高橋尚子

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高橋尚子 Portal:陸上競技
名古屋国際女子マラソン(2008年)
選手情報
フルネーム 高橋尚子
愛称 Qちゃん
国籍 日本の旗 日本
種目 マラソン
所属 リクルート(1995年4月 - 1997年3月)
積水化学(1997年4月 - 2003年2月)
スカイネットアジア航空(2003年6月 - 2005年5月)
ファイテン(2005年6月 - 2009年5月)
大学 大阪学院大学
生年月日 (1972-05-06) 1972年5月6日(52歳)
生誕地 岐阜県岐阜市
身長 163cm
体重 46kg
自己ベスト マラソン:2時間19分46秒(2001年)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
2000 シドニー 女子 マラソン
アジア競技大会
1998 バンコク 女子マラソン
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高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年昭和47年)5月6日 - )は、日本の元陸上競技選手(女子マラソン)、スポーツキャスター岐阜県岐阜市出身。血液型O型。2000年シドニーオリンピック金メダリスト[注 1]。女子マラソンの元世界記録保持者[注 2]。女子スポーツ界で初の国民栄誉賞を受賞。愛称は「Qちゃん」。日本陸上競技連盟常務理事[1]

来歴

鹿児島県徳之島にある1周31kmのコース「尚子ロード」に建つ石碑。

学生時代まで

1972年昭和47年)5月6日、岐阜県岐阜市に教育者・高橋良明と滋子の長女として生まれる[2]。父・良明は幼稚園長などを務めた[3]ノーベル化学賞受賞者・白川英樹は遠い親戚にあたる[2]。2歳まで、母の実家のある高山市で過ごした後、岐阜市に戻る。中学から陸上競技を始め、岐阜市立藍川東中学校・岐阜県立岐阜商業高等学校大阪学院大学商学部を卒業。

県立岐阜商業高校時代は800mの選手で県大会で岐阜県1位であったが、全国インターハイでは予選で敗退となった。高校2年生の時に初めて岐阜県代表に選ばれて全国都道府県対抗女子駅伝に出場した。その時の区間順位は47人中45位であった。

大阪学院大学時代は日本学生種目別選手権の1500mで優勝して全国で初タイトル獲得。関西インカレでは中距離2種目で優勝して女子最優秀選手に選出された年もあるなど、800m、1500m、3000mの3種目で何度も優勝した。学生日本一を決める大会の日本インカレでは、1993年、1500mで2位、3000mで3位。1994年も1500mで2位、3000mで3位と両種目とも2年連続で同じ順位となり表彰台には上がった。しかし、この4年間で高校時代の全国インターハイに出場できるレベルの選手から、学生トップクラスの選手になるまでに成長していた。また、高橋は大阪学院大学陸上競技部で初めて日本インカレの表彰台に上がった選手である。全日本大学女子駅伝、全国都道府県対抗女子駅伝などでも活躍した。

在学中、教師になるために母校、県立岐阜商業高校で教育実習を受けていたが、陸上を継続したい気持ちも強くあった。実業団数社からの勧誘もあり、大学卒業後の自分の進路について、悩むことになる。陸上を続けるなら、勧誘されていた企業ではなかったが、小出義雄監督率いるリクルートの門を何故叩かないのかと高校時代の恩師、県立岐阜商業監督、中澤正仁から助言を受ける。大阪学院大学の監督の計らいで、富山インターハイの折に、金沢市内に泊まっていた小出監督と面接した。社の方針で大卒は採用していないと、一度は断られたが、高橋の熱意が届き、夏のリクルート北海道合宿に参加できることになった。その合宿で高橋の走りを見た小出は一目で素質を見抜き、正社員ではなく契約社員という条件ではあるものの、リクルートに入社することになった。

リクルート時代

1995年リクルートに入社。有森裕子、鈴木博美、志水見千子五十嵐美紀など日本代表クラスの選手をずらりと揃えていたリクルートチームで駅伝メンバー入りすることが最初の目標であったが、入社1年目から駅伝メンバー入りすることができた。

1997年1月26日大阪国際女子マラソンを初マラソンの舞台とする。この時、小出は各種メディアに「有森二世」とイチオシの選手として紹介していた。しかし中間点を過ぎた後、先頭争いから脱落してペースダウンとなり、初マラソンは2時間31分32秒の記録で7位に終わる。

1997年4月、小出がリクルートを離れ積水化学へと移籍する。これにともないチームメンバーとともに積水化学へと移籍することになった。

積水化学時代

1997年8月の世界陸上選手権アテネ大会の女子5000mの代表に選出され出場。予選レースを通過するも、決勝レースの順位は13位だった。また、この世界陸上選手権アテネ大会で、高橋が練習パートナーを務めていた先輩の鈴木博美が女子マラソンで優勝した。 これを沿道で応援していた高橋は鈴木の優勝を喜び感激する。この大会を契機として本格的にマラソンランナーへの道を歩んでいくことになる。

1998年3月8日名古屋国際女子マラソンでは、30km地点まではスローペースの先頭集団に目立たない位置でついていた。その後30kmを過ぎてから、小出の「ここからいけ!」の合図に猛烈なスパートを開始。30〜40kmを32分27秒、残り2.195kmを7分10秒で走り、当時の日本最高記録となる2時間25分48秒でマラソン初優勝を果たした。

1998年5月のIAAFグランプリ大阪大会の女子5000mで優勝。IAAF国際グランプリシリーズでの優勝は日本女子選手では初めてのことであった。

1998年12月6日バンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す高温多湿のレースとなった。スタート直後から一人、飛び出した高橋は、5kmラップを16分台のスプリットで刻むハイペースで突っ走り、中間点を1時間9分15秒[注 3] で通過。30kmまでは世界記録を更新するペースで進んでいた。30km以降は17分台のスプリットに落ちたものの、独走状態で2位とは13分以上の差をつけ、ゴール時気温32度、湿度90%の最悪な条件のなか、2時間21分47秒のアジア最高記録(当時)で優勝[4]。自身の持つ日本最高記録を4分以上も更新して世界最高記録(当時)まで1分というところまで縮めた。また、女子マラソンはアジア大会で初めての開催種目だったので、その後の日本選手の士気を高めて金メダルを量産する原動力となった(当大会で男子100mの日本記録を更新した伊東浩司はそのように取材で述べていた)。そして、高橋は一躍2000年シドニーオリンピック女子マラソンの金メダル最有力候補として、世界から注目を集めることとなる。

1999年8月29日セビリア世界陸上の女子マラソン代表に選ばれていたが、レース直前に左膝を痛めたため欠場。その後も10月に左腕を骨折したり、翌2月には食あたりによる腹痛を起こして入院するなどアクシデントが続いた。

2000年3月12日、五輪最終選考会となった名古屋国際女子マラソンに出場。体調は万全では無かった。前半1時間12分40秒とやや遅いペースで中間点を通過すると、まもなくして22.5km過ぎで先頭集団から自ら抜け出して一気にペースアップ、後半1時間9分39秒[注 4] で駆け抜け、2時間22分19秒の大会新記録で2年ぶり2度目の優勝。これにより、シドニー五輪代表の座を獲得している。

2000年7月2日、シドニー五輪女子マラソンへ向けて調整の一環として札幌国際ハーフマラソンに出場、女子の部において1時間9分10秒で優勝した(同ハーフマラソンでは、のちに2004年8月のアテネオリンピック女子マラソン金メダリスト・2005年9月のベルリンマラソンで日本女子新記録達成の野口みずきも出走、1時間10分36秒の3位に入っている)。

