武良布枝

むら ぬのえ

武良 布枝
生誕 (1932-01-06) 1932年1月6日(92歳)
日本の旗 日本島根県能義郡大塚村(現・安来市大塚町)
出身校 安来高等女学校
職業 主婦随筆家
配偶者 水木しげる (本名:武良 茂)(1922年 - 2015年)※死別
子供 二女あり
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武良 布枝(むら ぬのえ、旧姓飯塚1932年〈昭和7年〉1月6日 - )は、漫画家水木しげる(本名:武良 茂)の妻。自伝ゲゲゲの女房』(2008年)の著者であり、同書を基にした同名テレビドラマの主人公、村井布美枝のモデルである。

経歴

生い立ち

1932年1月6日島根県能義郡大塚村(現・安来市大塚町)の商家である飯塚家の三女として生まれた。飯塚家は煙草を製造したり、呉服屋を営んだりしていたが、父・藤兵衛が「女相手の商売はあわん」という理由で呉服の仕入れをやめてしまったために、布枝が生まれた頃には蔵に残った反物を細々と売ったり、テニス用のガット作りの人を集める元締めのようなことをして生計をたてていた[1]。また、藤兵衛は村議会議員を務め、戦後、酒の小売の免許をとり、酒屋を始めた。

結婚

安来高等女学校(現・島根県立安来高等学校)卒業後、二人の姉が相次いで嫁いでいく中、布枝は家に残り、祖母の手伝いをしていた。祖母も他界して手も空いた頃には結婚適齢期を過ぎ、良い縁談話を待ちわびていたところに、1961年(昭和36年)に水木しげる(本名・武良茂)との見合い話が舞い込んできた。

間に立ったのは布枝の母の弟で、この叔父の妻の実家が武良家の遠縁だった[2]。水木の多忙のため、見合いから5日後に結婚式というスピード婚だった[3]。式場は米子の灘町後藤のお屋敷[4]だった。

結婚生活

赤貧洗うがごとき当時の水木の生活は、見合い話で聞かされた仲人口とはかけ離れていた。「東京」のイメージとは程遠い水木の家を初めて見たとき、布枝は声を上げて驚いたという[5]。常に質屋に入り浸りで、長女が生まれた後には布枝が持ってきた着物まで出されてしまう[6]。しかし、懸命に漫画を描く水木の姿を見て、布枝は次第に敬意を抱くようになり、やがて自分の誇りにさえ思うようになったという[7]。漫画の締め切りが迫ると、ベタ塗りなどの単純作業をこなすこともあった[8]

二女に恵まれ、やがて水木の名が売れて生活も好転したが、代わって水木は漫画の依頼が増え過ぎて殺人的な多忙に苦しめられるようになる。水木は妻や家族にかまける余裕が無くなり、貧乏時代よりこの頃の方が辛かったかもしれないと布枝は書いている[9]

ゲゲゲの女房

水木しげるロードに設立された「水木しげる夫妻」ブロンズ像

2008年に著した自伝『ゲゲゲの女房』が、2010年4月から9月までNHK連続テレビ小説』においてテレビドラマ化されている。さらにこの年の11月には映画が公開された。翌年には舞台化もされている。布枝をモデルとした人物を、テレビドラマでは松下奈緒が、映画では吹石一恵が、舞台では水野美紀がそれぞれ演じている。

テレビドラマのヒットを受け、2010年新語・流行語大賞の年間大賞には、「ゲゲゲの〜」が選ばれて受賞している[10]
また、水木しげるロードに夫婦のブロンズ像、安来市大塚町の実家の前に「つなぎ石」の石碑が建てられている。

