小林武治

曖昧さ回避 元プロ野球審判員の「小林毅二」とは別人です。
小林武治
こばやし たけじ
生年月日 1899年8月28日
出生地 長野県
没年月日 (1988-10-12) 1988年10月12日(89歳没)
死没地 静岡県
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
前職 官選第35代静岡県知事
所属政党 (無所属→)
自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
法学士

日本の旗 第26代 法務大臣
内閣 第3次佐藤内閣
在任期間 1970年1月14日 - 1971年2月9日

日本の旗 第26-27代 郵政大臣
内閣 第1次佐藤第3次改造内閣
第2次佐藤内閣
第2次佐藤第1次改造内閣
在任期間 1966年12月3日 - 1968年11月30日

日本の旗 第38-39代 厚生大臣
内閣 第2次池田第3次改造内閣
第3次池田内閣
在任期間 1963年7月18日 - 1964年7月18日

静岡県の旗 公選初代 静岡県知事
当選回数 1回
在任期間 1947年4月23日 - 1951年4月22日

選挙区 静岡県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1953年5月3日 - 1971年7月3日
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小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月28日 - 1988年(昭和63年)10月12日)は、昭和期の政治家静岡県知事厚生大臣郵政大臣法務大臣参議院議員3期。

来歴・人物

生い立ち

長野県北佐久郡南大井村平原(現小諸市)に、農家の二男として生まれる。旧制野沢中学校、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科に入学。五高時代は池田勇人佐藤栄作と同級生であった。また東大時代は濱口雄幸の息子・濱口巌根(元・日本長期信用銀行頭取)と机を並べた。

逓信官僚として

1923年高等試験行政科に合格する。逓信次官を務めたことのある濱口雄幸の勧めもあり、翌1924年に東大卒業後、逓信省に入省する。以後秘書課長、逓信省総務局、熊本逓信局、逓信院次長と順調に昇進を重ねた。戦後の1946年、当時の内務大臣、三土忠造の要請により、官選の静岡県知事となる。内務省出身者以外の知事登用は、異例のことであった。

静岡県知事

1947年、初の知事選に当選後、三方原用水計画・南富士地帯開発計画・大井川用水促進計画の「開拓三大計画」に着手した。この他1948年には「県産業復興5ヶ年計画」を策定し、また天竜川の複合用水利用計画を立案するなど、静岡県の経済発展の基礎固めを精力的に進めていった。1951年に再選を狙うも、県政界の派閥抗争に敗れ出馬を断念。1953年静岡県選挙区より参議院議員に当選する。以後当選3回。

中央政界進出

中央政界入り後は池田・佐藤両首相と懇意であったことに加え、参議院自民党のドン・重宗雄三とのリレーションも良好だったため、たびたび閣僚として登用された。1963年第2次池田内閣第3次改造内閣で厚生大臣として初入閣。同年の全国戦没者追悼式にあたって「宗教的なにおいのある場所はやはり適当でない。儀式は宗教的でなくても適当でない」と明言し「本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする」との閣議決定に繋がった。しかし翌1964年に追悼式が急遽靖国神社で行われることが決定し「遺族などの方々からのご要望もございました」と説明。林修三内閣法制局長官政教分離原則との関係を問われて「多少紛らわしい点がないわけではない」としながら「広場として使うのにそれほど不適当でなかろう」「宗教的色彩と切り離してやることも可能」とあくまで会場として使用したと答弁した[1]

1966年第1次佐藤内閣第3次改造内閣では郵政大臣に就任、在任中にUHF帯で大量の放送免許を与える方針を表明し、民放の第2次新設局ラッシュを巻き起こす一方、FM東海の処遇を巡っては松前重義(逓信省の後輩で東海大学創立者、日本社会党衆議院議員)と鋭く対立した。これらの強権は『小林郵政』と呼ばれ今でも語り草となっている。

問題発言

1970年第3次佐藤内閣で法務大臣となる。復讐するは我にありのモデルとなった元祖広域殺人犯・西口彰死刑を執行した他、現行刑法施行下では初の女性死刑囚(ホテル日本閣殺人事件女性連続毒殺魔事件)の死刑を執行。長沼ナイキ訴訟では国として前例のない福島重雄裁判長忌避を申し立てるなど、タカ派ぶりを発揮した。翌1971年1月の静岡県知事選の応援演説で「野党がギャアギャア騒いでも、予算に指一本触れることはできない」「閣僚として、予算委員会に毎日出なければならないのは退屈この上ない」などと放言したことが発覚、翌2月に引責辞任を表明したばかりか同年の参議院選挙にも落選しそのまま政界を引退する。1971年勲一等瑞宝章受章。1988年10月12日死去。享年89。

エピソード

脚注

  1. ^ “靖国神社で開かれた戦没者追悼式 「遺族の要望」 揺らいだ政教分離”. 朝日新聞. 2023年9月12日閲覧。
公職
先代
西郷吉之助
日本の旗 法務大臣
第26代 : 1970年 - 1971年
次代
秋田大助
先代
新谷寅三郎
日本の旗 郵政大臣
第26・27代 : 1966年 - 1968年
次代
河本敏夫
先代
西村英一
日本の旗 厚生大臣
第39・40代 : 1963年 - 1964年
次代
神田博
先代
新設
静岡県の旗 静岡県知事
公選初代:1947年 - 1951年
次代
斎藤寿夫
議会
先代
本多市郎
小幡治和
日本の旗 参議院地方行政委員長
1957年 - 1958年
1962年
次代
田中啓一
石谷憲男
官職
先代
堀田健男
静岡県の旗 静岡県知事
官選第35代:1946年 - 1947年
次代
川井章知
学職
先代
茂木ヒイ
富士見丘女子短期大学学長
第2代:1966年 - 1970年
次代
渡辺重男
日本の旗 法務大臣 (1970年-1971年)
法務総裁
法務大臣
カテゴリ カテゴリ
日本の旗 郵政大臣 (1966年-1968年)
中央省庁等改革
郵政大臣
自治大臣
地方財政委員会委員長
地方自治庁長官
自治庁長官
自治大臣
総務庁長官
総務大臣
2001年(平成13年)1月6日、郵政大臣自治大臣総務庁長官が統合され、総務大臣が置かれた。
日本の旗 厚生大臣 (1963年-1964年)
再編前
厚生大臣
労働大臣
厚生労働大臣

2001年の省庁再編により厚生大臣と労働大臣は統合された。

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日本の旗 参議院地方行政委員長 (1957年-1958年,1962年)
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
第24回
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
第23回
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
静岡県の旗 静岡県知事(官選:1946年-1947年,公選:1947年-1951年)
官選
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