五輪優勝・世界記録達成

2000年9月24日のシドニー五輪女子マラソンでは、18km付近で先頭集団を抜け出しスパート、一気に集団がばらける。その後26km辺りからリディア・シモン(ルーマニア)と激しくデッドヒートを演じるが、34km過ぎでかけていたサングラスを沿道の父親に投げ飛ばしたと同時に、スパートをかけてシモンを突き放した。スタジアムのトラックでシモンに追い上げを受けるも、そのまま逃げ切り優勝のゴールテープを切った。高橋の18kmから常にレースを引っ張る走りは、ゴール後の笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。五輪での金メダル獲得は、日本陸上界64年ぶり(戦後初)であるとともに、日本女子陸上界においては史上初であった[注 5]。またゴールタイムの2時間23分14秒は、ジョーン・ベノイトロサンゼルス五輪でマークしたタイムを16年ぶりに更新する五輪最高記録(当時)である。これらの功績により同年10月30日国民栄誉賞を授与された。

2001年9月30日のベルリンマラソンでは、女子初の2時間20分突破となる2時間19分46秒の世界最高記録(当時)で優勝。前世界記録保持者はテグラ・ロルーペ(ケニア)の2時間20分43秒で、1分近くの更新であった。高橋の世界記録樹立での優勝は、女子初のサブ20達成での歴史的事象であるとともに、日本女子マラソンが初めて世界記録を更新した瞬間でもあった。高橋は女子マラソン世界記録を更新した、ただ一人の日本人選手である。また、女子マラソン世界記録保持者が五輪金メダルを獲得した選手としてはアメリカのジョーン・ベノイトのみいるが、五輪金メダリストとして女子マラソンの世界記録を更新した選手は高橋のみである。

2002年9月29日のベルリンマラソンにも出場。このレースは通常より1ヵ月間短いマラソン練習で臨み、レース途中に足の肉刺を潰すアクシデントもあったが、2時間21分49秒の記録で2年連続優勝を果たし、フルマラソン6連勝を達成した。この試みはベルリン出走からわずか1か月半後の2002年11月17日東京国際女子マラソンへの出場も睨んでいたためであった。しかし、東京のレース数日前に胸の激痛が引かないため診断した結果、肋骨疲労骨折を起こしていることが判明し欠場。このため、連覇を狙う五輪代表最短切符になる2003年パリ世界陸上は断念することになった。

2002年12月に小出が積水化学を退社。今までと同じ小出指導体制を継続するには諸々の事情で退社するしかなく、2003年2月に積水化学を退社することになった。

スカイネットアジア航空(佐倉アスリート倶楽部)時代

2003年6月、スカイネットアジア航空2005年5月までの2年間の所属契約を結んだ。佐倉アスリート倶楽部で引き続き小出の指導を受ける。

2003年11月16日の東京国際女子マラソンで、翌2004年8月のアテネオリンピック・女子マラソン日本代表選出を目指して出走。この時期の平均気温より約10度高い、季節はずれの気温24〜25度の高温と風速3〜6mの風の舞う中、スタート直後から高橋自らが飛び出しハイペースでレースを展開、中間点を過ぎてからスパート、独走状態となり完全に勝負はついたと思われたが、30km手前からスタミナ切れを起こしたのか急激に失速する。39km地点でエルフェネッシュ・アレム(エチオピア)に抜かれて、日本人トップの座は死守したもののゴールタイムは2時間27分21秒で2位。6年10ヶ月ぶりに敗れ、マラソンの連勝記録も6でストップとなった。

その後、代表選考は選考基準が不明瞭であるため難航することになる。代表は2004年3月15日、午後3時に正式発表。テレビでは午後2時に高橋落選を速報テロップで流し、ある新聞の夕刊の一面では「Qちゃん五輪代表へ」と結果的に誤報を伝えたほど混迷していた。選考はコース・気象条件なども異なる東京・大阪・名古屋の3レースの上位選手から2名を選ばなければならず(3名枠のうち、前年8月の世界陸上選手権で2位になった野口みずきは内定済)、結局高橋は優勝できなかったこと、ゴールタイムやレース内容も悪かったことなどの理由で落選(日本陸連が選出した他選手は土佐礼子・坂本直子。補欠千葉真子)。五輪連覇の夢は潰えた。しかし、高橋はシドニー五輪以降も世界記録を樹立するなど、毎年高いレベルの記録で優勝している実績があり、この結果は賛否両論で大きな騒動となった。NHKや民放各局は高橋と小出監督の会見を生放送で伝え、翌日の一般紙・スポーツ紙の各新聞社は高橋落選を一面トップで伝えた。

2004年5月に秋のマラソンで自己記録更新を目指しアメリカ・ボルダーに合宿のため渡米したが、6月の練習中に転倒して胸を強打する。その後も度重なる怪我により秋のマラソン出場は断念。さらに同年10月には練習中に足首を捻り右足首を骨折した。

2005年5月9日、小出監督指導体制から独立することを発表。高橋と小出が二人揃っての記者会見を行なった。高橋はこのとき33歳であった。

ファイテン(チームQ)〜現役引退

2005年6月、ファイテン2009年5月までの4年間の所属契約を結んだ。なお同社陸上部とは別に「チームQ」として活動。

2005年11月20日、東京国際女子マラソンに出場。アメリカ・ボルダーから帰国後、ポイント練習で右足に痛みがはしり一時全く走れない状態になったため、順天堂大学で診断した結果、軽い肉離れが3か所あることが判明し全治1か月の診断が下された。医師やチームのメンバーは欠場を検討したが、高橋は何が何でも出場すると主張し、医師とチームのメンバーは痛みが悪化したらすぐ棄権するのを条件に出場を決断した。当日はテーピングをしての出走となり、終盤35km過ぎまでは様子をみながら自重していたが、35.7km過ぎにスパート、2年前まさかの失速で優勝をさらわれたエルフェネッシュ・アレムなどを置き去りにして独走となり2時間24分39秒でゴール。2年ぶりのマラソン復帰レースを優勝で飾った。

2006年11月19日、2年連続で東京国際女子マラソンに出場。31km付近で優勝した土佐礼子から遅れ、39km地点では尾崎朱美にもかわされ3位でのゴールとなり、翌2007年8月開催の世界陸上大阪大会女子マラソン日本代表選出は絶望的に。

2008年3月9日の名古屋国際女子マラソンへ、2008年北京オリンピック女子マラソン代表選出を目指して出場。しかしレース序盤の9Km手前で、早々スローペースの先頭集団から脱落してしまい結局27位、ゴールタイムも2時間44分台の自己ワーストの記録となり、北京五輪代表の座を逃した。尚、名古屋のゴール後記者会見では「やっちゃいました。でもこれが私の実力です」と苦笑しながらも、前2007年の8月1日アメリカのボルダーで、右関節の半月板を半分切除する内視鏡手術を受けた事を明かしていた。

2008年3月24日に東京、大阪、名古屋の国内3大国際女子マラソンに連続で出場する意向を表明して、同年5月にアメリカ・ボルダーに合宿のため渡米。小さな大会ながらも優勝をかさねていて合宿は順調との報道もされていた[5]。しかし、練習を積み重ねていく中で、それまでと違い大きな大会で優勝を狙う練習メニューがこなせなくなり、プロ高橋の走りができなくなったことなどを大きな理由として、2008年10月28日夕方の記者会見で現役からの引退を表明[6]。各テレビ局は引退会見を生放送で伝えた。1時間近くにわたる引退会見での高橋は終始笑顔を見せていたが、会見の終了直後に報道陣から大きな拍手が送られると、目に涙を浮かべていた。