テレビ出演

家族・親族

実家
  • 祖母
祖父が早世して以来、一人で家を支えていた[11]。晩年には脳梗塞で倒れて寝たきりとなり、それから87歳(享年88)で亡くなった。
  • 父・藤兵衛(呉服商、酒屋、政治家)
明治32年(1899年)4月8日生[12]~昭和61年(1986年)没。
2代目藤兵衛の次男[12]高小[12]。幼少期に父を亡くしてから藤兵衛の3代目を継いで家業の呉服商に従事していたが、昭和17年(1942年)の企業整備で老舗を閉鎖[12]する。昭和23年(1948年)期するところありて、酒類販売を開始した[12]。旧大塚村時代村議に数回当選し、議長にも推された[12]。趣味は囲碁、釣[12]宗教曹洞宗[12]足立美術館の創設者足立全康と若い頃からの友人だった[13]。晩年には母(布枝からみれば祖母)と同じく脳梗塞で倒れて寝たきりとなり、それから1年後の昭和61年に87歳(享年88)で亡くなった。
父(夫)が亡くなった5年後の平成3年(1991年)に奇しくも夫と祖母(義母)と同じ87歳(享年88)で亡くなった。
  • 姉(2人、1人は近隣にある大きな養蚕農家に嫁いだ[14]
  • 兄・藤兵衛(元教員)
昭和4年(1929年)1月に父である3代目藤兵衛の長男として生まれる。最初は龍矢と言う名前だったが、父の死後に改名し藤兵衛の4代目を継いだ。
2010年5月31日放送分の『鶴瓶の家族に乾杯』に妻、娘と出演[15]。晩年には2017年12月10日放送分の『NHKのど自慢』に妻と出場(自身にとってはこれが生涯最後のテレビ出演となった)して歌を歌い特別賞を授賞し、その翌年の2018年2月2日に89歳(享年90)で急逝した。現在は甥(兄の子)の頼寿が藤兵衛の5代目を継いでいる。
3代目藤兵衛の次男。婿養子に行くまでは父が経営する酒屋をよく手伝っていた。その後婿養子に行ったが、海へ魚釣りに出掛けた際に海で溺れて38歳の若さで亡くなった。
自家
  • 夫・(漫画家・妖怪研究者) 
  • 長女・尚子(水木プロ社長)
  • 次女・悦子(水木プロ社員)
著書『お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常』。ISBN 978-4-903-54811-1。 『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』。ISBN 978-4163720500。 

著書

  • 『ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!』実業之日本社、2008年3月。ISBN 978-4-408-10727-1。 
    • 『ゲゲゲの女房 人生は…終わりよければ、すべてよし!!』実業之日本社〈実業之日本社文庫〉、2011年9月。ISBN 978-4-408-55049-7。 
  • 『ゲゲゲの食卓』扶桑社、2011年4月。ISBN 978-4-594-06386-3。 
  • 坂東眞理子(共著)『ゲゲゲの女房と品格の母が語る 知足安分』学研パブリッシング、2011年4月。ISBN 978-4-05-404901-7。 
  • 『「その後」のゲゲゲの女房 あるがままに。すべてに感謝!!』辰巳出版、2018年9月。ISBN 978-4-7778-2159-4。 
  • 『ゲゲゲの女房の「長寿力」等身大の自分でいい。100歳まで元気に!!』辰巳出版、2021年7月。ISBN 978-4-7778-2711-4。 

脚注

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  1. ^ ゲゲゲの女房』10頁
  2. ^ 『ゲゲゲの女房』30頁
  3. ^ 『ゲゲゲの女房』39頁
  4. ^ 建築マップ 「灘町後藤家」 | 米子建築塾.Web
  5. ^ 『ゲゲゲの女房』48頁
  6. ^ 『ゲゲゲの女房』104頁
  7. ^ 『ゲゲゲの女房』64頁
  8. ^ 『ゲゲゲの女房』67頁
  9. ^ 『ゲゲゲの女房』176頁
  10. ^ “2010年流行語大賞は「ゲゲゲの~」に決定!”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2010年12月1日). オリジナルの2010年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101204113444/http://www.sanspo.com/geino/news/101201/gnj1012011721022-n1.htm 2019年3月12日閲覧。 
  11. ^ ゲゲゲの女房』26頁
  12. ^ a b c d e f g h i 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 イ…69頁
  13. ^ 『ゲゲゲの女房』240頁
  14. ^ 『ゲゲゲの女房』24頁
  15. ^ 大塚の街歩き(その3) : ようこそ安来へ -安来観光協会公式サイト[リンク切れ]

外部リンク

  • ゲゲゲの女房のふるさと - しまね観光ナビ
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貸本漫画
雑誌連載
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短編
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すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチローオリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実

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無党派 青島幸男東京都知事) / NOMO 野茂英雄ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督)

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自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄読売ジャイアンツ監督)

第14回(1997年)

失楽園(する) 渡辺淳一黒木瞳

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ハマの大魔神 佐々木主浩横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人)

第16回(1999年)
第17回(2000年)

おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年)

第18回(2001年)

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タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子フジテレビレポーター) / W杯中津江村 坂本休(中津江村・村長)

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毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭早稲田大学教授)

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