリッジに関連するカテゴリがあります。
  • United States Congress. "ジョン・ラトリッジ (id: R000552)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • ジョン・ラトリッジ - Find a Grave(英語)
  • SCIway Biography of John Rutledge
  • NGA Biography of John Rutledge
  • This article is based on public domain text created for the US National Archives
先代
新設
サウスカロライナ州知事
1776年 - 1778年
次代
ロウリンズ・ラウンズ
先代
ロウリンズ・ラウンズ
サウスカロライナ州知事
1779年 - 1782年
次代
ジョン・マシューズ
先代
新設
アメリカ合衆国最高裁判所陪席判事
1790年 - 1791年
次代
トマス・ジョンソン
先代
ジョン・ジェイ
アメリカ合衆国最高裁判所主席判事
1795年
次代
オリバー・エルスワース
 
  1. ジョン・ジェイ (1789–1795(英語版)判例(英語版))
  2. ジョン・ラトリッジ (1795(英語版)判例(英語版))
  3. オリバー・エルスワース (1796–1800(英語版)判例(英語版))
  4. ジョン・マーシャル (1801–1835(英語版)判例(英語版))
  5. ロジャー・B・トーニー (1836–1864(英語版)判例(英語版))
  6. サーモン・P・チェイス (1864–1873(英語版)判例(英語版))
  7. モリソン・ワイト(英語版) (1874–1888(英語版)判例(英語版))
  8. メルヴィル・フラー(英語版) (1888–1910(英語版)判例(英語版))
  9. エドワード・ダグラス・ホワイト (1910–1921(英語版)判例(英語版))
  10. ウィリアム・ハワード・タフト (1921–1930(英語版)判例(英語版))
  11. チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ (1930–1941(英語版)判例(英語版))
  12. ハーラン・F・ストーン (1941–1946(英語版)判例(英語版))
  13. フレッド・M・ヴィンソン (1946–1953(英語版)判例(英語版))
  14. アール・ウォーレン (1953–1969(英語版)判例(英語版))
  15. ウォーレン・E・バーガー(英語版) (1969–1986(英語版)判例(英語版))
  16. ウィリアム・レンキスト (1986–2005(英語版)判例(英語版))
  17. ジョン・ロバーツ (2005–現職判例(英語版))
 
  1. J・ラトリッジ* (1790–1791)
  2. クッシング (1790–1810)
  3. ウィルソン (1789–1798)
  4. ブレア (1790–1795)
  5. アイアデル (1790–1799)
  6. T・ジョンソン (1792–1793)
  7. パターソン (1793–1806)
  8. S・チェイス (1796–1811)
  9. ワシントン(英語版) (1798–1829)
  10. ムーア(英語版) (1800–1804)
  11. W・ジョンソン(英語版) (1804–1834)
  12. リビングストン (1807–1823)
  13. トッド(英語版) (1807–1826)
  14. デュバル(英語版) (1811–1835)
  15. ストーリー(英語版) (1812–1845)
  16. トンプソン (1823–1843)
  17. トリンブル(英語版) (1826–1828)
  18. マクレーン (1829–1861)
  19. ボールドウィン(英語版) (1830–1844)
  20. ウェイン(英語版) (1835–1867)
  21. バーバー(英語版) (1836–1841)
  22. カトロン(英語版) (1837–1865)
  23. マッキンレー(英語版) (1838–1852)
  24. ダニエル(英語版) (1842–1860)
  25. ネルソン(英語版) (1845–1872)
  26. ウッドベリー (1845–1851)
  27. グリア(英語版) (1846–1870)
  28. カーティス(英語版) (1851–1857)
  29. キャンベル(英語版) (1853–1861)
  30. クリフォード (1858–1881)
  31. スウェイン(英語版) (1862–1881)
  32. ミラー(英語版) (1862–1890)
  33. デイヴィス(英語版) (1862–1877)
  34. フィールド(英語版) (1863–1897)
  35. ストロング(英語版) (1870–1880)
  36. ブラッドリー(英語版) (1870–1892)
  37. ハント(英語版) (1873–1882)
  38. J・M・ハーラン(英語版) (1877–1911)
  39. ウッズ(英語版) (1881–1887)
  40. マシューズ(英語版) (1881–1889)
  41. グレイ(英語版) (1882–1902)
  42. ブラッチフォード(英語版) (1882–1893)
  43. L・ラマー(英語版) (1888–1893)
  44. ブルーワー(英語版) (1890–1910)
  45. ブラウン(英語版) (1891–1906)
  46. シラス(英語版) (1892–1903)
  47. H・ジャクソン(英語版) (1893–1895)
  48. E・ホワイト* (1894–1910)
  49. ペッカム(英語版) (1896–1909)
  50. マッケナ(英語版) (1898–1925)
  51. ホームズ (1902–1932)
  52. デイ (1903–1922)
  53. ムーディ (1906–1910)