2009年3月8日の名古屋国際女子マラソンに、これまで応援してくれたファンや関係者に感謝する意味を込めて「ありがとうラン」として一般参加で出場。沿道の観客に笑顔を浮かべ手を振りながら走り続け、2時間52分23秒のタイムで完走した。ゴール後、かつてのライバルだったリディア・シモンが近づいてきて抱擁しあい、日本の現役選手からは花束を贈られ、長年の功績へのねぎらいを受けた。また大会組織委員会からは特別功労者表彰され感謝状が贈られた。

引退後の活動

日本陸上競技連盟常務理事[7][8]スポーツキャスター、マラソン解説者。中日新聞社客員。大阪学院大学特任教授。JICAオフィシャルサポーター[9]。観光庁ランナーズインフォメーション研究所所長[10]

各地で陸上教室の開催やジョガーとしてマラソン大会に参加、web上でもランニングスクールの講師を務めている。また、2010年春から北海道伊達市(旧・大滝村)で、のぐち北湯沢ファーム内にある「Qちゃんファーム」で野菜作りにも取り組んでいる。

また、「子どもたちに笑顔のシューズを贈ろう」を合言葉に、子どもたちのサイズに合わなくなった中古のシューズを集めて、裸足や裸足に近い状態での生活を余儀なくされている途上国の子どもたちに寄贈して、寄贈した日本の子どもたちには「ひまわりの種」が途上国の子どもたちから贈られるというプロジェクト、「スマイル・アフリカ・プロジェクト」の趣旨に賛同してフロントランナーとして参加している。

2019年3月1日、スターツコーポレーションとスポンサー契約締結と共に、同社陸上競技部アドバイザー就任を発表[11]。2022年6月、同社の社外取締役に就任[12]

2023年6月23日、スズキの社外取締役に就任[13]

恩師・小出義雄監督が病逝

2019年4月24日、リクルート・積水所属時代に監督として指導を受け続けた恩師・小出義雄が、肺炎により80歳で逝去[14][15][16]

翌日の4月25日、小出監督の弔問に訪れた高橋は「今までの御礼と一緒に歩んできた思い出をお話をさせて頂きました。弱かった私を育てて下さり、オリンピックで金メダルを獲れたのも、世界記録を出させて頂いたのも小出監督のおかげ。1つ1つを振り返りながら、監督とお話をさせてもらいました」と終始憔悴しきった表情で泣きながらコメント。亡くなる1か月前の2019年3月下旬に小出が入院後、高橋自ら小出宛へ何通も手紙を送っていたが、その頃高橋が米国滞在中に小出から直接電話が入り、「俺はもう1日2日しか持たないよ」と言われたという。高橋は「聞いた当初は冗談だと思いつつ驚きました。『監督、一体何を言ってるんですか!?』と返したんです」と振り返り、そして小出は「『今迄一杯走ってきてくれてありがとう。夢を叶えさせてくれて有難うな』と言われました」と偲びつつ、それから高橋は日本へ緊急帰国後、数回小出の入院先へ見舞いに行ったことを明かしていた[17]

それから4日後の4月29日、小出の葬儀・告別式に高橋も参列し「監督が入院をされてから、最後に貴重なお時間をお見舞いに何度も行かせて戴いた事を、許して下さったご家族の皆さんに感謝の思いと、最後にこうやって自分で監督に手紙を読ませていただく機会を頂いた事に感謝を申し上げます。監督、今まで有り難う御座いました!」と涙を流しながら弔辞を読んでいた[18]

エピソード

小倉智昭と(2022年10月、当別スウェーデンマラソンにて)
  • 現役時代はピッチ走法のお手本と言える選手で、頭がほとんど上下にぶれず、リズミカルに足が出る走り方が特徴的であった。
  • シドニーオリンピック前に、アメリカ・ボルダーで超高地3500m地点でのトレーニングを行なった。標高3500m地点でのトレーニングは危険ではないかと一部専門家などの指摘もあったが、高橋と監督の小出は自分たちの信念でトレーニングを敢行した。
  • 2000年7月の札幌国際ハーフマラソンにシドニーオリンピックの調整レースとして出場。小出は調整段階での出場に難色を示していたが、高橋がどうしても出場したいと直訴したため、急遽アメリカ・ボルダーから帰国して参加。スタート直後の陸上競技場内であわや転倒しかけるも、すぐ側に居たランナーの両腕にしがみつき、難を免れる場面があった。当時のハーフマラソン世界記録保持者(1時間6分44秒)エレナ・マイヤーを破り優勝し、その後のシドニー五輪金メダル獲得へと繋げていく。また同ハーフマラソン3位で、のちに2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストとなる野口みずきとは、公式レースでは最初で最後の対決となった。
  • 2001年2月、Qちゃんフィーバーは収まらずイベント・表彰などが続き練習不足のなか、また週刊誌などによるいわれのない中傷記事(太りすぎでもう走れないなど)も続くなか、青梅マラソンに出場。30kmレースの日本最高記録(当時)を更新して優勝した。
  • 高橋は2001年秋のベルリンマラソンで世界記録を出したが、その次の週のシカゴマラソンにも出場することを決意していたという。しかし、2週連続フルマラソン出場という挑戦プランを聴いた日本陸連が、出場にストップをかけた。
  • 2002年に出演したNHKの『トップランナー』で、自身のベストレースとして1998年バンコク・アジア大会のレースを挙げた。
  • 2000年9月24日シドニーオリンピック女子マラソン中継は日本時間、早朝6時45分スタートで9時過ぎにはゴールとなったが、テレビ視聴率は平均視聴率40.6%、瞬間最高視聴率59.5%を記録した。この視聴率は女子マラソン史上最高視聴率となっている。また2001年9月30日ベルリンマラソン中継は日本時間、夕方4時スタートで6時20分にはゴールとなったが、テレビ視聴率は平均視聴率36.4%、瞬間最高視聴率53.5%を記録した。この視聴率はオリンピック中継以外では女子マラソン史上最高視聴率となっている。女子マラソン中継全体ではシドニーオリンピック、1996年アトランタオリンピックに次ぐ高視聴率となっている。(数字はいずれもビデオリサーチ調べ 関東地区)。
  • 2000年プロ野球、巨人長嶋茂雄監督・ダイエー(当時)王貞治監督が激突したON対決の日本シリーズ第1戦の東京ドームで始球式を務めた。なお、この年巨人がセ・リーグ優勝を決定したのは、奇しくも高橋がシドニーオリンピック女子マラソンを走ったのと同じ9月24日であった。
  • 出身高校である県立岐阜商業高校の同級生には元プロ野球選手和田一浩中日)がいる。ただ、高橋と和田は高校時代は互いに顔と名前は知っていたものの会話した事は一度もなかったという。同高では高橋と和田一浩、さらに同高の先輩に当たる高木守道の3人をまとめて“ビッグ3”と呼んでいる。2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われた。
  • 2008年6月21日エバンス山登山レースに出場。18年ぶりに大会記録を更新して優勝した。エバンス山登山レースとは標高3231mのエコー湖をスタートし、ゴールは標高4348mの山頂で高低差1117m。14.5マイル(約23.3キロ)のコースはひたすら上りというコースでアメリカで最も標高の高い場所で行われるレースである。
  • 2015年3月11日、同年8月開催の世界陸上北京大会女子マラソンの選考において日本陸連は、男女を通じて唯一の優勝者だった、2014年11月の横浜国際女子マラソン覇者の田中智美を落選、2015年1月の大阪国際女子マラソンで田中より18秒の僅差で先着の2位(当初3位から繰り上げ)だった重友梨佐を選出。それに関して、日本陸連の理事を務める高橋は「私は一切承認していない。田中さんの方が有利だと訴えたが、他には誰も同意して貰えず、ただ『強い選手を選んだ』だけの一点張り。重友さんが結果を残せば良いが、今のままでは選手達が可哀想」と憤慨しつつ、陸連理事の即退任も考える程だった、と語っている[19][20]
  • 2016年3月13日、名古屋ウィメンズマラソン(2016年リオデジャネイロオリンピック女子マラソン選考会)ではゲスト解説者として担当。2時間33分台の23位でやっと完走した野口みずきと対面し、高橋は涙声で「よく最後まで行ったね」と称えながら抱擁。その直後野口から「私高橋さんに言いたい事が有るんです。今迄選手の時は言えなかったんですけど、私ずっと高橋さんが憧れの存在でした。(アテネ)オリンピックで金メダル獲れたのも、(ベルリン)マラソンで日本記録出せたのも、全て高橋さんのお陰です…」と泣きながら打ち明けられたという。それから1か月後の同年4月15日、現役引退を発表した野口みずきに対して高橋は「引退お疲れ様でした。常に全力で走り続ける姿は、多くの人達に刺激や感動を与えてくれました。長い間マラソン界を率いてくれて有難う。みずきちゃんの今後の人生も金メダル同様輝く事を願っています」とエールを贈った[21]。また同年5月には、高橋の地元・岐阜市長良川沿いのホテルにて、引退後の野口と対談を行っている[22]

マラソン全戦績

年月 大会 順位 記録 備考
1997年1月 大阪国際女子マラソン 7位 2時間31分32秒 初マラソン
1998年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間25分48秒 日本最高記録(当時)
1998年12月 バンコク・アジア大会 優勝 2時間21分47秒 アジア最高記録(世界歴代5位・当時)・大会最高記録
1999年8月 世界陸上競技選手権セビリア大会 DNS 記録なし 脚部故障により欠場
2000年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間22分19秒 大会記録
2000年9月 シドニーオリンピック 優勝 2時間23分14秒 金メダル獲得・五輪最高記録(当時)
2001年9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間19分46秒 世界最高記録(当時)
2002年9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間21分49秒 マラソン6連覇(欠場除く)
2003年11月 東京国際女子マラソン 2位 2時間27分21秒
2005年11月 東京国際女子マラソン 優勝 2時間24分39秒
2006年11月 東京国際女子マラソン 3位 2時間31分22秒
2008年3月 名古屋国際女子マラソン 27位 2時間44分18秒 公式上現役最後のレース

高橋尚子のマラソン世界記録

5km 10km 15km 20km ハーフ 25km 30km 35km 40km ゴール
タイム 16:46 33:11 49:32 1:06:12 1:09:49 1:22:29 1:39:05 1:55:30 2:12:11 2:19:46
スプリット 16:46 16:25 16:21 16:40 16:17 16:36 16:25 16:41 7:35

座右の銘

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」[注 6]

記念ロード・記念大会

記念ロード

長良川の河川敷に整備された高橋尚子ロード。奥に見える橋が起点となる長良橋
高橋尚子ロードにある靴と足型のモニュメント(岐阜市

記念大会

その他

  • シドニー五輪女子マラソン優勝後のインタビューでは、満面の笑みを交えながら「すごく楽しい、42キロでした」と語っていた。
  • シドニーオリンピック閉会式で日本選手団の旗手を務めた。
  • スイスローザンヌにあるオリンピック博物館IOCからの要請で寄贈したシドニーオリンピックで使われたシューズのレプリカが展示されている(オリンピック博物館に展示は日本人初)。
  • シドニー五輪後、金メダル効果で、日本のランナーの人口が約200万人増えたといわれている。
  • 愛称の「Qちゃん」は、リクルート陸上部の新入部員歓迎会においてアルミホイルを使ったボディコン風の衣装を着て[要出典]オバケのQ太郎』の歌を歌い盛り上がったことに由来するものである[23]。また、このパーティーの際に、オバケのQ太郎の仮装をしていたという話もある。
  • ベルリンマラソンなどで海外でも有名になった頃に海外メディアに『スシターボ』なる奇妙な愛称を付けられたこともあった。
  • 大学時代、グラウンドでの練習後、ほとんど毎日のように大学のジムで夜8時の終了時間までトレーニングしていたことから『ハチコさん』なる愛称を付けられたこともあった。
  • 2003年タイトーPlayStation 2 マラソン育成シミュレーションゲーム小出義雄監修 「高橋尚子のマラソンしようよ!」が発売される。
  • 母のはとこにノーベル化学賞を受賞した白川英樹がいる。
  • モーニング娘。吉澤ひとみとは遠い親戚[24]
  • 2006年11月1日母校、大阪学院大学の特任教授に就任した。
  • 2015年10月1日発売の青年海外協力隊50周年イメージソング「ひとりひとつ」に参加した[25]
  • 趣味の一つにパチンコがあり、本人曰く「月に何回か」楽しんでいるという。2016年には女性週刊誌にて「パチンコ依存症では?」と取り上げられたこともある[26]

出演

テレビ

ラジオ

Web

CM

 

ゲーム

  • 高橋尚子のマラソンしようよ!(PlayStation 2用ソフト、タイトー、2003年11月13日発売) 全面協力

著書

  • 『風になった日』 (幻冬舎、2001/1、ISBN 978-4344000483)
  • 『夢はかなう』(幻冬舎、2004/7、『風になった日』の文庫本版、ISBN 978-4344405387)
  • 『教えてQちゃん! メタボだってマラソン完走!』 (穐田文雄(共著)、阪急コミュニケーションズ、2010/1、ISBN 978-4484102047)
  • 『高橋尚子のランニングパーフェクトマスター Qちゃんと一緒にハッピーランニング!(スポーツ・ステップアップDVDシリーズ)』 (新星出版社、2010/2、本人実演解説付、ISBN 978-4405086531)
  • 『シューズとアフリカと500日』 (スマイルアフリカプロジェクト(共著)、木楽舎、2010/10、ISBN 978-4863240315)
  • 『笑顔で生きる魔法の言葉』 (角川書店、2012/4、ISBN 978-4048850681)