  54. ラートン(英語版) (1910–1914)
  55. ヒューズ* (1910–1916)
  56. ヴァン・ドヴァンター(英語版) (1911–1937)
  57. J・ラマー(英語版) (1911–1916)
  58. ピツニー(英語版) (1912–1922)
  59. マクレイノルズ(英語版) (1914–1941)
  60. ブランダイス (1916–1939)
  61. クラーク(英語版) (1916–1922)
  62. サザーランド(英語版) (1922–1938)
  63. バトラー(英語版) (1923–1939)
  64. サンフォード(英語版) (1923–1930)
  65. ストーン* (1925–1941)
  66. O・ロバーツ(英語版) (1930–1945)
  67. カードーゾ (1932–1938)
  68. ブラック (1937–1971)
  69. リード(英語版) (1938–1957)
  70. フランクファーター (1939–1962)
  71. ダグラス(英語版) (1939–1975)
  72. マーフィー(英語版) (1940–1949)
  73. バーンズ (1941–1942)
  74. R・ジャクソン (1941–1954)
  75. W・ラトリッジ(英語版) (1943–1949)
  76. バートン(英語版) (1945–1958)
  77. クラーク(英語版) (1949–1967)
  78. ミントン(英語版) (1949–1956)
  79. J・M・ハーラン2世(英語版) (1955–1971)
  80. ブレナン (1956–1990)
  81. ウィテカー(英語版) (1957–1962)
  82. スチュワート(英語版) (1958–1981)
  83. B・ホワイト (1962–1993)
  84. ゴールドバーグ(英語版) (1962–1965)
  85. フォータス(英語版) (1965–1969)
  86. T・マーシャル (1967–1991)
  87. ブラックマン (1970–1994)
  88. パウエル(英語版) (1972–1987)
  89. レンキスト* (1972–1986)
  90. スティーブンス (1975–2010)
  91. オコナー (1981–2006)
  92. スカリア (1986–2016)
  93. ケネディ (1988–2018)
  94. スーター (1990–2009)
  95. トーマス (1991–現職)
  96. ギンズバーグ (1993–2020)
  97. ブライヤー (1994–2022)
  98. アリート (2006–現職)
  99. ソトマイヨール (2009–現職)
  100. ケイガン (2010–現職)
  101. ゴーサッチ (2017–現職)
  102. カバノー (2018–現職)
  103. バレット (2020–現職)
  104. K・ジャクソン (2022–現職)
*首席判事も務めた人物
  • J・ラトリッジ
  • ラウンズ(英語版)
  • J・ラトリッジ
  • マシューズ(英語版)
  • ゲラード(英語版)
  • モールトリー(英語版)
  • T・ピンクニー
  • C・ピンクニー
  • モールトリー(英語版)
  • ヴァンダーホースト(英語版)
  • C・ピンクニー
  • E・ラトリッジ
  • ドレイトン(英語版)
  • J・リチャードソン(英語版)
  • P・ハミルトン
  • C・ピンクニー
  • ドレイトン(英語版)
  • ミドルトン(英語版)
  • アルストン(英語版)
  • D・ウィリアムズ(英語版)
  • A・ピケンズ(英語版)
  • ゲデス(英語版)
  • ベネット(英語版)
  • ウィルソン(英語版)
  • マニング1世(英語版)
  • テイラー(英語版)
  • ミラー(英語版)
  • J・ハミルトン(英語版)
  • ヘイン(英語版)
  • マクダフィー(英語版)
  • バトラー(英語版)
  • ノーブル(英語版)
  • ヘナガン(英語版)
  • リチャードソン2世
  • ハモンド(英語版)
  • エイケン(英語版)
  • ジョンソン(英語版)
  • シーブルック(英語版)
  • ミーンズ(英語版)
  • J・マニング(英語版)
  • アダムズ(英語版)
  • オールストン(英語版)
  • ギスト(英語版)
  • F・ピケンズ(英語版)
  • ボーナム(英語版)
  • マグラス(英語版)
  • ペリー(英語版)
  • オア
  • スコット(英語版)
  • モーゼス(英語版)
  • チェンバレン(英語版)
  • ハンプトン
  • シンプソン
  • ジーター
  • ハーグッド
  • トンプソン
  • シェパード
  • リチャードソン3世
  • ティルマン(英語版)
  • エヴァンス(英語版)
  • エレーブ(英語版)
  • マクスウィーニー(英語版)
  • ヘイワード(英語版)
  • アンセル(英語版)
  • ブリーズ(英語版)
  • スミス(英語版)
  • マニング3世(英語版)
  • クーパー(英語版)
  • ハーヴェイ(英語版)
  • マクロード(英語版)
  • リチャーズ(英語版)
  • ブラックウッド(英語版)
  • ジョンストン
  • メイバンク(英語版)
  • ハーレイ(英語版)
  • ジェフリーズ(英語版)
  • ジョンストン
  • R・ウィリアムズ(英語版)
  • サーモンド
  • バーンズ
  • ティマーマン(英語版)
  • ホリングス(英語版)
  • ラッセル(英語版)
  • マクネア(英語版)
  • ウェスト(英語版)
  • エドワーズ(英語版)
  • ライリー
  • キャンベル(英語版)
  • ビーズリー(英語版)
  • ホッジス(英語版)
  • サンフォード(英語版)
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