関連書籍

  • 『君ならできる』 (小出義雄(著)、幻冬舎、2000/9、ISBN 978-4344000223)
  • 『高橋尚子 金メダルへの絆』 (小出義雄(著)、日本文芸社、2000/10、ISBN 978-4537250152)
  • 『激走!高橋尚子 シドニーを駆け抜けた青春』 (増田明美(編集)、早稲田出版、2000/10、ISBN 978-4898272121)
  • 『食べて、走って、金メダル! 快挙を生んだゴールド・メニュー』 (金子ひろみ(著)、マガジンハウス、2000/12、シドニー五輪・専属栄養士が明かす、Qちゃんのヘルシー&スタミナ食、ISBN 978-4838712687)
  • 『駆け引き 高橋尚子とリディア・シモン』 (黒井克行(著)、新潮社、2001/9、ISBN 978-4104489015)
  • 『風娘(かぜっこ) 高橋尚子 世界記録への挑戦(ヤングサンデーコミックス)』(武村勇治(著)、石井信(取材・原案協力)、小学館、2001/9、2001年ベルリンマラソンでの世界最高記録への挑戦を同時進行で週刊ヤングサンデーに連載していたもの、ISBN 978-4091526410)
  • 『Qちゃん金メダルをありがとう』 (小出義雄(著)、扶桑社、2001/10、ISBN 978-4594032944)
  • 『高橋尚子 走る、かがやく、風になる(シリーズ・素顔の勇者たち)』 (早野美智代(著)、旺文社、2002/3、ISBN 978-4010725009)
  • 『Dream Chaser 高橋尚子の挑戦』 (Sarah Brock(著)、奈良勝行(編著)、三友社、2002/9、英語の副読本、アメリカ人教師の手による英文、ISBN 978-4883222575)
  • 『努力の天才 高橋尚子の基礎トレーニング』 (山内武(著)、出版芸術社、2002/10、ISBN 978-4882932253)
  • 『高橋尚子のマラソンしようよ!パーフェクトガイド (The PlayStation2 BOOKS)』(キュービスト(編集)、エンタテインメント書籍編集部(編集)、ソフトバンククリエイティブ、2003/12、ISBN 978-4797325669)
  • 『君ならできる (幻冬舎文庫)』(小出義雄(著)、幻冬舎、2004/7、2000/9の版を文庫本化、ISBN 978-4344405370)
  • 『高橋尚子 失われた夏』 (黒井克行(著)、新潮社、2004/11、ISBN 978-4104489039)
  • 『スポーツのニューヒロイン〈4〉高橋尚子物語』 (本郷陽二(編集)、汐文社、2006/3、ISBN 978-4811380278)
  • 『高橋尚子 夢はきっとかなう』 (黒井克行(著)、学習研究社、2006/6、ISBN 978-4052025501)
  • 『高橋尚子 勝利への疾走 (講談社プラスアルファ文庫)』(黒井克行(著)、講談社、2006/9、ISBN 978-4062810388)
  • 『高橋尚子 夢に乗って走る (講談社火の鳥人物文庫)』(増島みどり(著)、講談社、2008/4、ISBN 978-4062712095)
  • 『高橋尚子 ジョギングコースガイド』 (S☆1製作スタッフ、幻冬舎、2011/7、ISBN 978-4344020207)

受賞

その他、各種受賞多数

脚注

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注釈

  1. ^ 日本女子陸上選手初のオリンピック金メダリスト
  2. ^ 史上初めて女子で2時間20分を突破して世界記録樹立
  3. ^ マラソンの中間点まで1時間9分15秒は日本女子選手最速タイム
  4. ^ マラソンの中間点からの1時間9分39秒は日本女子選手最速タイム
  5. ^ なお、7位は山口衛里、15位は市橋有里であった。また、1992年から3年間仙台育英高校で全国高校女子駅伝の1区を走ったエスタ・ワンジロがケニア代表として出場し4位であった。
  6. ^ 山梨学院大学陸上部監督上田誠仁が部員に語っていた言葉。高校時代の陸上部監督 中澤正仁は山梨学院大学で駅伝メンバーとして活躍。在学中に聞いたこの言葉を、県立岐阜商業の陸上部員達に語り継いだ。
  7. ^ 2000年4月28日 - 鹿児島県徳之島の周回道路が「尚子ロード」と名付けられる。コースは島の北部で天城町と徳之島町にまたがる1周31km。石碑もあり高橋尚子の写真とコース図などが刻み込まれている。
  8. ^ 2001年6月3日 - 岐阜県岐阜市長良川右岸に、ランニングコース「高橋尚子ロード」完成。
  9. ^ 標高約1800mの場所に「飛騨御嶽尚子ボルダーロード」の石碑があり、高低差約200mの約7.6キロのコースである。
  10. ^ 「尚子コース」と「裕子コース」がある。
  11. ^ 小出監督の縁で金メダル獲得後に初めて参加した市民マラソンが花巻市。このとき使われた日居城野陸上競技場を周回する2キロのコースが名付けられた。

出典

  1. ^ 日本陸連について 団体情報 役員 2021年11月19日現在 2022年3月27日閲覧。
  2. ^ a b “コメントで振り返る高橋尚子のあゆみ - スポーツニュース”. 日刊スポーツ. 2022年5月8日閲覧。
  3. ^ “「人物ルポ 高橋尚子の父として 地域の教育者として」など|株式会社ジェイ・キャスト”. ジェイ・キャスト. 2022年5月8日閲覧。
  4. ^ “第13回アジア大会 初日”. 朝日新聞 (1998年12月6日). 2020年3月2日閲覧。
  5. ^ 尚子、米国で極秘3連勝していた - ニッカン
  6. ^ 現役引退を正式発表「陸上人生に悔いなし」引退記者会見要旨[リンク切れ]
  7. ^ 日本陸連について 団体情報 役員 2021年11月19日現在 2022年4月5日閲覧。
  8. ^ 高橋尚子さん、理事会初出席で「経験役立てる」 スポーツ報知 2013年6月5日閲覧
  9. ^ http://www.jica.go.jp/topics/2011/20110912_01.html
  10. ^ [1] 産経BIZ Qちゃん所長に「道」の研究所 観光庁が開設 2011年11月4日
  11. ^ “高橋尚子さん、スターツ陸上競技部のアドバイザーに就任”. サンケイスポーツ. (2019年3月1日). https://www.sanspo.com/article/20190301-D7F2MOVW35JX7HKWCBYEJ3V3RQ/ 2019年3月18日閲覧。 
  12. ^ “人事、スターツコーポレーション”. 日本経済新聞 (2022年5月10日). 2022年6月27日閲覧。
  13. ^ 静岡新聞社. “スズキ株主総会 高橋尚子さんを社外取締役に選任|あなたの静岡新聞”. www.at-s.com. 2023年6月27日閲覧。
  14. ^ [2] 日刊スポーツ 2019年4月24日記載
  15. ^ 退路を断ち、小出監督にすがった若き頃の選択|高橋尚子 #30UNDER30 Forbes Japan 2019年7月24日記載
  16. ^ 高橋尚子、シドニー金の舞台裏。小出監督の戦略と父に投げたサングラス。Sporttiva Web 2019年10月2日記載
  17. ^ 高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話 日刊スポーツ 2019年4月25日記載
  18. ^ 高橋尚子さん涙の弔辞全文「監督は永遠」小出氏葬儀 日刊スポーツ 2019年4月29日記載
  19. ^ 高橋尚子理事も憤慨する陸連の「マラソン代表選考の内情」(東スポWeb・2015年3月22日記事)
  20. ^ 世界陸上閉幕でも注目される高橋尚子VS陸連「女子マラソン選考確執」!(アサ芸プラス・2017年8月14日記事)
  21. ^ 高橋尚子さん、野口みずきにエール(デイリースポーツ・2016年4月15日記事)
  22. ^ 高橋尚子と野口みずきが初対談。スクープ企画の舞台裏と動画公開!(Number Web・2016年6月3日記事)
  23. ^ 2011年12月3日放送内にて本人が発言(TVでた蔵)、高橋尚子略歴、「Qちゃん」の由来は? - スポーツニュース : nikkansports.com:
  24. ^ 関口賢 (2010年6月16日). “元モーニング娘。の吉澤ひとみが“遠い親戚”高橋尚子とマラソン挑戦”. RBB TODAY (イード). https://www.rbbtoday.com/article/2010/06/16/68452.html 2015年12月14日閲覧。 
  25. ^ “青年海外協力隊50周年ソングを川嶋あい、乙武洋匡、倉木麻衣、宮沢和史ら16組歌う”. 音楽ナタリー (2015年10月1日). 2015年10月1日閲覧。
  26. ^ 高橋尚子 驚愕のパチンコ11時間【女性自身平成スクープ】 - 女性自身・2019年4月30日
  27. ^ “TBS五輪テーマにSMAP“感謝”の名曲、中居正広が7大会連続メインキャスター”. 音楽ナタリー. (2016年7月7日). https://natalie.mu/music/news/193669 2016年7月7日閲覧。 

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、高橋尚子に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

  • 高橋尚子 (@TakahashiNaoko) - X(旧Twitter)
  • 高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン
  • スマイル アフリカ プロジェクト
  • マラソン代表選考(2004年アテネ大会)高橋尚子がまさかの失速、因縁の名古屋で土佐が笑顔
  • 高橋尚子と野口みずきが初対談。スクープ企画の舞台裏と動画公開!(Number Web)
  • 高橋尚子 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • 高橋尚子 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
  • 高橋尚子 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
  • 日本オリンピック委員会 - 高橋尚子
 
業績
陸上競技アジア競技大会金メダリスト – 女子マラソン
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 20 一山麻緒
  • 21 松田瑞生
  • 22 ケニアの旗 ルース・チェプンゲティッチ(英語版)
  • 23 ケニアの旗 ルース・チェプンゲティッチ(英語版)
1983年までは20km、2011年までは名古屋国際女子マラソン、国は当時
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2010年代
  • 20
※2008年までは東京国際女子、09~14年は横浜国際女子、15~19年はさいたま国際
日本の旗日本陸上競技選手権大会 女子マラソン優勝者
1980年代
  • 89 ソビエト連邦の旗リュボフ・クロチコ(英語版)
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • *は大会記録
1980年代
  • 82 柏木千恵美(関西実業団)
  • 83 北野昌世(旭化成)
  • 84 熊野千景(京セラ)*
  • 85 石田潔美(京セラA)*
  • 86 井上ひとみ(三田工業)*
  • 87 金刺貴子(三田工業)
  • 88 石倉あゆみ(京セラ)*
  • 89 有森裕子(リクルート)*
1990年代
  • 90 松本初美(ワコール)*
  • 91 志水見千子(リクルート)
  • 92 王秀婷 (東海銀行)
  • 93 川崎麻衣子(天満屋)
  • 94 片岡純子(富士銀行)*
  • 95 岡本幸子(沖電気宮崎)*
  • 96 川上優子(沖電気宮崎)*
  • 97 エスタ・ワンジロ(日立)
  • 98 高橋尚子(積水化学)
  • 99 川上優子(沖電気宮崎)
2000年代
2010年代
2020年代
  • *は区間新、**は現行区間記録
  • 1区
  • 2区
  • 3区
  • 4区
  • 5区
  • 6区
全国女子駅伝9区区間賞
1980年代
  • 83 金子るみ子(東京・順天高)
  • 84 佐々木七恵(岩手・ヱスビー食品)*
  • 85 田崎裕子(鹿児島・京セラ)
  • 86 小林良子(和歌山・住金化工)
  • 87 荒木久美(鹿児島・京セラ)
  • 88 松野明美(熊本・ニコニコドー)
  • 89 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)*
1990年代
  • 90 松野明美(熊本・ニコニコドー)
  • 91 真木和(京都・ワコール)
  • 92 鈴木博美(千葉・リクルート)
  • 93 麓みどり(広島・ダイイチ)
  • 94 朝比奈三代子(宮崎・旭化成)
  • 95 木村泰子(石川・京都産業大)
  • 96 真木和(京都・ワコール)
  • 97 川上優子(熊本・沖電気宮崎)*
  • 98 大南博美(愛知・東海銀行), 高橋尚子(岐阜・積水化学)
  • 99 川島亜希子(愛知・東海銀行)
2000年代
2010年代
2020年代
  • *は区間新、**は区間記録
  • 1区
  • 2区
  • 3区
  • 4区
  • 5区
  • 6区
  • 7区
  • 8区
  • 9区
関連項目:内閣総理大臣顕彰 - 勲章 (日本) - 褒章 - 賞杯 - 賜杯 - 位階
個人
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
  • 2000年(平成12年):高橋尚子
  • 2009年(平成21年):遠藤実
  • 2009年(平成21年):森光子
  • 2009年(平成21年):森繁久彌
2010年代
2020年代
 
団体
2010年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
JOCスポーツ賞最優秀賞
1990年代

91: 荻原健司河野孝典三ヶ田礼一 • 92: 古賀稔彦 • 93: 浅利純子 •
94: 阿部雅司河野孝典荻原健司荻原次晴 • 95: 田村亮子 •
96: 恵本裕子 • 97: 該当者なし • 98: 船木和喜宮平秀治原田雅彦 • 99: 篠原信一

2000年代
2010年代
2020年代

20: 中止 • 21: 高木美帆 • 22: 橋本大輝 • 23: 北口榛花

10代
20代
30代
40代
50代
60代
以上
男性
特別
*は複数回の受賞。男性は1992年から、60代以上は97年から、10代は99年から対象
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
2022
大賞

中島瑞木(coly 代表取締役社長)
中島杏奈(coly 代表取締役副社長)

世界に希望を紡ぐ科学者賞

岩崎明子(米イェール大学医学部 免疫学教授)

理系の新・ロールモデル賞

平澤聡美(東洋合成工業 取締役・感光材事業部長)

思いやり経営賞

藤﨑忍ドムドムフードサービス 代表取締役社長)

子育てダイバーシティ賞

北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)

心の揺らぎサポート賞

櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)

途上国の自立支援に貢献賞

田口愛(Mpraeso合同会社 CEO)

循環型社会へのイノベーター賞

坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)

2021
大賞

端羽英子(ビザスク 代表取締役CEO)

受賞

米良はるかREADYFOR 代表取締役CEO)

受賞

尾形優子(メロディ・インターナショナル CEO)

受賞

村本理恵子(ピーステックラボ 代表取締役社長)

受賞

佐野環(キリンホールディングス執行役員、ヘルスサイエンス事業部長)

受賞

山野千枝(一般社団法人ベンチャー型事業承継 代表理事)

受賞

中村有沙(オアシススタイルウェア 代表取締役)

2020
大賞
準大賞

長嶋愛(日本放送協会 ディレクター)

受賞

石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)

受賞

片岡真実森美術館 副館長兼チーフ・キュレーター)

受賞

林有理(大阪府四條畷市 副市長

受賞

平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)

受賞

水越由利子(江崎グリコマーケティング本部 ベビー・育児マーケティング部 ブランドマネージャー)

特別賞

近藤麻理恵(片づけコンサルタント)

2019
大賞

中村朱美(minitts 代表取締役)

再出発サポート賞

川口加奈(NPO法人Homedoor 理事長)

新・事業承継モデル賞

丹後佳代(丹後 取締役)

世界の子供を守る賞
ブレイクドラマ制作賞

貴島彩理テレビ朝日総合編成局ドラマ制作部 プロデューサー)

イノベーティブ起業家賞

平野未来(シナモン CEO)

日本を伝えるメディア賞

末松弥奈子ジャパンタイムズ 代表取締役会長)

子育て支援サポート賞

高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)

特別賞

小平奈緒(スピードスケート選手)

2018
大賞

末延則子(ポーラ 執行役員)

人生100年時代のロールモデル賞

若宮正子(アプリ開発者)

働き方改革サポート賞

和田幸子(タスカジ 代表取締役)

超高齢化社会の希望賞

矢田明子(Community Nurse Company 代表取締役)

共感型プロモーション賞

和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)

「アストロウーマン」の道開拓賞

伊藤美樹(アストロスケール 代表取締役社長)

特別賞

中満泉国際連合 事務次長・軍縮担当上級代表)
伊達公子(元プロテニスプレーヤー)

2017
大賞

弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)

デザインものづくり賞

林千晶ロフトワーク 代表取締役)

「ドボジョ」キャリア開拓賞

大西陽子(大林組 海外支店ジャカルタ高架橋工事事務所所長)

食ビジネス革新賞

小林せかい(未来食堂 代表)

イノベーティブものづくり賞

小島由香(FOVE CEO)

子育て家庭応援ビジネス賞

馬場加奈子(サンクラッド 代表取締役)

チーム2017賞

秋山正子(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事・マギーズ東京センター長)
鈴木美穂(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事)

2016
大賞

須永珠代トラストバンク 代表取締役社長)

メガヒットメーカー賞

浅井茉莉子(文藝春秋 『文學界』編集部)

次世代ものづくり賞

中澤優子(UPQ CEO 代表取締役)

ベストマーケッター賞

藤原かおり(カルビー マーケティング本部 フルグラ事業部 事業部長)

未来をつくるサイエンティスト賞

髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)

情熱経営者賞

石坂典子(石坂産業 代表取締役)

チェンジメーカー賞

村木真紀(特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ 代表)

2015
大賞
準大賞〈リーダー部門〉

玉城絵美(H2L株式会社 チーフリサーチャー)

準大賞〈キャリアクリエイト部門〉

山上遊(LIXIL総合研究所 新事業創造部グローバル環境インフラ研究室 主幹)

入賞〈リーダー部門〉

堀田聰子(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究員)
森本咲子(ユー・エス・ジェイ マーケティング部プロダクト担当部長)

入賞〈キャリアクリエイト部門〉

大森智子(Go Go Curry USA, Inc. President & CEO)
御手洗瑞子(株式会社気仙沼ニッティング 代表取締役社長)

入賞〈ヒットメーカー部門〉

川村有里(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部 商品企画部 係長)
小林靖子(脚本家)
横手莉加(ライオン株式会社 ヘルス&ホームケア事業本部ビューティケア事業部)

2014
大賞<キャリアクリエイト部門>
準大賞<リーダー部門>

片田江舞子(株式会社東京大学エッジキャピタル パートナー)

準大賞<ヒットメーカー部門>

岩倉暢子日本放送協会 デザインセンター 映像デザイン部)

入賞<リーダー部門>

山田由佳(パナソニック 先端技術研究所 エコマテリアル研究グループ グループマネージャー)

入賞<ヒットメーカー部門>

川上登美子(資生堂 国際事業部 アジアパシフィック営業部)
藤代智春(ピップ 商品開発事業本部 マーケティング部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

坪内知佳(萩大島船団丸 代表)
田中知美(合同会社エッジ 代表 合同会社ドリームオン 代表)
吉田正子(東京海上日動火災保険株式会社 執行役員 旅行業営業部長)

2013
大賞<リーダー部門>

諏訪貴子ダイヤ精機 代表取締役)

準大賞<ヒットメーカー部門>

白井明子(ローソン 広告販促企画部 兼CRM推進部アシスタントマネジャー)

準大賞<リーダー部門>

坪内南(一般財団法人 教育支援グローバル基金 理事・事務局長)

リーダー部門入賞

阿部玲子(オリエンタルコンサルタンツ GC事業本部軌道交通部 部長)
関根近子(資生堂 執行役員 美容統括部長ビューティークリエーション担当、資生堂学園担当)

入賞<ヒットメーカー部門>

稲垣あゆみ(NHN Japan株式会社 ウェブサービス本部 UXデザイン室 UXチーム)
久米さやか(サントリー食品インターナショナル 食品事業本部 食品事業部 ブランド戦略部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

遠藤貴子(株式会社つ・い・つ・い 代表取締役)
櫻井千秋(大塚製薬 常務執行役員ニュートラシューティカルズ事業部コスメディクス事業部門担当リーダー)
鮫島弘子(andu amet (アンドゥ アメット) 代表取締役)

2012
大賞

石井美恵子(日本看護協会 看護研修学校 認定看護師教育課程 救急看護学科 主任教員)

準大賞

森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)

準大賞

瀬谷ルミ子(特定非営利活動法人 日本紛争予防センター 事務局長)

リーダー部門入賞

野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)

リーダー部門入賞

服部道江(大林組 新タワー建設工事事務所 副所長)

ヒットメーカー部門入賞

東文恵(アテックス 商品開発部 部長)

ヒットメーカー部門入賞

橋本芙美共同テレビジョン 制作センター第1制作部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門入賞

塚本良江(NTTコミュニケーションズ アプリケーション&コンテンツサービス部 マーケティングソリューション部門 部門長)

ヒットメーカー部門入賞

安田玲美(CRC世研有限公司 総経理)

特別賞
2011
大賞 1位

福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)

2位

大石亜紀子(スタートトゥデイ 取締役(想像戦略室・フルフィルメント本部担当))

3位

清水季子日本銀行 高松支店長)

4位

日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)

5位

屋代浩子(フォルシア 代表取締役社長・最高経営責任者)

6位

五十嵐麻子(飛鳥新社 出版部 第三編集)

7位

青木計世(キューデン・エコソル 常務取締役)

8位

長谷川歩(バンダイ ボーイズトイ事業部 ホビーチーム)

9位

熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)

10位

小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)

ヒットメーカー部門

二宮恭子(ポーラ 商品企画部 課長)
仁平知世(東宝 映像本部 映画企画部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門

白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役)
高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)

2010
大賞 1位<リーダー部門>

西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)

2位<リーダー部門>

小竹貴子(クックパッド 執行役)

3位<キャリアクリエイト部門>

清村千鶴(ファイザー 執行役員)

4位<リーダー部門>

関西佳子(水間鉄道 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

梶原奈美子(キリンビール マーケティング部 商品開発研究所 新商品開発グループ)

6位<キャリアクリエイト部門>

和崎揚子(日本郵船 経営委員)

7位<リーダー部門>

渡邊智恵子(株式会社アバンティ 代表取締役)

8位<ヒットメーカー部門>

呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)

9位<リーダー部門>

高橋泉(KSGグループ CEO)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)

今年の顔

福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)
湊かなえ(作家)

2009
大賞 1位<ヒットメーカー部門>

白井恵美(ユニクロ 執行役員 商品本部 ウィメンズMD部 部長)

2位<リーダー部門>

石黒不二代ネットイヤーグループ ネットイヤーグループ 代表取締役社長 兼 CEO)

3位<ヒットメーカー部門>

田渕久美子(脚本家)

4位<キャリアクリエイト部門>

神崎夕紀(キリンビール 栃木工場 醸造担当 部長)

5位<キャリアクリエイト部門>

須田久美子(鹿島建設 東京土木支店裏高尾JV工事事務所 副所長)

6位<ヒットメーカー部門>

岡田圭子(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

中橋恵美子(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部長)

8位<リーダ-部門>

相幸子(三菱UFJ信託銀行 フロンティア戦略企画部 環境室 室長)

9位<リーダー部門>

松浦真弓宇宙航空研究開発機構 JEM運用プロジェトチーム フライトディレクタ)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(ワニブックス書籍編集部 主任)

特別賞

上野由岐子2008年北京オリンピック ソフトボール日本代表)

話題賞

勝間和代(経済評論家)

2008
大賞 1位<リーダー部門>

野尻知里テルモ 執行役員 テルモハート社 社長)

2位<リーダー部門>

永谷亜矢子東京ガールズコレクション 実行委員会 チーフプロデューサー)

3位<リーダー部門>

松場登美(石見銀山生活文化研究所 取締役所長)

4位<キャリアクリエイト部門>

小島幸子(クメール アンコール フーズ 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)

6位<ヒットメーカー部門>

中園ミホ(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)

8位<リーダ-部門>

吉高まり(三菱UFJ証券 クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会 主任研究員)

9位<ヒットメーカー部門>

遠藤千咲(タカラトミー マーケティング統括本部 ニュープロダクトチーム)

10位<キャリアクリエイト部門>

橘田佳音利(フラジュテリー 代表取締役社長)

特別賞

菊地凛子(女優)

2007
大賞 1位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

2位<リーダー部門>

宮井真千子松下電器産業 クッキング機器ビジネスユニット長)

3位<リーダー部門>

中村利江夢の街創造委員会 代表取締役社長)

4位<キャリアクリエイト部門>

橋本真由美ブックオフコーポレーション 代表取締役社長兼COO)

5位<ヒットメーカー部門>

中川潤子シャープ 情報通信事業本部 通信融合端末事業部 第1商品企画部部長)

6位<リーダー部門>

大石佳能子(株式会社メディヴァ 代表取締役)

7位<キャリアクリエイト部門>

根本かおる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) ネパール・ダマク駐在事務所所長)

8位<リーダ-部門>

清岡久幸(株式会社タケックス・ラボ 代表取締役)

9位<ヒットメーカー部門>

鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)

10位<ヒットメーカー部門>

横井千香子(クレディセゾン 取締役クレジット本部副本部長)

特別賞

荒川静香(プロフィギュアスケーター)

2006
大賞 1位<リーダー部門>

木山啓子(インテグレックス NPO法人ジェン(JEN)理事・事務局長)

2位<キャリアクリエイト部門>

林文子ダイエー 代表取締役会長 兼 CEO)

3位<リーダー部門>

秋山咲恵(サキコーポレーション 代表取締役社長)

4位<ヒットメーカー部門>

郡司裕子(新潮社 出版部 文芸第二編集部副編集長)

5位<リーダー部門>
6位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

7位<リーダー部門>

秋池玲子産業再生機構 マネージングディレクター)

8位<リーダ-部門>

奥キヌ子( レキオファーマ 代表取締役社長)

9位<ヒットメーカー部門>

平岡利枝(三菱電機 冷蔵庫製造部冷蔵庫先行開発グループマネージャー)

10位<ヒットメーカー部門>

高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)

特別賞

宮里藍(プロゴルファー)

話題賞

中島美嘉(アーティスト)

2005
大賞 1位<リーダー部門>

秋山をね(インテグレックス 代表取締役)

2位<ヒットメーカー部門>

丸田智子国際メディア・コーポレーション 映像事業部 シニアマネージャー)

3位<リーダー部門>

水越洋子(ビッグイシュー日本版 編集長)

4位<リーダー部門>

岩宮陽子(飾一 代表取締役社長)

5位<リーダー部門>

内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)

6位<リーダー部門>

関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)

7位<リーダー部門>

坂東敬子(ワコール ワコールブランド事業本部 コンフォートプロデューサー)

8位<ヒットメーカー部門>

荒金久美(コーセー 商品開発部部長)

9位<ヒットメーカー部門>

齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)

10位<キャリアクリエイト部門>

金城祐子(グレイスラム代表取締役社長)

2004
大賞 1位<リーダー部門>

唐木幸子オリンパス ライフサイエンスカンパニーゲノム医療事業推進室グループリーダー)

2位<リーダー部門>

浅川智恵子日本IBM 東京基礎研究所 アクセシビリティーリサーチ グループリーダー)

3位<リーダー部門>

野田由美子(プライスウオーターハウスクーパース・フィナンシャル・アドバイザー・サービス パートナー)

4位<ヒットメーカー部門>

本間絹子電通 コピーライター/CMプランナー)

5位<リーダー部門>

岸谷美穂(ピースウィンズ・ジャパン 海外事業部 前クルド人自治区コーディネーター)

6位<リーダー部門>

名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)

7位<キャリアクリエイト部門>

新井順子(資生堂[要出典] フランスワイン醸造家)

8位<ヒットメーカー部門>

星野有香(ギャガ・コミュニケーションズ ギャガ・ディストリビューション・カンパニーバイスプレジデント)

9位<ヒットメーカー部門>

井上由美子(脚本家)

10位<今年の顔>

杉山愛(プロテニスプレーヤー)

2003
大賞 1位<リーダー部門>

小川善美インデックス代表取締役社長)

2位<リーダー部門

惣万佳代子(NPO法人このゆびとーまれ代表)

3位<キャリアクリエイト部門>

堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)

4位<ヒットメーカー部門>

池田香代子(翻訳家 口承文芸研究家)

5位<ヒットメーカー/リーダー部門>

加治木紀子(オフィスノア代表取締役)

6位<リーダー部門>

小出寛子(日本リーバ取締役 粧業品マーケティング本部長)

7位<今年の顔>

上原彩子(ピアニスト)

8位<リーダー部門>

飯田桂子(シグノシステムジャパン代表取締役社長)

9位<リーダー部門>

藤井絢子(菜の花プロジェクトネットワーク代表)

10位<今年の顔>

元ちとせ(歌手)

特別賞<今年の顔>

高橋尚子(マラソン選手)

2002
大賞 1位<リーダー部門>
2位<ネット部門>

宮田由美子

3位<リーダー部門>

木山啓子

4位<ヒットメーカー部門>

藪ゆき子

5位<リーダー/ネット部門>

小川義美

6位<ヒットメーカー部門>

中山千恵子

7位<ネット部門>

関根千佳

8位<カルチャー部門>
9位<キャリアクリエイト部門>

森木千津美

10位<カルチャー部門>
2001
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<リーダー部門>
3位<リーダー部門>
4位<脱・事務部門>

池田章子

5位<カルチャー部門>
6位<ネット部門/リーダー部門>

村本理恵子

7位<リーダー部門>
8位<ヒットメーカー部門>
9位<ネット部門>
10位<カルチャー部門>
2000
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<キャリア・起業家部門>

筑紫みずえ

3位<ヒットメーカー部門>

渡辺加奈

4位<カルチャー部門>
5位<キャリア・起業家部門>

斉藤裕美

6位<ヒットメーカー部門>
7位<脱・事務部門>

瀬川祐代

8位<カルチャー部門>
9位<キャリア・起業家部門>
10位<ヒットメーカー部門>

川口美也

第1回
第2回
第3回
第4回
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1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
関連項目:チャリティーマラソン・募金ラン実況アナウンサー
 
陸上競技日本代表 - 出場大会
陸上競技日本代表 - 1998 バンコクアジア大会
男子
女子
先代
ケニアの旗 テグラ・ロルーペ
女子マラソン世界記録保持者
2001/9/30 - 2001/10/7
次代
ケニアの旗 キャサリン・ヌデレバ
先代
山口衛里
マラソン日本記録
2時間19分46秒
次代
渋井陽子
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